2018年2月3日
高校の山小屋修理仲間の新年会があった。
私は陸上部だったが友達の多くが山岳部だったので、この小屋に60年近くかよっている。
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さて、今年の新年会は、小屋修理を指揮する4学年下のI の別邸で、手軽に参集できる6名のみでやった。
I は小屋修理の指導者だから私は彼を“棟梁”、と呼んでいる。
棟梁は料理もうまい。我々の学年7人組(常連はいまや私と、M、Tの3人になったが)は結構料理が得意で
出来を競っていた。
しかし、棟梁が本格的な料理を作りだしてからはだんだん退いていった。
彼の料理は流れがいい。私は、これを廬山人の“星ケ岡茶寮”の料理と名付けている。
今日の星ケ岡茶寮は鶏のすき焼きだった。
地鶏を一羽さばいてもらい、仲間の一人がコンニャクイモを栽培して造った本物のコンニャクを持ってきた。
みな、何か一品持ち寄る。最後は和菓子とおうすで締めくくり。
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さて、囲炉裏を囲んでいろいろと楽しく話をしていたが、最後の方はだんだん落ち込んでいった。
すき焼き鍋の終わりにうどんを入れる段になって、棟梁が、
“どうもこのごろ力がなくなって、この袋を引きちぎるのがしんどうなって” と、うどん袋を開きながら言う。
それを受けてM、 “このごろのレトルト食品、なんであんな、どこが切口かわからんようなもん つくるのや”
“いまにオレらは、真空パック入りの食べ物やカンヅメがいっぱいある部屋で、それ、開けられんと、ただ
見ながら死んでいくんやな・・・・”。
今日集まった仲間では、69歳がひとり、あとは70以上。 我々長老3人は76だ。
72才の棟梁は続ける。“このごろバスに乗ったら必ず席を代わってくれるが、なさけない”。
たしかに、最初に会った時に恰好がよかった彼も、いまや頭も髭も真っ白。20年の歳月はおそろしい。
さらに、“ボクなー!このあいだ、 高速を逆走してる夢を見たんや、 そしてわき道に転落、 怖かった”
そして彼は、“あとどれくらい運転しはるの?”、と私に聞いてきた。
私、「あと一回、来年更新するつもりや」。となると、80歳。これ以上はやらないほうがいいと感じている。
この頃の街で走る車の行儀がわるい。煽り運転、車線の強引な変更、スマホやりながら、など。
その上にこちらの注意力が落ちているのが近年とみに感じられるから、早くにやめたほうがいい。
「この家もな、車がないとどうにもならへん」 と棟梁はしみじみ言う。
作ったときは多分40年ほど前だろう、K新聞に出ていたようだが、数寄屋造りの立派なものだ。
彼30才台、たぶんこんな日が来ることなどはもちろん、なにも考えずに興に乗って建てたのだろう。
彼のこの別荘は、川端康成の小説「古都」の舞台、北山杉の村をはるかに越えた京都の北端、常照皇寺の近くだ。
金閣寺からでも1時間半ほどかかる。 冬は雪が深い。
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彼の別荘云々の嘆きはともかく、我々も最近小屋に行くのには苦労する。
昔、林道は安定していたが、杉の植林のために山の保水力がなくなって荒れだした。街中しか運転していない
人にとってはちょっと難しいだろう。最後に行ったのは昨年の9月、この時私は大きな落石に車を擦った。
林道の立て向けにえぐれた筋にはまり込んだら厄介だ。 そしてタイヤが鋭い石で切られてバーストする。
今は雪で行けない。 3月の終わりにあの大きな落石を皆で取り除きに行くことにする。
まもなく、我々は車では自力で小屋には行けなくなるだろう。
その時が小屋との別れだ。 2年先だろうか、3年さきだろうか。
後輩に載せてもらうという迷惑はかけられない。小屋へは自力で行けることが条件だ。
MもTもそしてわたしも現在ですら故障が多い。すこし老化が早すぎとは思うが なさけない。