エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 石庭

2017年04月25日 | 雑感

デンバーのM子さんから4日前にメールが来た。“石庭を作りました、99%私の仕事です”という説明で、石と砂利とで作った"彼女曰くの石庭”の写真が添えてあった。彼女は我々夫婦と30年来の友達だ。

                                                       

あの辺は一軒、一軒、家の庭がとてつもなく広く、彼女は年中庭木の手入れ・家の修理で格闘している。旦那はあまり手伝わないらしい。

“石庭”という言葉が出て来たので石の話をする。

3日前に高校時代の山岳部の小屋修理に行った。

実働部隊は先に行き、老朽化して体力がもう一つの私、TとMは1時間以上遅れて行った。

                      

途中丸太橋の滑り止めをつける。この丸太橋は雨が降るとぬめって滑って極めて危険だと前から思っていた。これくらいのことは我々にもできる。多分将来のけが人を一人でも救えたのじゃないかと思う。

 

我々が小屋に着いた時には、十四、五人で、白雪姫の小人のように”アイホー、アイホー”、と働いていた。主な仕事は皆に任せ、Tは植木の手入れ、Mは腰痛で元気なく、もっぱらベンチに座っているだけだ。

 小屋の前には絶えることなくきれいな水が流れる小さな川がある。これがこの小屋の最高にいいところだ。

 小さな流れだがしかし、大雨が来ると崖を侵食し、水場(台所)の岩も流してしまうほどの力を持っている。だから水場の形は常に変わる。今は非常に足場が悪くなって調理場まで降りて行きにくい。

 私ががけ崩れ直しに召集され、建築・山林伐採に関しては玄人はだしの後輩グループと出会ったのが1999年だった。その時わたしは崖にはめる石を一生懸命集めた。以来、私は石運び専門の石工(いしく)となった。

                       

今回も2人がかりながら、大石を水場にほり込んで足場を作った。

石と遊ぶのはものすごく面白い。渾身の力で、川底から石をあげる、下から運べるものは運び、運べないほど大きいものは上のほうから掘り起こして転がして集める。何も考えない、ただただ渾身の力を出す。

石にはそれぞれの顔があり、一つ一つ性質が違う。どういうふうに転がすか、どのようにはめ込むか。

                       

写真は我家にある最大の石だ。お屋敷では庭師が運んだ大岩があるだろうが、我が家のはいたって可愛らしい。これは50年近く前に家の裏の空き地から私が素手で運んできたものだ。まだ20代だったから一人で出来たのだろう。家の裏といっても他人の土地だから窃盗だ。他に窃盗石が沢山ある。

                     

最後の写真は“竜安寺石庭”。くったくのある時は家内とよく行く。

石庭は好きだが、これが悠久の庭とは思っていない。

まず、借景の塀外の植生はすぐに変わる、瓦葺だった塀の屋根が板屋根に変わったのは70年代だった。多分原形に戻そうとする意図だったのだろう。

嫌味なことを云っているのは充分わかっているが、石の配置は変わってはいないと思う。

私のように勝手に石をあっちにやったりこっちにやったりするものはいなかっただろうから。 

 

私は石と格闘するのが好きだ。


 携帯電話を持たない 

2017年04月21日 | 雑感

2017年4月21日

 

高校時代からの友達で携帯電話を持たないのが二人いる。

その一人Yには携帯拒否のわけのわからない確固たる信念があるらしいが、緊急の時に連絡がつかないため彼の喫茶仲間から嫌がられている。

                                    

もう一人は私とTとのトリオであるMだ。これがわからない。

Yは奥さんがいるから本当の緊急の際にはなんとかなるが、Mは一人身だ。数年前に連絡不明になって警察までゆくという騒ぎになった。

この時に、携帯を持つことを強く勧めたが、それでも持たない。携帯をもっているとどこまでも追跡されるから嫌なのだろうか。

 

今朝Mから“昼飯どう?”、と連絡が入ったので蕎麦屋でTと一緒に会うことにした。私は京都北山地下鉄前の蕎麦屋を指定したつもりが、彼は駐車場の広さ云々という私の言葉で宝ヶ池の蕎麦屋と思ったらしい。

 

待っても待ってもMは来ない。Tと私は自宅に電話してMからの連絡がはいったかどうかを聞いたが、ないらしい。約束の時間を50分ほどすぎたころに私の携帯にMから連絡が入った。

話をしているうちに私の話し方が悪くて彼が間違ったらしい、いや私が間違ったことに気が付いた。

 

Mは怒りっぽい。だから多分怒ってこちらに向かっているだろう、出だしからこんなのではたまらん、もうここだけで後の喫茶はやめにしようと思っているとMが到着。

窓から“I(わたしのこと)の完全ボケ”という。

Tが“お前が携帯を持たないのが悪い”と開口一番。これでけりがついた。携帯を持っていない弱みに加えて、前科があることを思い出したのだろう。

私に連絡を取る前にTの家、私の家に公衆電話から電話して、家内に私の携帯番号を聞いたというが、公衆電話探しに苦労したという。

 さて、勘定の時にTが財布を忘れたことに気がついた。免許書も入っている。

「おまえ、免許なしに来て私をピックアップしたのか、つかまったらどうする」、というと、「もういい、次回は返上や」と投げやりだ。

 

蕎麦屋を出て喫茶店に入り、いろいろ話をする。もう蕎麦のわだかまりは消えている。

土曜日に高校時代の山岳部の小屋修理に行く。

我々3人は林道入り口の広場で落ち合って、あとはMのオフロード用の車で行く。主力部隊は7時出発というが、それでは早すぎる。10時か10時半に集合するかを話し合って、結局10時ということとなった。“間違えんようにね”とお互い云いながら。

 

さて、今朝Mから“確認のため。集合時間は10時半やね”というメールが入った。当然10時だ。Tも返信、私も返信。

 これで三者三様に加齢、後期高齢、の影響をはっきり昨日出した。実際皆帽子をわすれたり、メガネを忘れたりすることが多い。

 

車の運転にも気をつけなければ。


タラの芽

2017年04月19日 | 雑感

                                                                  2017年4月19日

 京都市内のサクラもほぼ散ったいま、我が家の庭のタラの芽が伸び出した。

               

昔よく山菜とりに行った。ふき、ゼンマイ、わらび、こごみなど。

相棒は亡くなったYだった。

私は特に山菜がうまいという感覚はなく、実際のところ、彼の遊びに付き合って京都の北山山中を回る楽しさだけを味わっていただけだ。 

 

ところで我が家の庭にもたった一つ山菜がある、それはタラの芽だ。私の大学の恩師宅からもらってきた木だが、毎年立派な芽をつける。恩師の庭になんでか知らないうちに生えてきたらしい。

 

田舎に行けばタラの木は珍しくもなんともないのかもしれないが、Yと野山を歩いてもタラの木ほとんど見なかった。だから、私にはタラの芽は貴重だという意識がある。

 

それが、のんびり今我が家で、天ぷらにしてくれ、と芽をのばしている。

 

あと少し、1日たてば、Tに届けよう。Tは小学校から、Yは高校からの仲間だ。


 粗大ゴミ処理にはまる (1)私の場合

2017年04月18日 | 雑感

                                            2017年4月

 

大型ごみを 市に連絡して捨てるのは面倒だ。まず市に連絡し、所定場所にもって行かなければならない、それに金がかかる。たとえば自転車は1台400円とか。

自分で市のクリーンセンターに持ち込めとある友達が教えてくれた。私の友達の多くは自分自身の身辺整理で不用品をどんどん処分している

 わたしの車にゴミを積み込むには、処分品を解体して小さくしなければならない。私は高校時代の山岳部の小屋修理をずっと続けてきたおかげで、物を組み立てたり解体したりする技術は随分上った。

 電動ノコ、電気ドライバー、ドリル、金切りグラインダー、斧、物ぶっ壊し用石臼などの組み合わせでソファ、机、イス、ラック、本箱、家電製品、その他、大概のものは分解できる。

構造を知れば壊すのは簡単だ。頭も使え、運動にもなり面白い。物を解体する作業と京都東北部クリーンセンターでのゴミ捨て作業を組み合わせると、面白くて結構はまってしまった。 

 クリーンセンターへ行くには、京都の一つの奥座敷、”雲が畑“へ行く途中の道を、左に市原の方にそれる。

                                        

しばらく行くと大きい駐車場があり、小さな小屋がたっている。そこの備え付けのマークシートにエンピツで必要事項を書き込む。住所、氏名、電話番号、車のナンバー、持ち込み品だ。

 

申し込み小屋を出て少し行くと山手に入るクリーンセンターの入口があり、矢印に沿って行くと最初の関所がある。ここで下りて、マークシートを点検してもらい、持ち込み本人であるか免許書を確認、私を除いた車の重量をはかり、続いてマークシートを所定の機械に入れて発行券と交換するとゲートがあく。

車に乗り込み、部外者持ち込み用の青い線に沿って走る。横を大型の市専用ゴミ処理車が通る。

入口に到着、素人衆のゴミほり込み場だ。8つほど大きな扉があり、バックで指定された扉の前につける。車止めはあるにしても、車ごと落ち込んでゆくような錯覚を覚える。ここでゴミを捨てる。

係員の人は親切だ、いろいろと指示してくれる。

 

大扉の下を覗くと、大きくV字形になったゴミ捨てベルトコンベアが左から右にゆっくり動い ている。瀬戸物、ガラスは別のところに運んでもらうが、あとはなんでもOKだ。燃える木、服、布団も、燃えない金属類、鉄板、鍋釜、ストーブ、オーブン、電気釜、包丁、自転車、全部一緒だ。

これだけ皆一緒に捨てて大丈夫か、その行く末は??? 40年以上使っていた重さ5キロほどの焼き肉用特注鉄板をほり込んだ時はすごかった。すべりがいいから大きな音を立てて、向こうのV字側にまでとびあがった。

                                     

  すべてを投入して終了、出口に向かう。ゲートがあり、そこで私は降りて車体の重量減を測定、券を料金表示機に投入すると払うべき金額と処理量が示される。

この日は200Kgで2500円だった。前に100個近い大小の植木鉢、布団などを捨てた時は2000円。軽いものなら車に満杯でも1000円だ。

                         

我々の持つものはすべてゴミだ。どうしても必要で買うものもあるが、趣味で買うものもすべてゴミとなる。

 

一番のゴミは我々自体だろう。


 キツネうどんと西本願寺大法要

2017年04月15日 | 雑感

2017年4月14日

  西本願寺に行った。

昨年なくなった母の葬儀で世話になったのは西本願寺派の寺なので西本願寺には去年はよく訪れたが、この頃は忙しくて、今日は久しぶりだ。

 いつもと違い本願寺にはいろいろな旗がひるがえり、式幕がすべての壁を覆っている、そして駐車場は一般客は入れない、バスだけだという。いつもと違う。門主様が代替わりとなってこの4月、5月は法要が続くらしい。

 近くのコインパークに車をとめ、本願寺に行く前に門前町のうどん屋に入った。

ここはいわゆる大力餅とか弁慶餅などの古典流派だ。子供のころからの習慣で私はずっとうまいキツネうどんを追求してきたが、この店のキツネうどんの味はまあまあだ。

                                       

昼を過ぎているから客は前の席のおばさん二人、あとで3人来たがいずれも観光客だ。

二人のおばさんのうちの一人が「なにか、線香のにおいがする」。

店の奥さんは、“毎朝、二階で仏様に線香をあげてますが”という。その匂いが残っているかと思ったのだろう。

そして、“昼間に本願寺の御坊さんが沢山きたからね”、と云い、さらに思い出して、“ああ、さっき線香屋さんの人が食べに来たからとちがいますか”。

それにしても観光おばさんの鼻はするどい、私らにはわからなかった。

ここらは本願寺の街だ、お坊さんも、仏壇屋さんも、線香屋さんも当うどん屋に来て当たり前だ。

 おばさん二人は勘定を払て出て行った。ここに来る前に嵐山に行って来たらしいが、人が多すぎて歩けないという。店のおばさんが「多国籍の?」ときいた。この表現がいいのか悪いのかわからないが、中国、韓国などアジアの観光客のことだろう。顔が我々と変わらないから喋っているのを聞かないとどこの人かわからない。たしかにものすごく多い。 

                        

 さて我々は西本願寺の御堂に入ることにも敗退した。ものすごい数の団体客だ。

案内の娘さんによれば、一般客はかなり待たないと入れないらしい。あきらめて退散する。

 

この一週間は雨が多かった。

   “花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ”

と井伏鱒二が唐の詩人“干武陵”の詩を訳しているが、今年の桜はよく持ちこたえている.

寫眞は比叡山を背景とする高野川沿いの桜だ。

                                  

 さて、今夜の食事。我が家は少食だ。

私が鍋焼きうどんをつくった。だしは“いりこ”が中心、それに利尻昆布、かつおの削り節、くず白菜で甘みをだし、さらにみりんと薄口しょうゆを少々、天ぷらを乗せて卵を割りいれる。

時間をかけ、熱意をそそいだだけあって、本願寺のうどん以上の味だったと思う。

 

うどんの1日でした。