写楽老人写真館!

葛飾北斎は晩年「画狂老人北斎」と画号にしたとの事、私も「老いても写真に楽人で有りたい」と思います。

品川宿・江戸文学散歩[3]

2014-06-17 11:10:50 | ぶらり散歩
 富岡鉄斎(とみおか-てっさい) 1837-1924 明治-大正時代の日本画家。天保(てんぽう)7年12月19日生まれ。国学,漢学,仏教,詩文をまなぶ。勤王家とまじわり,維新後,各地の神社の宮司となる。明治14年郷里の京都にかえり,読書と画業に専念。自由奔放で独自な文人画の世界をきりひらいた。帝室技芸員,帝国美術院会員。大正13年12月31日死去。89歳。名は猷輔,百錬。字(あざな)は無倦(むけん)。別号に鉄崖,鉄史。作品に「旧蝦夷(えぞ)風俗図」など。
 橋本雅邦(はしもとがほう)1835-1908 日本画家。江戸生まれ。本名,長郷。狩野派を学ぶが,フェノロサ・岡倉天心の指導を受け,狩野芳崖とともに新しい日本画の創造に尽力。東京美術学校・日本美術院の創立に参加,横山大観などの後進の育成にあたった。代表作「白雲紅樹図」「竜虎図屛風」など。

  「しゅうしゃいとう図」富岡鉄斎(大正6年)絹本着彩、額装       「白雲紅樹」橋本雅邦(明治23年)紙本着彩、掛幅
       

 品川宿(しながわしゅく、しながわじゅく)は、東海道五十三次の宿場の一つ。東海道の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。慶長6年(1601年)に中世以来の港町、品川湊の近くに設置され、北宿、南宿、新宿にわかれていた。場所は、現在の東京都品川区内で、京急本線の北品川駅から青物横丁駅周辺にかけて広がっていた。目黒川を境に、それより北が北品川、南が南品川とされた。

 「品川 日乃出」歌川広重 『東海道五十三次』 より御殿山の麓を通過する大名行列の最後尾を描いている。聖跡公園(本陣跡)内の地面に設置して有ります。
           


       


      


      


            


         


     品川神社内に有ります富士塚(富士山信仰)に登山、登頂をきわめる。

          下山して浅間神社に参拝し、御利益に与る・・・上田にて無事の帰りと厄落とし(日本酒熱燗で一杯)    写 楽 老 人



 

羽生パーキング江戸文学散歩[2]

2014-06-14 13:58:17 | ぶらり散歩
 川合玉堂(かわいぎょくどう) 1873‐1957(明治6‐昭和32)日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。

    「彩雨」川合玉堂(昭和15年)絹本着彩、掛幅
       

 NEXCO東日本(東日本高速道路)は2013年12月19日10時、東北自動車道 上り線の羽生PA(パーキングエリア)を「鬼平江戸処」としてリニューアルオープンする。羽生PA(上り)にオープンする鬼平江戸処は、故池波正太郎氏の人気小説「鬼平犯科帳」の世界を表現したPA。鬼平犯科帳の著作権を管理する「オフィス池波」と提携して実現した企画で、同作品が描き出す江戸の世界観を表現しているという。江戸時代に日光街道の要衝であり、江戸の入り口となる「栗橋関所」が設けられていた埼玉県久喜市栗橋北が羽生PAから近いことから、羽生PAを現代の関所に見立てたところから発案されたという。鬼平江戸処は2010年6月にオープンしたNEXCO東日本の関越自動車道 寄居PA(上り)「寄居 星の王子様PA」に続き、2つめの「テーマ型エリア」となる。

    「鬼平江戸処」羽生パーキング・テーマパーク
      

   江戸の町並み再現
     


     


     


     


     


         


       


    江戸文学散歩(池波正太郎真田太平記館・主催)六月初旬に参加

           鬼平犯科帳、小説に登場するであろう町並み散策し、寿司弁当を食す

                  気分は長谷川平蔵そのもの・・・今宵は熱燗、刺身で一献としますか         写 楽 老 人

        

東京タワー江戸文学散歩 [1]

2014-06-08 09:36:52 | ぶらり散歩
 松岡映丘(まつおか・えいきゅう)1881(明治14)~1938(昭和13)神崎郡福崎町に生まれる。本名輝夫。民俗学者柳田國男は実兄である。狩野派の橋本雅邦に学んだが、大和絵の研究を志して住吉派の山名貫義の門下に入った。明治32年東京美術学校日本画科に入学。同37年首席で卒業する。明治41年から昭和10年に至るまで同校で教鞭をとり、現代日本画壇を代表する作家を次々と世に送り出した。この間文展、帝展に出品し、たびたび特選を受賞。伝統的な大和絵に近代的な性格を付与し、新しい大和絵を創造した功績は大きい。

  「右大臣実朝」松岡映丘(昭和7年)紙本着彩、額装
      


 東京タワー(とうきょうタワー、英: TOKYO TOWER)は東京都港区芝公園4丁目2-8にある集約電波塔である。1958年10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。東京のシンボル・観光名所として知られる。正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。

      



         



         


         ALWAYS 三丁目の夕日、重要な場面の背景に必ず夕日に染まった東京タワー

             感動的でDVD繰り返し何回見た事か、図らずも江戸文学散歩の時間調整のため見学しました。      写 楽 老 人