エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

「ウソツキ」といったらだめだから「正直・公正」を取りやめるという茶番劇

2018年08月27日 | 雑感

2018年8月26日

 

前のブログで、石破氏が、自民党総裁立候補表明をた時のスローガ

ン、「正直、公正、石破茂」と掲げたのを見て、吹き出した。


ウソつきの阿部氏に対してのパロディー的表現で、小学生並みの表現

だが強烈で的を射ている。流行語になるかもしれないと感心した。

 

それも、つかの間、“正直・公正”、スローガンを取り下げるらしい。自民

党内で相手を誹謗するのはまずいということらしいが、なぜウソつきを

ウソつきと言ってはいけないのだ。

一歩下がっても、石破氏が「私は正直だし、なにごとにも公正を期

る人間だ」、といっているのだから、問題はないはずだ。

これが政治的配慮なら、石破氏も茶番劇を演じている。これじゃだめ

だ、迫力がない。

ともかく、多くの国民は、今の政府のうそとごまかしにうんざりしている。

道徳教育なんかくそくらえ、だ。国の指導者がウソをついてもいいと

いっているのだから。

腹立ちまぎれの戯言です。


夜目遠目笠のうち・阿波踊り

2018年08月18日 | 雑感

2018年8月18日

 

 

大文字の送り火も一昨日無事に終わった。一昨日は終戦日にからんで、まともな文章を

書いた、つもりだ。


今日はちょっと脱線する。


今年の阿波踊りはややこしかった。赤字と危険ゆえに、徳島市と市民の阿波踊り振興会

がもめて、ビッググループの総踊りがやめになるとか、ならないとか。結局、総踊りは行わ

れた。迫力があった。どちらにも言い分があろうが、やはり総踊りはよかった。

          

思い出すのは、昔、正確にいえば57年前に行った阿波踊りだ。

 

当時私は大学の3回生で、陸上部に所属していた。

そのときの2年後輩が徳島出身で、阿波踊りにさそってくれて、先輩、後輩、6人ほどで徳

島の彼の家に泊まり、阿波踊りに参加した。

その後輩は、地元ゆえ、当然のことながらある連に入っていて、その浴衣を一着出して私

らに着ろという。派手な浴衣で皆敬遠したので、私がそれを着ることになった。

 

祭りに行くとものすごい人出で、立派な連が次々と踊りだす。後輩は、その連についてい

けというが、シャイな皆はしり込みしてなかなかあとにつかない。そこで私は乗り出して

いった。

 

浴衣の効果は抜群った、いくら踊れなくても恰好がつくらしい。いやいやついてきた仲間

もそのうち踊りだして、狂いだした。汚い恰好で、でたらめな踊りで、まともな“連”の後

につづいて、大桟敷の中を通り抜けるのも平気になった。


“踊る阿呆に、見る阿呆、同じアホなら、踊らにゃ、そんそん”。


皆汗だくでいつまでも踊った。あんなにもなれるものだ!ものすごく面白い。

 

次の日は、一着の浴衣は皆でひっぱりだこだった。浴衣の威力を満喫した私はもういい。

 

ところで、まともな連の後ろについて、踊りだすのを待っているときに、後ろから押されて

どんと前の娘さんにぶつかった。娘さんはまともな“連”だから、きれいな着物に、菅笠

だったし、また、ほれぼれするような美人だった。


娘さんは「押さないでくださいよ」、」と私に言ったので、「いや後ろから押されて」、という

と、「踏ん張ってくださいよ」という。  あの混み合いの中ではしょっちゅうあることだから、

しょっちゅう注意する、“文句”、なのだろう。


よくよく周りをみたら、みな美人揃いで、雰囲気がある。徳島美人とはこういうものかと感心

した。

 

ところが、あくる日、そして、次の日、昼間の街をあるいても、どこにも美人には出会わな

い。

そのときに、“夜目、遠目、傘のうち”、というのは、こういうことをいうのだなと納得した。

だし、私に文句を言った娘さんはほんの目の先で、決して、“遠目”、ではない美人だった。

 

なつかしい思い出だ。

 

ところで、昭和天皇が来たことがあったらしい。このとき、“踊る阿呆に、見る阿呆”、のあと

の句、“見る阿呆”、をどうするか当事者は悩んだそうだ。

結果は知らない。


沢村栄治と終戦とお盆

2018年08月16日 | 雑感

 

         2018年8月16日

 昨日は戦後73年 追悼式だった。来年の天皇の退位によって、平成最後の追悼

式となった。

天皇、皇后のお二人にとっては、ただただ謝罪の旅と被災地慰問の半生、いや一生だっ

た。長い間、ご苦労さまでした。

 

 ブログ村から1年前の記事についてレビューをかけという案内が来た。


 この文の趣旨は一年前にもだしているが、その骨子は2014年8月に戻る。 忘ては

ならないあの戦争に関するものだから、何回出してもいいだろう。今回、大分手直

しをした。

 

2014年8月5日の朝日新聞に、沢村栄治の記事が載っていた。


京都学園(旧京都商業高校)に銅像があるという。

そこで私は、子供のころから耳にし続けた伝説の名投手に会いに、家内と出かけた。

私は野球にはまったく関心はない。しかし“沢村栄治”にはずっと関心があった。

 

京都学園中学・高等学校の入口から坂道を下っていくと、木々に囲まれた小さな広場の

一角にその銅像はあった。

均整のとれた体格、左足を大きく上げたバランスのいい投球姿勢。

銅像の足元に、彼と京商時代にバッテリーを組んだ山口千万石氏の書いた碑文がある。

2003年、この像が出来る直前に山口氏は亡くなり、彼の碑文だけが残った。 

                              

山口氏は、“彼の遺品は何も持っていないが、えらい形見をもらった”、と沢村の球を受け

続けて変形した左手の指を誇らしげによく見せていたという。

 

沢村は三度徴兵された。


志村正順アナウンサー(NHK)が、戦地から帰還して再び野球に加わるようになった沢

村を見て愕然とした。

しばらくは彼だとわからなかったが、わかったあと、あれほどの投手が、と涙が出そうに

なった、そして戦争とはこれほど残酷なものかと思ったそうだ。

沢村は剛腕ゆえ、”手榴弾投げ競争”、に度々かりだされた。硬式球の重さの3倍以上あ

る手榴弾だ。その結果、投手の生命である右肩をつぶしてしまった。


三度目の出征で、彼が乗ったフィリピンに向かう輸送船が撃沈され、屋久島沖で戦死。

1944年12月2日。   享年27歳。

あれから70年経つ。 (2014年)

 

 沢村栄治の銅像を見ている私らの傍らを、はじけるような笑い声と共に自転車を押して

上がってくる屈託のない女子生徒のグループが通り過ぎていった。  


山口氏の碑文には、”この像を、未来の平和に願いを込めて、母校に学ぶ若人諸君に贈

る”という旨の言葉が記されている。


平和な時代に生を受けたあの女学生らに、沢村栄治の人生と、彼の銅像の下に書かれ

た千万石氏の言葉がどれほどの意味を持っているのか理解できるだろうか。

 

 今日はお盆の最終日8月16日だ。京都では五山の送り火が行われる。

 お盆は、日本人にとって、正月以上に意味がある。親のもとを巣立った子供たちが彼

らの子供を連れて故郷に帰ってくる。親だけではなくて、ご先祖様にも会うためだ。

三日前にこの世に帰ってこられたご先祖様の霊、おしょらいさま(御招霊さま)がいろいろ

接待をうけ、今日帰って行かれる。


 船形の送り火に乗って帰られるという説もあるが、それなら残る、大文字、妙法、左大文

字、鳥居形の四山の火がその船を見送ることになる。

                

 

お盆の真ん中の8月15日は終戦記念日だ。

この二つがぴったりあったことは偶然とはいえ大きな意味を持っていると私はいつも思う。

 

毎年お盆が来るたびに、我々は祖先に想いをはせる。

同時に大戦で無残に死んで行った人たちの、そして8月6日の広島、9日の長崎への原

爆投下の思いがよみがえって私たちは合掌する。


もし、終戦がお盆以外、たとえば5月のゴールデンウイークの時だったらどうだろう。今の

軽薄な日本を見ていると、大戦の記憶を持った人々がいなくなってしまえば、時の経過と

ともに大戦は忘れ去られてしまう可能性がある。


しかし、終戦記念日がお盆と重なっているかぎり、この日はいつまでも特別な日として日

本人の記憶のなかに残り続けるだろう。そうあってほしいと願っている。


そして、今後、“戦争は絶対に起こしてはならない”、という思いも。

 

 さて、今日は上の文を書いて4年経った2018年8月16日だ。

いま午前11時、大文字の送り火の点火は8時に始まる。天候不順のこのごろだ。雨

が降らないことを祈る。

 

 ふたたび、今日。

いま、6時半、30分ほど前はひどく降っていたが、一応やんだ。

去年は豪雨の中で火送り人たちは頑張った。

このあんばいでは、今年は無事だろう。

 

 実況放送はこれで終わりにします。

 


ペルセウス流星群と大かぼし

2018年08月13日 | 雑感

018年8月13日

  12日の夜から13日未明にかけてペルセウス流星群がみられるとMが言っていたので、久しぶりに頑張って見てみよう、地球に大接近しているという火星も見ていない、ついでに火星も、と、午後9時ころから庭にシーツをひいて寝転がった。

                          

 20年ほど前の冬、ある流星群を見るために、暗いところを求めて比叡山まで行った。この時は素晴らしかった。降るような流れ星とまでは言わないが、一つ一つが大きくて、大気圏に突入した時に出す曲がりくねった尻尾の煙まできわめて明るく見える。すごい!、すごい!とみなで騒いだ。

行ったのは、MとT, そして8年ほど前に亡くなったSと私の4人だった。

 

 火星はみえた、たしかに赤くて大きい。写真の左上に見える。ところが、いっこうに流星は出ない。

 連日のあつさだが、さすがに夜になれば涼しくて蚊が出る。虫よけスプレーを手足にかけて、蚊取り線香を焚いても、蚊にくわれる。

 

11時ころまで粘ったが諦めた。

今朝Mに電話をかけたら1時ころまで粘って4個だったという。“なんで、流星群というのに4個しか見られへんのや”、ときくと、“オレにそんなこと言われても困る”、との返事で、もっともなことだ。

 

でも、大火星はじっくり見られたのだから、まあいいとするか。

 

 夜空を見上げながら考えた。流れ星が消えないうちに、願いごとをすれば、その願いがかなうと、子供の頃から聞いていた。

 

 ところが、流れ星は一瞬だ。“世界人類が平和でありますよう”、なんてとうてい無理、“家内安全おねがい”、も無理だ。

 

いまの私としてはお金がほしい。だから、“お金をください”、と言いたいが、それも無理だ。“カネ!”、とくらいは言えるだろうが、これでは“お金”をどうするのかわからない。

お金を寄付するのか、欲しいのか、まあ聞き届けてはもらえないだろう。それにきわめて行儀が悪い。

 

 すこし前に、虹の根元を掘れば宝が続々と出てくるという文を書いたが、虹の根元にたどり着くのは不可能で、流れ星の願いも不可能だ。

 

でも、こどもの頃はいろいろと夢があって面白かった

 

追伸:

なお、寝ころびながら、昔私の子供たちが喜んで読んでいたマンガ、“ドクタースランプあられちゃん”、では、火星の正式名は、“かぼし”、で地球は、“ちたま”、だったなあ、とも思い出していた。

いつまでたっても成長できない、が記憶の退化もあまりない。

 


パロディー自民党総裁選

2018年08月11日 | 雑感

2018年8月11日

 

今日の朝日朝刊の第一面を見てふきだした。


自民党総裁選に石破氏が出るらしいが、そのキャッチフレーズが「正直、公正、石破茂」というもので、この、”正直、公正“、というのがパロディーだ。


                                        


パロディーとは、“他の芸術作品を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作

品、あるいはその手法のことを指す”、ということらしいが、ここでの芸術作品と

は“安倍氏の言動、つまり安倍氏そのもの”、であり、それを風刺批判するものが、

この、“正直、公正”というキャッチフレーズだ。

安倍氏を模倣しているのではなく、正反対のことを言っていることが、パロディーの

定義とはちがうかもしれないが、あえてパロディーと言わせてもらう。

 

心底笑えてくるのは、“正直、公正”、というごくあたりまえのことが堂々と掲げられていることだ。

それほど、安部氏のやっていることはうそが多くて国民感情を逆なでしている。前

にも言ったが、安部氏は国の指導者として、国民に、“嘘をついてもいいのだ”、と

いうことを徹底させた。

 

 政治力学とはいえ、このような人物を担ぎ出す人々はどういう頭をしているのだろ

う。これらの人々は、“うそをついてもいい将来の日本”、をどう考えているのだろう

か。

 

 それにしても、「正直、公正」、という一見幼稚で、馬鹿げた当たり前のことが、ア

ンチ安倍の見事なスローガンになっている。


これは、“今年の流行語”、になるかもしれない。石破氏の健闘を祈る。

 

 ところで、私の家内も、新聞を見てふきだした一人だ。

他にも沢山笑った人がいるはずだ。