2018年8月3日
昨日ブログで出した、“雪や、こんこん”、だ。
“雪やコンコン、あられやコンコン、ふっても、ふってもまだ降りやまず、イヌはよろこび庭かけまわり、ネコはこたつで丸くなる。
なつかしい童謡で、イヌは寒さに強く、ネコは寒さに弱い。 みな納得して歌っていた”。 と、ここまでは、昨日のブログだ。
私はブログを書いているのは誰にも言っていない。しかし、二、三、の友達には、“私の駄日記”、と称して彼らが関係するものを、時々送っている。
今回は高校の山岳部の山小屋で、今年はヒルがでないこと、それと、小屋に至る林道が大雨でズタズタにされた天候異変があったので小屋仲間のMに、“雪や、こんこん”、の文を送った。
すると、Mからスカイプ通話が来た。
「灯油を売りに来ている車の宣伝の歌、”雪やコンコ、あられやコンコ・・・“やで?”コンコン“、は間違うてるのやないんか?」。
そして、会話の途中にネットで調べたデーターを送ってくれた。
たしかに、1901年、滝廉太郎作曲、東くめ作詞では“こんこん”、だったが、1911年の文部省唱歌では、“こんこ”、になっている。
私としては、どうでもいい。
この文の主眼は、長い付き合いのこのMの探求心旺盛というか、面白いしつこさだ。以下は前に書いたものだ。
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「宇宙ステーションでの散髪」
2010年3月18日
昨日、Mはとあるスーパーの散髪屋にいった。ここは整髪だけやっていて、1000円と安い。かなり客が入っていた。
Mを受け持ったのは、40歳ちょっと前と思われる店長だった。
「どれくらいの長さにしましょうか」、というので、「前の長さがわかるのなら、それくらいに」と言った。
こういう発想、つまり“前の長さがわかるのなら・・・”というような非凡な聞き方をするのがMの優れた、理論好きかつ、しつこい点で、我々には真似られない。
この質問が妥当だった証拠に、店長は「前はいつ切ったんですか」と聞き返してきた。
「1ケ月と1週間ほど前」
それなら、と店長はハサミを入れだした。なにを目安にするのかと聞くと、
<髪は大体1ケ月で、1センチほどのびる>とのこと。そして、<それも昼のほうがよく伸びる>とつけくわえた。
「それやったらずっと寝てるとあまり伸びませんね」
「まあ、徹夜なんかもありますし・・・」とわけのわからない、というかくだらない話となる。
なにかの拍子で、ハゲの話になった。Mは70に近いが立派に髪はある。ただ若干このごろ額のほうの寂しさが感じられる。
<どうして頭の横や後より、おでこや、てっぺんのほうが早くはげるのか>、と聞くと<ホルモンの関係でしょう>
<てっぺんと横とで違うホルモンが出るわけはない>、そう言うと、店長は説明を変えた。
「てっぺんのほうに分泌された栄養分が、重力でじわじわ下に落ちてきて、栄養分がなくなって頭皮が硬くなって、毛が育たんようになるんでしょうね」
「それなら逆立ちして生活したらどう? 重力のない宇宙ステーションで生活してたら、ハゲないのとちがいますか」というと、「そうかもしれません」と笑いながら店長は言う。店長はどんなくだらない客とも対応しなければならない。
M、まともな質問にもどす。
「高い養毛剤なんかふりかけてもろくなことない、かえって害になるのとちがいますか?そんなことより、頭をもんで頭皮をやわらかくしたらいいんじゃないですか」というと、
「はあ、実はわたし、それやってるんです」という言葉が返ってきた。
これは正しい、私の父は母にいつもマッサージさせて薄い髪の毛を保っていた。表皮と頭蓋骨の間の隙間がせまければ、栄養の悪い畑のようなものだから毛は育たない。
私は面倒くさいからそういうことをせず、祖父あるいはそれ以前の先祖の遺伝子が好き勝手に振舞うにまかせてきた。
むろん若い頃はおおいに屈託があったが、そのうち事態を素直に受け入れるようになった。毛髪がほとんどないより、頭の中身がほとんどないほうが大変だ。
しかし、この頃とみに中身のほうも少なくなってきたのを感じる。
散髪が終わり、店長はMの頭や首などに飛び散った毛を掃除機で吸い取り始めた。
そのとき、また、<宇宙ステーションではどういう風に散髪するのだろう、長期滞在なら散髪をしなければならないはずだ>という、とどめもないMの思考癖が始まった。
店長に聞こうかと思ったが、たくさんの客があとに待っているし、どうせろくな返事しか返ってこないだろうからやめたという。
正解だ。店長の答えはでたらめだし、Mの質問もでまかせで愚問だらけだ。
この間10分。この短い間にこれだけの会話があった。
Mと一緒に山に行ったりすると、途中出会った人に彼は必ずくらいついて話しかける。その好奇心・話題の広さ・理屈好き、話好きにはつくづく感心する。
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