エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

ペルセウス流星群と大かぼし

2018年08月13日 | 雑感

018年8月13日

  12日の夜から13日未明にかけてペルセウス流星群がみられるとMが言っていたので、久しぶりに頑張って見てみよう、地球に大接近しているという火星も見ていない、ついでに火星も、と、午後9時ころから庭にシーツをひいて寝転がった。

                          

 20年ほど前の冬、ある流星群を見るために、暗いところを求めて比叡山まで行った。この時は素晴らしかった。降るような流れ星とまでは言わないが、一つ一つが大きくて、大気圏に突入した時に出す曲がりくねった尻尾の煙まできわめて明るく見える。すごい!、すごい!とみなで騒いだ。

行ったのは、MとT, そして8年ほど前に亡くなったSと私の4人だった。

 

 火星はみえた、たしかに赤くて大きい。写真の左上に見える。ところが、いっこうに流星は出ない。

 連日のあつさだが、さすがに夜になれば涼しくて蚊が出る。虫よけスプレーを手足にかけて、蚊取り線香を焚いても、蚊にくわれる。

 

11時ころまで粘ったが諦めた。

今朝Mに電話をかけたら1時ころまで粘って4個だったという。“なんで、流星群というのに4個しか見られへんのや”、ときくと、“オレにそんなこと言われても困る”、との返事で、もっともなことだ。

 

でも、大火星はじっくり見られたのだから、まあいいとするか。

 

 夜空を見上げながら考えた。流れ星が消えないうちに、願いごとをすれば、その願いがかなうと、子供の頃から聞いていた。

 

 ところが、流れ星は一瞬だ。“世界人類が平和でありますよう”、なんてとうてい無理、“家内安全おねがい”、も無理だ。

 

いまの私としてはお金がほしい。だから、“お金をください”、と言いたいが、それも無理だ。“カネ!”、とくらいは言えるだろうが、これでは“お金”をどうするのかわからない。

お金を寄付するのか、欲しいのか、まあ聞き届けてはもらえないだろう。それにきわめて行儀が悪い。

 

 すこし前に、虹の根元を掘れば宝が続々と出てくるという文を書いたが、虹の根元にたどり着くのは不可能で、流れ星の願いも不可能だ。

 

でも、こどもの頃はいろいろと夢があって面白かった

 

追伸:

なお、寝ころびながら、昔私の子供たちが喜んで読んでいたマンガ、“ドクタースランプあられちゃん”、では、火星の正式名は、“かぼし”、で地球は、“ちたま”、だったなあ、とも思い出していた。

いつまでたっても成長できない、が記憶の退化もあまりない。

 


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