エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

合理化講習通知

2019年02月02日 | 雑感

1月11日に「認知機能検査」を受けた。そして、後日、“高齢者講習(合理化講習)通知書”、が送られてきて、一昨日、講習と、視力能力、実技の計2時間を費やした。

1月11日でのテストで、認知症でないと判断されたので、今回の講習となった、それは納得できる。

 

気になったのは、合理化講習会という(高齢者云々よりも、葉書の中の表現でも、この文句が幅をきかせている)

 

“合理化講習”、の説明について。

「加齢に伴って生じる身体機能の低下が自動車などの運転に影響を及ぼす可能性があることを理解していただくためのものであって・・・・」と。

なぜ、“合理化”、という文句が、必要なのか、まったくわからない。

 

歳をとって、怒りっぽくなっている私は、「この文句はだれが考え出したのか」と怒る。これでは我々を合理化するという意味としかとれない。リストラが“再建”、という本来の意味を狂わされて“首切り”、となっているのと同じじゃないか。

「高齢者第二講習会」でいいのではないか、私みたいな不満のかたまりのような老人をわざわざ怒らせる必要はない。

 

まあ、毎日ほど近場で運転している割には、3年前とやや落ちる運転技術でした。というのは、むこうの車へのなじみが、3年前と違う。同乗者(被験者)は3人。

違和感を感じたのはアクセルとブレーキの切り替え。私の車は乗り古したホンダのfit。経済的理由プラス車が好きでない私が乗っていたが、(本当に亡くなった母の後始末その他で、近距離乗り回した)乗りやすい。

 

今回感じたのは、アクセルとブレーキの間の感覚、fitは小さいから、かかとを支点にして常に、不必要でも、アクセル・ブレーキを踊るように交互にゆらゆらさせる。家内はそれを嫌がるが、私にとっては、素早い感覚の保持のためだ。

しかし、3年前はなんでもなかった教習所の車のアクセル・ブレーキの操作が、一旦足を上げないとできないのではと感じだした。多分そうではないだろうが。

多分トヨタの普通の車だろうが、私の乗りなれた車と違うだけで、“ああ、なるほど、ブレーキとアクセルを間違えて・・・”、とやる事故について、理解できたのが収穫だった。

昔は、なんでも運転できた。

あと、3年で返上したいと思っている。


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