エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

ひさしぶりの宝ヶ池散歩

2015年12月09日 | 雑感

2015年12月7日

  久しぶりに家内と宝ヶ池に散歩にいった。

40年以上週4日くらい走っていたのだが、去年11月の肺の手術で入院以来走ったことはない、というより宝ヶ池にあまり行くことはなくなった。走ることもできるのだがその気になれなかった。

 家から出て、子供の楽園の横を通る。

夕日に照らされた黄色がきれい、そして

比叡山がきれいだ。

 

宝ヶ池に入ると夕日がまぶしい。

 

池を右側に廻る。カモがたむろして遊んでいる。そばの岸辺でただ一人アヒルがいる。このアヒル、前には連れ合いがいて、カモをたびたびいじめていて家内が怒っていたが、いつのまにか連れ合いをなくして一人になった。

こうなるとかわいそうだ。

 

ジョギング休憩で、いつも最後に座る池の奥の階段から比叡山・国際会議場をみる。

 

この終点広場には馬の群像がある。これはガダラハラエスピーダ野生馬真鍮像といって、メキシコ第二の都市グアダラハラ市と京都市が1980年に姉妹都市となったことを記念して、1990年建てられたものらしい。

 今年は紅葉の出来がさんざんと云われているが、それでも結構きれいだ。

なにかわからない赤い木が野生馬像のそばにある。これもきれいだ。

 

そして帰り道がどんどん紅葉できれいになっていった。

 

 

そして、最後は、比叡山より、紅葉より、なによりもきれいな家内の写真で締めくくる。


“千本釈迦堂の大根炊き”は振舞うのか、それとも代価と引き換えに提供するのか

2015年12月08日 | 雑感

2015年12月7日

 

京都上京の千本釈迦堂で年末に無病息災を願って“大根炊きがふるまわれる”。

その大根煮を食べると中風除け・厄除けになるらしい。

毎年その記事が新聞の市民版に出るが、ごく最近までずっと、“大根炊きがふるまわれる”という表現が使われていた。

しかし“ふるまわれる”には1000円が必要だ。この“ふるまう”という表現が前から私は気にいらなかった。

もうちょっとましな書き方をしてほしい。まあ、寺側がそういう表現をつかっているなら記者としては仕方がないのかもしれないが。

 「ふるまうというなら無料でやりなさい、しかも大根二切れで1000円は法外だ」

 我々が行く飲み屋ならK子さんがおでんの大なべから大根二切れをとってくれてカラシときざみネギを添え、さらに熱燗一本がついて1000円でおつりがくる。楽しい会話をしてくれるという点ではK子さんの大根炊きのほうがご利益がある。

いずれにしても“ふるまう”というおかしげな表現を使うな、というのが私の意見だった。

2年ほど前かな、12月7日のある夕刊に、大根炊きの記事が写真入りで出た。

近所のおばさんだろうか、二人で鍋から客に大根が入ったお椀をわたしている。  

 

以下、新聞記事の概要だ。

  京都市上京区の千本釈迦堂(大報恩寺)で、7日にお供えの大根を炊いて無病息災を祈る「大根だき」が行われた。

 釈迦が悟りを開いた日にちなんで鎌倉時代に当寺の住職が大根に釈迦の名を梵字で書いて厄よけとしたのが始まり。大根5千本を用意して昆布だしとしょうゆで炊き、参拝客に振る舞った。8日も朝10時から千円で授ける。

 

 これを読んだすぐあとで、この問題について議論した友人のMからスカイプが入った。ネットで大根炊きの記事を見たので連絡してきたという。

  写真を見ると大根だけではなくて油揚げも入っているから大根だけよりはましだ。しかし参拝客に差し出されたお椀の中の大根と油揚げの量をみると、やはり1000円は高すぎる。記事には5千本の大根としか書いていないが、Mが調べたネットでは、一万五千食という。大根の値段を差し引いても、たった二日でものすごい利益だ。

 ということで、我々二人の感想は、「えらいこっちゃな!」

「食べている人が納得しているから、“ふるまう”でも、まあ、ええのかな」ということにはなったが。

記事の最後の“授ける”という文句に関しては、二人とも苦笑するより仕方なかった。

 

ところで、

今日、釈迦堂の大根炊きの記事が同じ新聞の夕刊にあった。そこにはもはや“ふるまう”という言葉はない。

「染みるぬくもり」と題された記事、原文のまま。

二十四節気で雪が降り積もるとされる「大雪」の7日、京都市上京区の「千本釈迦堂」(大報恩寺)で、お供えの大根を炊いて無病息災を願う「大根だき」が始まった。直系1メートルほどの大鍋で、輪切りにされた大根と油揚げが、醤油と昆布だしでじっくりと焚かれた。参拝者らは湯気の立つ熱々の大根をほおばり、体をあたためていた。

 8日も午前10時から1杯千円で提供され、2日間で約4千本の大根を炊く。

これでまともな文章になった。私のフラストレーションも解消だ。


タロウの作文

2015年12月07日 | 雑感

2015年12月7日

 

昔の話だ。

 

家内が家の中を整理していたら、息子の小学校3年のときの作文が出てきた。

息子タロウの担任だったA先生は熱心な先生で、生徒が書いた作文を一冊の本にまとめてくれていた。

(1) - タロウの作文

                          「にごい・こいににた魚」

 きのうぼくは〇〇君といっしょに△△君の家に行った。

そしてみんなで宇治川に行った。 おじさんがつりをしていて、ぼくたちに、こいににた魚をくれた。

ぼくたちはその魚をビにールのふくろにいれてみんなでいっしょにもって帰った。はかったら55センチもあった。その魚は僕がもらってかえった。あまり重いので△△君もいっしょについてきてくれた。

 お母さんは魚がきらいなので「ベランダにおいといて」といった。お父さんが帰ってきたので魚を見せたら「かわいそうに死にかけている」といいました。でも魚が大きすぎるので魚を入れるいれものがありません。お父さんが「おふろに入れたらいい」といったので、おふろに水をいれてお父さんが魚をその中に入れて、気つけ薬のしおを入れた。魚はちょっと元気になっておふろに住んでいる。川ににがすまでいきていればいいのにな、と思う。

お母さんはぼくたちのかわりに魚がおふろに入っているので、「あんたたち魚にへんしんするかもしれへんよ」といった。

  

宇治黄檗山万福寺の開版(かいぱん:法事、食事の時にたたかれる)

 

(2) - お父さんの説明

何日か覚えていないが風呂に入れずシャワーだけですごした。しかし川に逃がす前に、にごいは死んでしまった。

 そのタロウの作文の隅に家内が返事をかいている。先生がコピーしてくれたのは生徒の親の感想も書き込んだものだ。それを読み返した家内は“30年前の自分がいやになるわ”とその身勝手な言い草を恥じていた。

   

                                             (3) - 母さんのタロウへの返事

 お母さんがおくびょうだったので、結局、さかなは死んでしまいました。大きな大きな穴をほってさかなに“ごめんなさい”と言いました。

いのち、大切にしないといけませんね。

                             お母さんより


ある日の会話「柱」

2015年12月07日 | 雑感

2015年12月7日

 

ある日の家内との会話だ。

家内が、「お父さんは大黒柱やからね」と言った。

なにがきっかけだったかは忘れたが、私のことを大事にしなければならないという話だ。

私は退職して久しい。「それって、年金柱の間違いやないの?」と私は言った。

 家内は笑って納得したが、言い返してきた。「私は人柱だからね」

今度は私が納得する番だ。

私自身は仕方ないにしても、むつかしい姑、更に外野席の姉・妹などからの過干渉というな環境の中に30年あまりほり込まれてきた家内の心からの述懐だ。

 わたしはこの写真程度の柱でさえない。


宇宙ステーションでの散髪

2015年12月06日 | 雑感

2015年12月6日

 

これは5年ほど昔(2010年3月18日)に書いた文だ。

 昨日、高校時代からの友達Mがある散髪屋にいった。ここは整髪だけやっていて、1000円と安い。彼には髪型などどうでもいい。

 彼を受け持ったのは、40歳ちょっと前と思われる店長だった。

「どれくらいの長さにしましょうか」、というので、「前の長さがわかるのなら、それくらいに」と言った。

こういう発想、つまり“前の長さがわかるのなら・・・”というような非凡な聞き方をするのが、Mの優れた、理論好きかつ、しつこい点で、我々には真似られない。

この質問が妥当だった証拠に、店長は「前はいつ切ったんですか」と聞き返してきた。

「1ケ月と1週間ほど前」

それなら、と店長はハサミを入れだした。

なにを目安にするのかと聞くと、

<髪は大体1ケ月で、1センチほどのびる>とのこと。そして、<それも昼のほうがよく伸びる>とつけくわえた。

「それやったらずっと寝てるとあまり伸びませんね」

「まあ、徹夜なんかもありますし・・・」とわけのわからない話となる。

 

なにかの拍子で、ハゲの話になった。Mはもうすぐ70だが立派に髪はある。ただ若干このごろ額のほうに寂しさが感じられる。

<どうして頭の横や後より、おでこや、てっぺんのほうが早くはげるのか>、と聞くと<ホルモンの関係でしょう>

<てっぺんと横とで違うホルモンが出るわけはない>、そう言うと、店長は説明を変えた。

「てっぺんのほうに分泌された栄養分が、重力でじわじわ下に落ちてきて、栄養分がなくなって頭皮が硬くなって、毛が育たんようになるんでしょうね」 「それなら逆立ちして生活したらどう? 重力のない宇宙ステーションで生活してたら、ハゲないのとちがいますか」というと、「そうかもしれません」と笑いながら店長は言う。店長はどんなくだらない客とも対応しなければならない。

 M、まともな質問にもどす。

「高い養毛剤なんかふりかけてもろくなことない、かえって害になるのとちがいますかか?そんなことより、頭をもんで頭皮をやわらかくしたらいいんじゃないか」というと、

「はあ、実はわたし、それやってるんです」という言葉が返ってきた。

 これは正しい、私の父は母にいつもマッサージさせて薄い髪の毛を保っていた。表皮と頭蓋骨の間の隙間がせまければ、栄養の悪い畑のようなものだから毛は育たない。いとこの一人は私の父の言葉を一途にまもってマッサージを続け、「だから、これだけもっている」といつも自慢する。

私は面倒くさいからそういうことをせず、祖父あるいはそれ以前の先祖の遺伝子が好き勝手に振舞うにまかせてきた。だから今はちょっとうっとおしいなと思ったら、家内にカミソリをあててもらい、手のひら1/3にも満たない毛をきるだけでことがすむ。散髪屋に行くのがめんどくさいし安上りで、これが唯一のハゲの効用だ。むろん、わたしも頭髪の形などどうでもいい。頭髪がほとんどないより、頭の中身がほとんどないほうが大変だ。しかし、この頃とみに中身のほうも少なくなってきたのを感じる。 

                                      

散髪が終わり、店長はMの頭や首などに飛び散った毛を掃除機で吸い取り始めた。 

そのときまた、<宇宙ステーションではどういう風に散髪するのだろう、長期滞在なら散髪をしなければならないはずだ>という、とどめもないMの思考癖が始まった。

店長に聞こうかと思ったが、たくさんの客があとに待っているし、どうせろくな返事しか返ってこないだろうからやめたという。

正解だ。店長の答えはでたらめだし、Mの質問もでまかせで愚問だらけだ。

この間10分くらい。この短い間にこれだけの会話があった。

 

Mと一緒に山に行くと、途中出会った人に彼は必ずくらいついて話しかける。その好奇心・話題の広さ・理屈好き、話好きにはつくづく感心する。

彼を1週間ほど独房にとじこめておけば発狂するのではないだろうか。

 

 ちなみに、宇宙での散髪は吸引機つきバリカンでやるそうだ。ネットで調べたところ、若田さんが宇宙ステーションでやったという記事があったとMからメール。日本人では彼が宇宙での散髪第一号らしかった。(2009年4月8日 読売新聞)