私の家内はサン・テクジュベリの“星の王子さま”が好きだ。
私が知っている訳は、古典的には、“内藤 濯(あろう)”、そして“井上 久美”。
“なぜお酒なんかのむの?”という王子さまの問いかけにたいして、まず一人の呑んだくれの言い分だ。
「忘れたいからさ」
「忘れるって、なにをさ?」
「はずかしいのを忘れるんだよ」
「はずかしいって、なにが?」
「酒のむのが、はずかしいんだよ」、というなり呑み助はだまりこくってしまいました。
つぎののんだくれは
「忘れるためさ」
「何をわすれるの?」
「この嫌な気持ちをわすれるためさ」
「どうして嫌な気持ちになるの?」
「飲むからだよ」、のんべえは答えた。そしてもう、なにもいわなかった。
三人目の、のんべいのは、
「うーん、どっちがぴたっとくるのかな?」
「はずかしいのをわすれるというのはちょっとちがうな」
「嫌なきもちをわすれるため、というほうがあっているのかな」
「でも、最後の二人の言い分、“酒を飲むのがはずかしいんだよ”、というのと、
“嫌な気持ちになるのは、飲むからだよ”というのは同じことで共感するな」
最初の“のんだくれ”は、“内藤 濯”、の星の王子様、二人目は“井上久美”で、
三番目は、家内から「なんであなたはそんなにお酒をのむの」と言われているわたしだ。