2017年1月20日
一昨日のNHKでサラメシという番組を見た。サラリーマンのランチを取り上げた番組だ。
しっかり働いている人たちは皆おいしそうに昼飯を食べる。
ひさしく穀つぶしをやっている私は本当にうらやましい。
その中で宮崎観光バスのガイドさんが出ていた。
お母さんもガイドだったが、とても楽しそうにしていたので、自分もガイドになった。
しかし、母の現実は決してそうではなかった。つらい時にはトイレで涙をふいて、
化粧をし直して、笑顔でバスに戻ったなどの話を後で聞き、自分も頑張ろうと思った
という。 いい話だった。
勤めて18年、ベテランとなった今、入社時にもらったノートの内容はすべて頭に
叩き込まれてはいるが、今でも大切に持っているという。あいにくTV撮影の時には
雨が降っていて、日南海岸のきれいな海は見られなかったが、
「この海は アメリカにつながっています・・・」 という説明もあるらしい。
その言葉に、家内は自分が南九州へ修学旅行に行ったときのことを思い出した。
彼女はその旅行を“旅の思い出”として一つの冊子にまとめている。
開かれたページの写真は鵜戸神宮と青島だ。
宮崎の鵜戸神宮、ここでFちゃんがコンタクトレンズを落としたと言い出した。
当時のコンタクトレンズはかなり高価なものだった。
それを聞いたバスガイドさんは、“○○さんがコンタクトレンズを落とされたそうです。
次の観光地はA、Bですが、皆さんそれよりみんなで○○さんのコンタクトレンズを
探してあげませんか”、と強権的発言をした。
それは鵜戸神宮の石段をもういちど上がり降りすること、さらには次の観光地に
行けないということを意味する。
しかしここで、純情な○○乙女たちは “YES!” と賛同して、あの何百段かある
鵜戸神宮の石段をコンタクトを探すべくバスから降りた。
大型バス一台分の乙女たちが、石段を這ってダイヤモンドでもさがすように、
コンタクトレンズを探す滑稽な光景が目に浮かぶ。
家内、「あのながい石段を二往復、わかる?」と、私に説明する。
結局、見つからなくて家内たちは、次の観光地をふいにしたが、40名ほどのクラス
メートを友情にからめて強制的に従わせたバスガイドのお姉さんの手腕、そして、
女学生たちを唯々諾々と従わせた当時のコンタクトレンズの威力はすごい。
さて、この話には落ちがあり、コンタクトレンズは、結局、Fちゃんのコートの裾の
折り返し部分のほころびに引っかかっていた。 それを正直にFちゃんはバスガイド
さんに報告し、ガイドさんはバスの中で全員に伝えた。
家内の友達、T子さんはこう云ったそうだ。
「これだけみんなを騒がしたんやもん! 私やったら、出てきても黙ってる!」
旅の終わり、5日間の日程を終えたバスガイドのすてきなお姉さんと彼女らの船での
別れは、テープ、テープと涙の別れだったそうだ。
家内は云う。
「今、思えば、あのバスガイドさんの行動は全くの独断だった。あとで会社から怒られな
かったかな・・・・」
でもそれが通じた。 何事もおおらかで、いい時代だった。
その時のバスガイドさんの説明のなかで、“この海はアメリカに通じています” という
くだりがあったことを家内は “旅の思い出” の中に記している。
50年以上を経たいまでも、まだ同じ説明が使われているのか、というのが
家内の感慨だ。