2015年12月6日
これは5年ほど昔(2010年3月18日)に書いた文だ。
昨日、高校時代からの友達Mがある散髪屋にいった。ここは整髪だけやっていて、1000円と安い。彼には髪型などどうでもいい。
彼を受け持ったのは、40歳ちょっと前と思われる店長だった。
「どれくらいの長さにしましょうか」、というので、「前の長さがわかるのなら、それくらいに」と言った。
こういう発想、つまり“前の長さがわかるのなら・・・”というような非凡な聞き方をするのが、Mの優れた、理論好きかつ、しつこい点で、我々には真似られない。
この質問が妥当だった証拠に、店長は「前はいつ切ったんですか」と聞き返してきた。
「1ケ月と1週間ほど前」
それなら、と店長はハサミを入れだした。
なにを目安にするのかと聞くと、
<髪は大体1ケ月で、1センチほどのびる>とのこと。そして、<それも昼のほうがよく伸びる>とつけくわえた。
「それやったらずっと寝てるとあまり伸びませんね」
「まあ、徹夜なんかもありますし・・・」とわけのわからない話となる。
なにかの拍子で、ハゲの話になった。Mはもうすぐ70だが立派に髪はある。ただ若干このごろ額のほうに寂しさが感じられる。
<どうして頭の横や後より、おでこや、てっぺんのほうが早くはげるのか>、と聞くと<ホルモンの関係でしょう>
<てっぺんと横とで違うホルモンが出るわけはない>、そう言うと、店長は説明を変えた。
「てっぺんのほうに分泌された栄養分が、重力でじわじわ下に落ちてきて、栄養分がなくなって頭皮が硬くなって、毛が育たんようになるんでしょうね」 「それなら逆立ちして生活したらどう? 重力のない宇宙ステーションで生活してたら、ハゲないのとちがいますか」というと、「そうかもしれません」と笑いながら店長は言う。店長はどんなくだらない客とも対応しなければならない。
M、まともな質問にもどす。
「高い養毛剤なんかふりかけてもろくなことない、かえって害になるのとちがいますかか?そんなことより、頭をもんで頭皮をやわらかくしたらいいんじゃないか」というと、
「はあ、実はわたし、それやってるんです」という言葉が返ってきた。
これは正しい、私の父は母にいつもマッサージさせて薄い髪の毛を保っていた。表皮と頭蓋骨の間の隙間がせまければ、栄養の悪い畑のようなものだから毛は育たない。いとこの一人は私の父の言葉を一途にまもってマッサージを続け、「だから、これだけもっている」といつも自慢する。
私は面倒くさいからそういうことをせず、祖父あるいはそれ以前の先祖の遺伝子が好き勝手に振舞うにまかせてきた。だから今はちょっとうっとおしいなと思ったら、家内にカミソリをあててもらい、手のひら1/3にも満たない毛をきるだけでことがすむ。散髪屋に行くのがめんどくさいし安上りで、これが唯一のハゲの効用だ。むろん、わたしも頭髪の形などどうでもいい。頭髪がほとんどないより、頭の中身がほとんどないほうが大変だ。しかし、この頃とみに中身のほうも少なくなってきたのを感じる。
散髪が終わり、店長はMの頭や首などに飛び散った毛を掃除機で吸い取り始めた。
そのときまた、<宇宙ステーションではどういう風に散髪するのだろう、長期滞在なら散髪をしなければならないはずだ>という、とどめもないMの思考癖が始まった。
店長に聞こうかと思ったが、たくさんの客があとに待っているし、どうせろくな返事しか返ってこないだろうからやめたという。
正解だ。店長の答えはでたらめだし、Mの質問もでまかせで愚問だらけだ。
この間10分くらい。この短い間にこれだけの会話があった。
Mと一緒に山に行くと、途中出会った人に彼は必ずくらいついて話しかける。その好奇心・話題の広さ・理屈好き、話好きにはつくづく感心する。
彼を1週間ほど独房にとじこめておけば発狂するのではないだろうか。
ちなみに、宇宙での散髪は吸引機つきバリカンでやるそうだ。ネットで調べたところ、若田さんが宇宙ステーションでやったという記事があったとMからメール。日本人では彼が宇宙での散髪第一号らしかった。(2009年4月8日 読売新聞)