このように、ヨーロッパの作家は芸術と興行との融合的妥協でかろうじて芸術の存在を残し、
アメリカにおける映画芸術は興行絶対主義によって押しつぶされていきました。
また、トーキーやカラーの出現が映画芸術を衰退させた最大の要因かもしれません。
トーキー(talking picture)は物語をわかりやすく進行させる最大のツールとなり、映像美学よりも劇映画が主体になっていきます。
これまでの映像による感情表現や状況説明は、ナレーションや俳優の台詞ですまされ、新たなる映像表現手法を阻害してしまいました。
カラー映像は自然美をとらえる最大のツールでありながら、モノクロの芸術的な瑞々しい陰影美を超えることができませんでした。
映画史の流れを振り返ってみれば、この時期が映画芸術の実質的な終焉であったのかもしれません。
さらに、第二次世界大戦後 自由の国であるはずのアメリカで、レッドパージのために映画人の表現の自由が奪われる時代がありました。
ハリウッドは共産主義者の温床だと告発されて多数の映画人が追放されています。
チャールズ・チャップリン監督『殺人狂時代(1946)』
(チャップリンも作風が容共的と激しく非難され、レッドパージにより国外追放された。)
1960年代の後半になると、カラーテレビの普及に押されて 世界の映画産業全体が衰退し、生き残るすべとして
娯楽化が一層激しくなり、1970年になると、映画から芸術の香りが消え、第七芸術と称された映画は消滅していくことになります。
ATGですら、1970年以降に制作された外国映画の輸入も全くと言っていいほどなくなってしまいました。
このことは、ATGが1970年に芸術的な外国映画は死滅したことを証明しているように思えます。
『1970年に芸術映画は死んだ』というのが私の結論です。
残念ながら、それ以降は真剣に映画を観る気持ちも薄れ、映画館に足を運ぶことも少なくなりました。
映画は音声を、さらには色彩をも得て、近代においてはCGによる加工や3Dなど、総合芸術として大きく羽ばたける最高の条件は整っているのですが、商業的娯楽物でしかないのが誠に残念です。