前回は琵琶湖湖岸のホテルで“大学の恩師の奥さんを囲んでの宴会”がどうだったか、というよりホテルの透明ガラスの危険性についての話だった。
翌朝、食事をしてチェックアウト、9時半にホテルを出る。
京都円山公園まで帰り、そこらを散策して、平野屋で“イモ棒”を食べて解散という計画だ。
男性15名は湖西線から山科で地下鉄に乗って、東山駅まで、あとは歩いて円山公園へ。
車は私を含めて3台のみで、女性だけ(7名)を乗せる。
さて、円山公園まで行くには車の方が早い。そこで、近くの近江八景のひとつ、浮御堂に立ち寄ろうということになった。ここの正式名は臨済宗大徳寺派海門山満月寺浮御堂だ。
湖上に群れている沢山の鴨を見ているうちに、4年前に亡くなった高校時代の友人Yを思い出した。
園山俊二の”はじめ人間ゴン”のように、マンモスでもなんでも食い尽くすような狩猟民族のYは、私にいろんなものをとることを教えた。
アユの網打ち、琵琶湖のゴリ、絶滅したと云われる瀬田シジミ、これは他の仲間から馬鹿にされながらも半日がかりで鋤をひいて、バケツ2杯分ほどとった。 日本海でアジ、さより、スズキ、いわがき、ムール貝、 ウエットスーツを着てアワビ、サザエ、 京都北山での山菜取り。
私が参加していないものは、琵琶湖のうなぎ、広沢池から逃げ出した大きな鯉。40センチ近くのガメラ級迫力のあるスッポン、これをすっぽん料理にするには怖すぎで抵抗があるなと思った。
仲間は、彼の狩猟本能、徹底的にとるということ、やりすぎを批判し、奥さんは“あとしまつがたいへん、イライラする”と、本気で怒っていた。
ぼんやりと鴨の群れを見ていたら、夫人連が寄ってきた。
私は彼女たちを面白がらせようと、Yが常々言っていたこと、 “警察につかまらずに鴨をどうして獲るか” について話し出した。
“あの鴨がいるところまで、まあ30メートル間隔でブロックを置きます、せいぜい100から150メートルです、そしてそこに丈夫な紐を通します、その最後は釣り糸、それに釣り針・餌をつけて、軽い風船で浮かせます。カモが餌を呑み込んだときに紐をぐっと引っ張る、カモ沈む、夜暗くなって人目につかなくなったら こっそりボートで鴨を引き上げに行く”。
K夫人、「それじゃ、土管をあそこまでのばしたらいいんじゃないですか」、と至極まじめな質問をする。
他の女性たちは義理でにこにこ笑っているだけだ。
私にすれば、この話は桂枝雀の落語並みに面白い。Yの発想は抜群だ。
しかし、この話は全くご婦人たちの興味をひかなかった。
不発に終わった私はすごすご引き下がった。
もっとも、鴨鍋のおいしさは彼女らにも通じた。 あのだしは抜群、歯が悪ければちょっと手こずるが・・・、は通じた。
男性ならそれなりの反応はあったと思う。なぜなら、男は子供の頃多少とも虫取り、魚釣りなどの狩猟をやったことがあるからだ。
浮見堂を出て、湖西道路経由で円山公園、“平野屋のイモ棒”へ。
-続く-