エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

今日の一日 ―“たかがアンパン、されどアンパン”

2016年10月31日 | 雑感

                                                              2016年10月31日

 

今日B病院へ家内と肺炎球菌予防接種を受けに行った。

 ここは明るくて気持ちがいい病院だ。

 

 いつも、終わると一階の喫茶店に行ってパンを少々食べて、コーヒーを飲む。

私は前からここのパン、大抵は小さくてその割には高いと思っていた。

  私はアンパンをえらんだ。 ケーキは嫌いだからめったに食べないが和菓子は食べる、アンがすきだからだ。アンパンは普通の大きさだ。

  一口たべてその歯ごたえのなさにあれっと驚いた。味はともかく中をみると、今問題になっている豊洲の地下空洞なみだ。  写真をとった。

 家に帰ってから家内に、“角のパン屋でアンパンを買って来る”といった。

家内に、“そこまでしなくてもいいんじゃないの” と笑われたが、それでもわたしは買いに行った。この角の店は評判がいい。

 値段はほぼ同じ一個170円程度、ややBパンのほうが大きいものの、中身が違う。

家内は、パン生地とアンとのバランスもあるし、沢山入っていればいいというものではない、作り手のポリシーというのもあるしね、というが私は納得できない。

 

                           

                           

 

                                     たかがアンパン、されどアンパンだ。

  

 

 


恩師夫妻を囲んで(3)― 平野屋“イモ棒”

2016年10月30日 | 雑感

 

さて、9時半に男性15名は湖西線・京津線を乗り継いで東山駅から15分ほど歩いて円山公園へ。  途中青蓮院、真下飛泉の “戦友” “ここはお国を何百里、離れて遠い満州の・・・・”の碑や 知恩院山門など見るものは多い。

 女性7名を乗せた我々の3台の車は、浮見堂をまわって円山公園へ。

 11時から平野屋本家で昼食。 平野屋には別に平野屋本店があるが、ネットで調べても内容は同じようなものだ。

 私と家内は江戸時代の茶店風の本店が好きだが、今回はより近代風の本家にした。

 

 注文したのは月御膳と雪御膳を11膳ずつ。海老芋と棒ダラを煮たものは京都では300年の歴史があるという。京都では川魚以外は新鮮な海の魚は無理だから、棒ダラで間に合わせたのだろう。

内容はイモ棒(棒ダラの煮物と、海老芋の煮物の組み合わせ)が主体だ、吸い物、小鉢、ご飯、香のもの。 それに、とろろ海苔巻(雪御膳)か祇園豆腐(月御膳)。

 

                  

 

今回の仲間は皆京都になじみが深いが、平野屋にきたことがないものもいる。京名物のこの料理、一度は食べる値打ちはあると私は思っている。

 

50年ほど前だろうか、父が弟(私の叔父)を平野屋で接待した。その時 叔父は “おれは子供んころイモばかりくわされとった。なして、ここでもイモ喰わんといかんのじゃ” と云ったらしい。

叔父の言葉は、鹿児島の寒村の貧乏大所帯でイモばかり食わされた幼い日の思い出につながっている。もっとも、叔父が食ったイモはサツマイモだ。

そして平野屋に連れてこられた時、叔父はイモばかり喰う必要のない金持ちになっていた。

 

昨日から食べ続け、今日朝食も充分にとったばかりだ。皆の箸の進みは遅い。

隣に座ったSが、“棒ダラは自分のお袋が煮たものの方がおいしい気がするが、海老芋はこれほど上手に煮ることはむつかしい“などと言っている。

 

寧々の高台寺、坂本竜馬の像、知恩院と、昼食後の計画を私はいろいろ立てていたが、皆、どこにも行く気なく平野屋で解散。 我々も歳をとった。

 

奥さんの状況から、来年は京都でやるということになるだろう。

 

 

 


恩師夫妻を囲んで(2) - こっそり鴨を獲る方法

2016年10月29日 | 雑感

 

 前回は琵琶湖湖岸のホテルで“大学の恩師の奥さんを囲んでの宴会”がどうだったか、というよりホテルの透明ガラスの危険性についての話だった。

 翌朝、食事をしてチェックアウト、9時半にホテルを出る。

京都円山公園まで帰り、そこらを散策して、平野屋で“イモ棒”を食べて解散という計画だ。

 男性15名は湖西線から山科で地下鉄に乗って、東山駅まで、あとは歩いて円山公園へ。

車は私を含めて3台のみで、女性だけ(7名)を乗せる。

  さて、円山公園まで行くには車の方が早い。そこで、近くの近江八景のひとつ、浮御堂に立ち寄ろうということになった。ここの正式名は臨済宗大徳寺派海門山満月寺浮御堂だ。

 

                       

                        

湖上に群れている沢山の鴨を見ているうちに、4年前に亡くなった高校時代の友人Yを思い出した。

                        

 

園山俊二の”はじめ人間ゴン”のように、マンモスでもなんでも食い尽くすような狩猟民族のYは、私にいろんなものをとることを教えた。

アユの網打ち、琵琶湖のゴリ、絶滅したと云われる瀬田シジミ、これは他の仲間から馬鹿にされながらも半日がかりで鋤をひいて、バケツ2杯分ほどとった。 日本海でアジ、さより、スズキ、いわがき、ムール貝、 ウエットスーツを着てアワビ、サザエ、 京都北山での山菜取り。

私が参加していないものは、琵琶湖のうなぎ、広沢池から逃げ出した大きな鯉。40センチ近くのガメラ級迫力のあるスッポン、これをすっぽん料理にするには怖すぎで抵抗があるなと思った。

 仲間は、彼の狩猟本能、徹底的にとるということ、やりすぎを批判し、奥さんは“あとしまつがたいへん、イライラする”と、本気で怒っていた。

 

ぼんやりと鴨の群れを見ていたら、夫人連が寄ってきた。

私は彼女たちを面白がらせようと、Yが常々言っていたこと、 “警察につかまらずに鴨をどうして獲るか” について話し出した。

 “あの鴨がいるところまで、まあ30メートル間隔でブロックを置きます、せいぜい100から150メートルです、そしてそこに丈夫な紐を通します、その最後は釣り糸、それに釣り針・餌をつけて、軽い風船で浮かせます。カモが餌を呑み込んだときに紐をぐっと引っ張る、カモ沈む、夜暗くなって人目につかなくなったら こっそりボートで鴨を引き上げに行く”。

K夫人、「それじゃ、土管をあそこまでのばしたらいいんじゃないですか」、と至極まじめな質問をする。

他の女性たちは義理でにこにこ笑っているだけだ。

 

私にすれば、この話は桂枝雀の落語並みに面白い。Yの発想は抜群だ。

しかし、この話は全くご婦人たちの興味をひかなかった。

 不発に終わった私はすごすご引き下がった。

もっとも、鴨鍋のおいしさは彼女らにも通じた。 あのだしは抜群、歯が悪ければちょっと手こずるが・・・、は通じた。

 

男性ならそれなりの反応はあったと思う。なぜなら、男は子供の頃多少とも虫取り、魚釣りなどの狩猟をやったことがあるからだ。

 

浮見堂を出て、湖西道路経由で円山公園、“平野屋のイモ棒”へ。

 

                   -続く-

 


恩師夫妻を囲んで(1) - 透明ガラス

2016年10月28日 | 雑感

 

三日前に毎年の、大学の卒業研究室の集まりを一泊でやった。

 

この“恩師夫妻を囲む会”は今度で21回目。先生は8年前に亡くなられたが、その後も奥さんを囲んで続けている。この会は私の前後10年間ほどの卒業生に呼びかけて始まった。多い時は30名を越えていたが、このごろでは25名前後だ。今回は特に少なく、奥さんを含めて22名、奥さんは90歳だ。

 

私たちは古手だが、若手グループも二、三十人で年一回日奥さんを囲んでの日帰りの会を持っている。ただ、この二つのグループが合流することはない。年齢が違いすぎて混乱するだけだ。

 

気心の知れすぎた我々グループ 仲間は、ホテルについて集金、部屋の割り振りが終わればすぐ酒盛りを始める。話がはずみ、宴会までには相当できあがった者が出てくる。

琵琶湖湖岸にある今回のホテルは10年ほど前にも来ている。

 

この、一泊旅行の話は長いから三回に分けてする。

 

まず最初は“きれい過ぎる透明ガラスは問題”というテーマだ。

 

このホテルの大きなガラス窓越しに琵琶湖が見える。

窓は足元まで透明ガラスだ。なにもないと錯覚してベランダに出ようとしてびっくりする者も多い。きれいに磨かれ過ぎているからで、気持ちがいいが、行き過ぎると危険だ。

       

10年前の話だ

相当出来上がった我々は宴会前に風呂に入ろうとした。浴槽へのドアも透明ガラスだ。私はドアに気がつかず、頭をいやというほどぶち当ててしまった。

酒を飲んではいるものの、60を越えるとこんなにも耄碌するものか・・・と私はかなり落ち込んだ。

 湯船につかって落ち込んでいたら、私より3歳下のYが入ってきた。そのYが私より派手にドアにぶっつかった。前を隠していたタオルは吹っ飛ぶわ、ぐらぐらっと倒れそうになった。

彼には悪いが素っ裸だけに面白く、その光景に私はほっとした。このドアにぶち当たったとしても無理ない。

しかしYも私も無事だったから笑い話ですんだがひとつ間違えれば危険なことになる。

 

さてその透明ガラス、今回どうなっているかと見に行った。

 

二枚目の写真、ちょっと見にくいがちょうど真ん中に○が三つ、水平につけられている。

やはり苦情が出たのだろう、これでぶつかる人の回数は減ったにちがいない。

私は風呂を見に来ただけで、今回10分も大浴場にいなかった。もともと、風呂は好きでない。

 

 

ちなみに家内の姉も家内も透明ガラスにだまされた。

家内の姉のいきつけの美容院は透明ガラスの自動ドアだ。気候のいい時だったから冷房も暖房もいらない、開いたままだった。そこで姉は立ったままドアが開くのをじっと待っていたら、店のなかから“あいてますよ、どうぞ入ってください”と声をかけられた。

 家内はパン屋でガラスのないショーケースにガラスがあると思い込んでパンを取れなかった。姉妹揃って近眼だが、それを差し引いてもかなり間ぬけたはなしだ。

 透明ガラスそのものはいい。汚いよりきれいに磨かれたほうがいい。

 しかし、場合によっては透明ガラスはだめだ。

 今回の”恩師を囲む会”の関心事の一つは、あのホテルの大浴場のドアがどうなっているかだった。

 


 多羅葉(タラヨウ)の樹

2016年10月22日 | 雑感

                                 2016年10月22日

 

広沢の池はいい。

私が15年ほど前、この池で流し灯篭の漂う中をボートに乗って見た五山送り火の一つ”鳥居”は最高だった。

 

今年春、高校時代の友達、MとTとで広沢の池近くの印空寺に樹齢300年という多羅葉の木があるというので見に行った。タラヨウは京都市の保存樹でモチノキ科の樹だ。

 

わたしは、タラヨウの樹は知らなかった。

 

この葉は大きく肉厚で、裏が白っぽく傷をつければ樹液が出て字が書ける。

               

 平安時代にはこれに文字を書いて相手に伝えたことから葉書の語源と云われている。郵便局のシンボルツリーだそうだ。

 

この葉が葉書として通用するということを知ったMは、以前に実際これを数枚葉書として出した。

好奇心の強いMならではの風流な遊び心である。

 

郵便局の職員はタラヨウを知らなかったがとにかく出せたらしい。

定形外だから葉書より少し高い。そして葉はそれほど大きくはないので切手をはると文章はちょっとしか書けない。

しかしながら、彼からのその葉書は、受け取った側に日常生活の中でのほんのささやかな“愉快”を感じさせたに違いない。

 

 一枚拾って帰った。

 

一晩水につけてしっとりとさせたものに、翌日家内が〝私も″と楊枝で書いた。

                                                           

 

“くものあるひ くもはかなしい 

      くものないひ そらはさびしい“ 八木重吉

                                                   

                                                                

 追記:

あとで我々が何十年もここら辺をうろついている宝ヶ池の近くでタラヨウの樹を見つけた。

タラヨウは結構そこらへんにあるようだ。