上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。本名は上村 津禰(うえむら つね)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。明治の京都下京(しもぎょう)に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受賞。
竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。本名は恒吉。最初は棲鳳と号した。霞中庵の号もある。動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。
「序の舞」上村松園(昭和11年 絹本着彩、掛幅) 「アレ夕立に」竹内栖鳳(明治12年 絹本着彩、掛幅)
北向観音(きたむきかんのん)は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院。近隣にある天台宗常楽寺が所有・管理。
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれています。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。
北向山観世音御本堂(平成) 北向山観世音御本堂(大正)
北向山御本堂側面(平成) 北向山御本堂側面(大正)
正式名称/別称 北向山 常楽寺 温泉薬師瑠璃殿 懸造りの直下、文人墨客の石碑が立ち並ぶ
規模 斜面部:自然懸崖 懸造り部:木造 桁行三間 梁間四間 貫四段 懸崖型凸型 上屋部:木造 入母屋造り唐破風付 瓦葺き 桁行三間 梁間三間 勾欄付廻縁
瑠璃殿(平成) 瑠璃殿(大正)
平成26年1月9日 別所北向観音に初詣(遅ればせながら)今年一年の無病息災を祈念
平成の観音堂、瑠璃殿と大正の絵葉書(観音堂、瑠璃殿)を並べて掲載展示してみました。 写 楽 老 人
竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。本名は恒吉。最初は棲鳳と号した。霞中庵の号もある。動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。
「序の舞」上村松園(昭和11年 絹本着彩、掛幅) 「アレ夕立に」竹内栖鳳(明治12年 絹本着彩、掛幅)
北向観音(きたむきかんのん)は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院。近隣にある天台宗常楽寺が所有・管理。
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれています。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。
北向山観世音御本堂(平成) 北向山観世音御本堂(大正)
北向山御本堂側面(平成) 北向山御本堂側面(大正)
正式名称/別称 北向山 常楽寺 温泉薬師瑠璃殿 懸造りの直下、文人墨客の石碑が立ち並ぶ
規模 斜面部:自然懸崖 懸造り部:木造 桁行三間 梁間四間 貫四段 懸崖型凸型 上屋部:木造 入母屋造り唐破風付 瓦葺き 桁行三間 梁間三間 勾欄付廻縁
瑠璃殿(平成) 瑠璃殿(大正)
平成26年1月9日 別所北向観音に初詣(遅ればせながら)今年一年の無病息災を祈念
平成の観音堂、瑠璃殿と大正の絵葉書(観音堂、瑠璃殿)を並べて掲載展示してみました。 写 楽 老 人
北向観音の大正時代の絵はがきと並べられる撮影技、すばらしいです。