エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

包丁始末記

2018年09月02日 | 雑感

2018年9月2日


我が家には包丁があまっている。母が亡くなったあと残った包丁もあり、使いきれない。

結構いい包丁もある。有次、菊一文字、三木の出刃包丁。

 

私の山小屋友達で、包丁とぎを専門にしている後輩がいる。

彼には前に、わがやの、“さびいわし刀”数本を処分してもらったことがある。

                                 

                        


 

写真、右は今回その後輩に処分してもらうもの、右は我が家で残すもの。 そのうちの4本の砥ぎを

頼むことにする。

 

家内は、我が家の包丁の切れ味にいつも文句をいっている。

包丁砥ぎは、感性の問題だ。わたしは上手とは言えないが、まったくの音痴でもない。

 

砥ぎのうまい友達は本職を含めて数多い。山小屋修理仲間だから当然だ。


彼らは、“あんたのは、船頭が艪をこぐようや。ゆっくりゆっくと先端をまるめてるんや”、という。

 

ただ、いまでも少しは腕があると思うから、家内に、“その4本は、オレが砥ごうか?”、と言ったら、

“あなたがやるから、全部だめになる!”、と言われた。

 

若いころはいまほど悪くはなかったが、歳とともにどんどん腕が悪くなる。

 

“バカとハサミは・・・”、言うにことかいて、思わず口に出た家内の言葉だ。


 “ハア?!”、と私がいったら、“ごめん、ごめん”、と家内。

 

先日、後輩が来て、その日のうちに4本砥ぎを仕上げ届けてくれた。すべて有次だ。

みごとなもので、すべてぴかぴか、切れ味は抜群になっている。

お礼は、そこそこいい酒一本ということだが、まだ渡す機会がない。


                                   


追記:

私は長年、“有次”、を有難がっていたが、山仲間が、“コーナン”、で買ってくるいろいろな安物の

刃物の切れ味を見て、結局、“なんでもええのやな”、とわかるようになった。

まあ、名前が欲しいのは恰好だけです。



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