写楽老人写真館!

葛飾北斎は晩年「画狂老人北斎」と画号にしたとの事、私も「老いても写真に楽人で有りたい」と思います。

盆踊り(木曽ぶし)

2013-08-14 13:59:33 | コレクション
  ぼんおどり【盆踊り】
 盂蘭盆(うらぼん)の前後に老若男女が多数集まっておどる踊り。年に一度この世に戻ってくる精霊を迎え,また送るための風習に発したもの。現在では信仰性は失われ,多くは娯楽的な踊りとなっています。

       

 木曽踊りは木曽義仲公の戦勝を記念した霊祭のときに踊られた武者踊りが始まりと言われており、興禅寺境内には「木曽踊発祥之地の碑」があります。現在でも木曽の人々に多く親しまれ、お祭りの終わりにみんなで輪になって踊るのが恒例になっています。毎年8月には木曽福島で木曽踊りのイベントが行われます。

       



       



       


   木曽踊り    歌詞

    ○木曽のナーなかのりさん 木曽の御嶽ナンチャラホイ 夏でも寒いヨイヨイヨイ
      袷(あわしょ)ナーなかのりさん 袷やりたやナンチャラホイ 足袋ょ添えてヨイヨイヨイ

    ○心ナーなかのりさん 心細いよナンチャラホイ 木曽路の旅はヨイヨイヨイ
      笠にナーなかのりさん 笠に木の葉がナンチャラホイ 舞いかかるヨイヨイヨイ

    ○月はナーなかのりさん 月は傾くナンチャラホイ 夜はしんしんとヨイヨイヨイ
      館ナーなかのりさん 館館でナンチャラホイ 鳥が鳴くヨイヨイヨイ

    ○木曽のナーなかのりさん 木曽の名木ナンチャラホイ 檜にさわらヨイヨイヨイ
      ねずにナーなかのりさん ねずにあすひにナンチャラホイ こうやまき

    ○踊りナーなかのりさん 踊りましょぞえナンチャラホイ 踊らせましょぞヨイヨイヨイ
      月のナーなかのりさん 月の山端にナンチャラホイ かぎるまでヨイヨイヨイ

    ○木曽のナーなかのりさん 木曽の山寺ナンチャラホイ 今鳴る鐘はヨイヨイヨイ
      昔ナーなかのりさん 昔ながらのナンチャラホイ 初夜の鐘ヨイヨイヨイ

    ○木曽のナーなかのりさん 木曽の名所はナンチャラホイ 桟(かけはし)寝覚ヨイヨイヨイ
      山でナーなかのりさん 山で高いはナンチャラホイ 御嶽(みたけ)山ヨイヨイヨイ

    ○男ナーなかのりさん 男伊達ならナンチャラホイ あの木曽川のヨイヨイヨイ
      流れナーなかのりさん 流れくる水ナンチャラホイ 止めてみよヨイヨイヨイ

    ○三里ナーなかのりさん 三里笹山ナンチャラホイ 二里松林ヨイヨイヨイ
      嫁御ナーなかのりさん 嫁御よく来たナンチャラホイ 五里の道ヨイヨイヨイ

    ○木曽でナーなかのりさん 木曽で生まれたナンチャラホイ なかのりさんはヨイヨイヨイ
      可愛ナーなかのりさん 可愛がられてナンチャラホイ 都までヨイヨイヨイ


        盂蘭盆会  一昔前(大正時代)の木曽踊り(なかのりさん)絵葉書で

                  当時の様子がしのばれたら幸いです・・音頭取りの声が聞こえてきそう            写 楽 老 人







大星神社 ぶらり散歩[1]

2013-08-01 09:07:01 | ぶらり散歩
  大 星 神 社 (おうぼしじんじゃ) 旧県社上田神社
 御祭神 建御名刀美命(たけみなかたのみこと)・前八坂刀賣命(さきのやさかとめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)
長野県上田市中央北3-4-1にあり、上田駅の北2Kmほどの中央北に鎮座。18号線と18号バイパスの中間あたり、北小学校の北側に広い境内がある。上田城の北東にあり、上田市のシンボル太郎山の南麓にあって上田の鎮守の社であり、明治期には上田神社と称した神社であります。
境内入口は道路に面して東向き、鳥居をくぐり参道を進んで右に曲がり参道を北上します、途中に石鳥居や朱の鳥居があり、参道は100m近くあり、参道の正面に瓦葺入母屋造の堂々とした拝殿があり、拝殿の後方、朱の板垣に囲まれた朱の本殿がある。(本殿の形は流造、屋根は銅板葺き)
現在の社殿は、寛保元年、出羽国上山城主松平山城守信将が再建したもの(信将は上田城で生まれたらしい)明治六年村社に列し、明治十一年大星明神を上田神社と改称して郷社に昇格。昭和二年県社に昇格し、昭和十六年、上田神社を大星神社と改めました。

  県社上田神社境内全景(明治)               県社上田神社境内全景(大正)
      

             大星神社拝殿(現在)
                

  県社上田神社大鳥居(明治)                県社上田神社大鳥居(大正)
    
 

  大星神社大鳥居(現在)
      


  県社上田神社拝殿正面(明治)               県社上田神社拝殿正面(大正)
    


  大星神社参道(現在)             大星神社拝殿正面(現在)              大星神社拝殿
        


  双 子 塚 古 墳
市指定記念物(史跡)文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する
     
 一、 種別 記念物(史跡)                
 一、 名称 二子塚古墳
 一、 所在地 上田市大字上田字秋葉裏二四九八番地     
 一、 指定年月日 昭和四十三年四月二十五日
 前方部を北西五十度に向け後円部は南東五十 度におく後円部は秋葉社奉祝(宝永年中)にため東部北西部は石垣積みとし頂部平坦面で外形不 完全ながら楕円形に残っている。前方部は上部を 石垣積みとなし二子明神を祠り(今はない)原形を甚しく 変えている殊に後円部前方部のくびれの封を削り 移し原形は判然としない。東北に周湟の跡を残している 培塚を推定五基持つ古墳時代中期のものとして 原形は甚しく変形しているが小県、佐久地方唯一の前方 後円墳として貴重なものである。後円部(径)二十二メートル高さ四メートル長軸四十八メートル前方部(巾)十八メートル高さ四メートル
 保存上の注意
○ 墳丘上の樹木を伐採し封土の崩壊を防ぐこと    ○ 墳丘外の樹木を伐採することを禁ず
○ 指定文化財周辺の環境を整理整とんすること    ○ 許可なく現状変更を禁ず          -境内案内板-

    


    明治・大正時代の絵葉書と現在の写真で比較しようと思い

              大星神社周辺、ぶらり散歩と決め込み出かける、生茂る木立の中、涼しい事かくべつ             写楽 老 人