エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

星の王子さま “三人の呑んだくれ”

2017年12月28日 | 雑感

私の家内はサン・テクジュベリの“星の王子さま”が好きだ。

    

 

私が知っている訳は、古典的には、“内藤 濯(あろう)”、そして“井上 久美”。

 

 “なぜお酒なんかのむの?”という王子さまの問いかけにたいして、まず一人の呑んだくれの言い分だ。

   「忘れたいからさ」

   「忘れるって、なにをさ?」

   「はずかしいのを忘れるんだよ」

   「はずかしいって、なにが?」

   「酒のむのが、はずかしいんだよ」、というなり呑み助はだまりこくってしまいました。

 

つぎののんだくれは

   「忘れるためさ」

   「何をわすれるの?」

   「この嫌な気持ちをわすれるためさ」

   「どうして嫌な気持ちになるの?」

   「飲むからだよ」、のんべえは答えた。そしてもう、なにもいわなかった。

 

三人目の、のんべいのは、

   「うーん、どっちがぴたっとくるのかな?」

   「はずかしいのをわすれるというのはちょっとちがうな」

   「嫌なきもちをわすれるため、というほうがあっているのかな」

   「でも、最後の二人の言い分、“酒を飲むのがはずかしいんだよ”、というのと、

    “嫌な気持ちになるのは、飲むからだよ”というのは同じことで共感するな」


 

最初の“のんだくれ”は、“内藤 濯”、の星の王子様、二人目は“井上久美”で、

三番目は、家内から「なんであなたはそんなにお酒をのむの」と言われているわたしだ。

                                                                 

                    


34丁目のサンタと大相撲

2017年12月22日 | 雑感

 

2017年12月22日

 

大相撲は惨憺たる有様だ。 

日馬富士が廃業しなければならない。

 

ふと思い出した。“34丁目の奇跡” という古典映画だ。 リメイク版は駄作だが初版はいい。

               


クリスマスシーズンに、あるデパートに偶然雇われた “本物のサンタクロース” と不器用な若者が、デパート雇いの

えせ精神科医の陰湿な意地悪にあう。 


がまんの末、サンタクロースは、“あんたのようにわけのわからない男には、こうするしか仕方ない”、と云って

持っていた傘で医者の頭をポコンと叩く。

 彼は暴力を受けた、と気絶するふりをしてサンタを刑務所に送り込むが・・・・、世界中の子供たちから

サンタ宛の手紙が届き、あとはハッピーエンドとなる。 クリスマスにふさわしいほのぼのとあたたかないい話だ。


人間の心ほど怖いものはない。 世の中には実際の暴力よりも陰湿な暴力的行為が沢山ある。   

 日馬富士の行為を肯定しているのではないが。

 


パウダールーム

2017年12月19日 | 雑感

 

                                      2017年12月18日

 

高島屋で家内がトイレに行っている間、椅子に座って待っていた。すると、目の前の部屋に女性二人が

入っていった。なにかわからないが、男性が入りにくい雰囲気がある。

部屋の表示を見ると、“パウダールーム” とある。“粉の部屋” とはどういうことか。

家内に聞くと、“化粧室” だという。帰って調べてみたらたしかに “化粧室” という意味があり、パウダーには

“粉おしろい”の訳がある。しかし、わからない人もいるだろう。

なぜ日本語で“化粧室”と表示しないのだろう。

 

以前博物館で “リフェレンスルーム” という “→印” つきの表示板を見た。

多分リフェレンスはreferenceだから “参照室” とでもいう意味だろうが、どういうものかわからない。

→にしたがってその部屋に入って行ったら、パソコンが何台か置いてあった。

館内のことが調べられるらしい。これは “参考図書室” という図書館の専門用語だった。

つまり参考図書室は向こう(→)ですよという表示板だった。まったくナンセンスな表示だ。

日本在住外人はともかく、カタカナをわかる外人はそんなにいないだろう、リフェレンスを理解できる

日本人もそんなに沢山いるとも思えない。

この場合、“Reference room”と “参考図書室” を同時表記するしかない。

 

 “なぜこの国はカタカナ外来語がすきなのだ、ごらんなさい、日本のどの車に日本語の名前がついている

のですか、すべてカタカナの外国語まがいだ”、とある人がテレビで怒っていたのを思いだした。

 

ところで、高島屋に来た理由は私が電気ストーブで、ダウンジャケットを焦がしてしまったからだ。

ケチな私は焦がしたジャケットを“捨てるのはもったいない、何とか修繕してくれ”、と家内に頼んでいた。

しかし家内は私の不注意さを怒り、“無理!”とつれない。

それで高島屋に来た。値段的に妥協できるものが見つかって購入し、7階の尾張屋でいつものように

蕎麦を食べて帰宅。


夜、“こんなダウンも楽しいかも”。 そう言って渡してくれた私の古いジャケットの袖には、高島屋の

手芸売り場で買ったかわいい子リスが二匹ついていた。


                        


 軽くて手軽にうごかせる直熱式電気ストーブは危ない。

従兄の家は、伯母が電気ストーブをつけたままにしておいたために、部屋のそこかしこにある習字の紙が

燃えだして全焼した。




貧しくとも豪華なクリスマス

2017年12月11日 | 雑感

           

                                                                                        2017年12月11日

 

 " 「さうね、私がロンドンからちょっと離れた田舎で暮らした時、宿のおばあさんから教えて貰った

若鳥の蒸焼きをお話ししませうか。」これは昭和13年新年号に載った林芙美子の文である。

昭和20年代、どの家も貧しくうちも例外ではなかった。その中で母は4人の子供たちにできるだけの

楽しみを与えようと工夫した。

その一つがクリスマスの日の鶏料理だった。当時鶏は高くて気軽に食べられるものではなかった。母は

筋金入りの根気と遊び心で毎日5円玉を貯金箱に入れ、溜まったお金でイヴの日に、林芙美子のレシピに

したがって鶏の蒸し焼きを作るものだった。" 

この一文を2006年、シダックスの “マザーフード” という企画に応募したら採用された。


                     


私にとってクリスマスは貧乏ながら大層豪華で楽しいものだった。

たぶん小学校3年生くらいまでサンタクロースを信じていた。

結婚した相手、つまり家内もクリスマスに一生懸命だった。

子供が小さかった頃、我が家のクリスマスモードは夏の休暇が過ぎ、秋が訪れる頃からすでにはじまる。

私は家内が飾るクリスマスオーナメントのそれらを見ながら「ビンボー人のささやかなクリスマス」と

よく笑ったものだ。

安月給・貧乏人だったが、同じ団地の子供たちを集めてできる限り豪華に楽しんだ。


  招待された子供たちはみな精一杯おしゃれをして澄ましてやってきた。

「ほら、聞えるかな、サンタの橇の音!」

子供たちは「うん、聞える、きこえる」と私に合わせてくれる。 


クリスマスのなつかしくも楽しい思い出だ。


 






「あの女はろくでなし」

2017年12月08日 | 雑感

                                        2017年12月8日

 

今年も残りわずか、もうすぐクリスマスだ。

三十数年前、家内は当時小学生だった娘にアンデルセンの本と倉敷で求めたパンチボール入れ

をテーブルにおいたミニチュア家具を、クリスマスにプレゼントした。

 

       


いつだったか、娘にアンデルセンの作品のうち、どれが好きだったかと聞いたことがある。

すると彼女は<あの女はろくでなし>、と答えた。 

人魚姫とか、雪の女王、もしくは、マッチ売りの少女などかと思いこんでいた私は

おどろいた。娘のいう「あの女はろくでなし」という作品は題も知らないしむろん

読んだこともなかった。

 

物語の筋は、愛する息子を育てるために、冷たい川の中で洗濯で金を稼ぐ母親の話だ。

少年はこっそり酒の入った瓶を隠し持って川で働く母親のところに行く。

それをめざとく見つけた町長は、おまえはいい子だ、しかしあの女はろくでなし、

酒ばかり飲んでいる、と男の子に話す。

母親は、“こんな冷たい川の中で仕事するには酒がないと・・” と息子が持ってきた酒を飲む。

やがて女は身体を壊して死んでしまう。

愛する母親を亡くした息子は彼女をよく知る老女に聞く、

“本当に母さんはろくでなしだったのか”。 

聞かれた老女は “とんでもない、本当に働き者だったんだよ。”

あらためて読み返してみると非常に切ない。

 

この話はアンデルセンの子供のころそのままを描いているらしく、彼が涙で綴った愛する

母の回顧録だという。

 

ところで、娘が小学5年生の頃、私と家内の間に口論が絶えなかった。

理由は、長男である私が母親と相談して同居することを勝手に取り決めてきたからだ。

私の父も歳をとって弱ってきている。 

 

このことは娘の陽気な神経にもこたえただろう。

そんな折にプレゼントされたアンデルセンの童話のなかで、ことさら印象に残ったのが

母親の深い愛情を描いた「あの女はろくでなし」だったのかもしれない。

 

 

前述のミニチュア家具は、いさかいの日々、家内が衝動的にエル・グレコの “受胎告知” を見に倉敷に

行った折に入った喫茶店買った。 いずれも今は昔、同居に絡む遠い日の思い出の品々だ。

 

ちなみに、私ら一家が同居する直前、ほぼわが家が完成したころ、突然父は亡くなった。

そして、われわれと母との長い生活がスタートしたのである。