2014年1月22日記
父は魚の食べ方がきれいだった。
煮魚でも焼き魚でもゆっくりと食べたあとは、頭と骨がくっついた状態できれいに残った。大事に魚を食べたのだろうし、食べられた魚も満足だったろう。
ピカソがカレイをきれいに食べて、その骨を魚拓にしておどけていた小学校の時に見た映画を思い出す。
私のサンマのきれいな食べ方は、父ゆずりかもしれない。
父は鹿児島の川内(せんだい)市から30キロ以上、川内川沿いにのぼっていった寒村で生まれた。明治のころとて交通機関はなにもなく、歩いて川内まで出るのに半日以上かかった。
川から取れるウナギなどの川魚はあったが海の魚と言えばほとんどが干物か、腐らないように塩をたっぷりふったものだった。
たまに川内市の海から運ばれてきた生の魚が手にはいると無塩(ぶえん)の魚と言って珍重された。
つまり、塩をふっていない魚だ。
家で刺身を食べるとき、父は必ず醤油のなかに酢をたらして食べていた。
鮮度が落ちても酢を入れることによってあたらないようにする習慣がそうさせたようだ。
私もマグロではときどきやってみるが、これはこれでなかなかおいしいものだ。
しめサバを感じさせる。
ただし外でやることではないが。
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