2017年5月17日
思い立ってここ一週間ほど庭の掃除をしている。
これまで私は、木は電動ノコと電動バリカン、雑草をとるのは電動草刈機でやるだけだった。ただそれだけでは
きれいにはならない。
雑草取りや枝払いはここ何十年もの間もっぱら家内がやってきた。
私の母は「H子さんはなめるようにきれいにしはる」といって家内を上手に使っていたが、実際、そのとおりだ。
彼女の性格もさることながら長年やっていたらそうなるのだろう。
ところで今回わたしも一念発起、雑草取りに専念した。鎌を使って大きい雑草を、小さい雑草は手だけ、あるいは
小さい根ほり鎌を使って引き抜く、家内と同じやり方に変えた。
花鋏で金木犀の枝を切っていっても結構形はよくなる。切った草花はずいぶんたまった。
ところで、家内が言うには“雑草をとったというが、上の葉っぱをちぎっただけで、土が見えてない。葉っぱの
ついてない長い茎があっちにもこっちにも目立って、これでは雑草取りとはいわない”のだそうだ。
たしかに一番目の写真の右の部分は彼女が除草したあとで、土の表面がでている。30年以上の熟練工と一緒に
されては困る。
左側は砂利道だが、この部分がかなりあって、ここにネコソギという除草剤をまく。
昔はここも家内は除草していたのだが、そんな余裕はなくなった。“ネコソギ”という言葉は品がないからきらいだが、
ついつい安易に頼るようになった。
ここで一服、“この写真はネコソギオバサン休憩の図としようか”と云ったら、
“年齢からいえば<ネコソギバアサン>でしょう?でも根こそぎってことば、なんだかこわいわねぇ・・・”と家内は云う。
ところで、“雑草と云う草は存在しない”、という人がいる。
人間側として、なにか目的があって農作業をする場合には、“雑草”という部族はかならず存在すると思うのだが。