大 星 神 社 (おうぼしじんじゃ) 旧県社上田神社
御祭神 建御名刀美命(たけみなかたのみこと)・前八坂刀賣命(さきのやさかとめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)
長野県上田市中央北3-4-1にあり、上田駅の北2Kmほどの中央北に鎮座。18号線と18号バイパスの中間あたり、北小学校の北側に広い境内がある。上田城の北東にあり、上田市のシンボル太郎山の南麓にあって上田の鎮守の社であり、明治期には上田神社と称した神社であります。
境内入口は道路に面して東向き、鳥居をくぐり参道を進んで右に曲がり参道を北上します、途中に石鳥居や朱の鳥居があり、参道は100m近くあり、参道の正面に瓦葺入母屋造の堂々とした拝殿があり、拝殿の後方、朱の板垣に囲まれた朱の本殿がある。(本殿の形は流造、屋根は銅板葺き)
現在の社殿は、寛保元年、出羽国上山城主松平山城守信将が再建したもの(信将は上田城で生まれたらしい)明治六年村社に列し、明治十一年大星明神を上田神社と改称して郷社に昇格。昭和二年県社に昇格し、昭和十六年、上田神社を大星神社と改めました。
県社上田神社境内全景(明治) 県社上田神社境内全景(大正)
大星神社拝殿(現在)
県社上田神社大鳥居(明治) 県社上田神社大鳥居(大正)
大星神社大鳥居(現在)
県社上田神社拝殿正面(明治) 県社上田神社拝殿正面(大正)
大星神社参道(現在) 大星神社拝殿正面(現在) 大星神社拝殿
双 子 塚 古 墳
市指定記念物(史跡)文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する
記
一、 種別 記念物(史跡)
一、 名称 二子塚古墳
一、 所在地 上田市大字上田字秋葉裏二四九八番地
一、 指定年月日 昭和四十三年四月二十五日
前方部を北西五十度に向け後円部は南東五十 度におく後円部は秋葉社奉祝(宝永年中)にため東部北西部は石垣積みとし頂部平坦面で外形不 完全ながら楕円形に残っている。前方部は上部を 石垣積みとなし二子明神を祠り(今はない)原形を甚しく 変えている殊に後円部前方部のくびれの封を削り 移し原形は判然としない。東北に周湟の跡を残している 培塚を推定五基持つ古墳時代中期のものとして 原形は甚しく変形しているが小県、佐久地方唯一の前方 後円墳として貴重なものである。後円部(径)二十二メートル高さ四メートル長軸四十八メートル前方部(巾)十八メートル高さ四メートル
保存上の注意
○ 墳丘上の樹木を伐採し封土の崩壊を防ぐこと ○ 墳丘外の樹木を伐採することを禁ず
○ 指定文化財周辺の環境を整理整とんすること ○ 許可なく現状変更を禁ず -境内案内板-
明治・大正時代の絵葉書と現在の写真で比較しようと思い
大星神社周辺、ぶらり散歩と決め込み出かける、生茂る木立の中、涼しい事かくべつ 写楽 老 人
御祭神 建御名刀美命(たけみなかたのみこと)・前八坂刀賣命(さきのやさかとめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)
長野県上田市中央北3-4-1にあり、上田駅の北2Kmほどの中央北に鎮座。18号線と18号バイパスの中間あたり、北小学校の北側に広い境内がある。上田城の北東にあり、上田市のシンボル太郎山の南麓にあって上田の鎮守の社であり、明治期には上田神社と称した神社であります。
境内入口は道路に面して東向き、鳥居をくぐり参道を進んで右に曲がり参道を北上します、途中に石鳥居や朱の鳥居があり、参道は100m近くあり、参道の正面に瓦葺入母屋造の堂々とした拝殿があり、拝殿の後方、朱の板垣に囲まれた朱の本殿がある。(本殿の形は流造、屋根は銅板葺き)
現在の社殿は、寛保元年、出羽国上山城主松平山城守信将が再建したもの(信将は上田城で生まれたらしい)明治六年村社に列し、明治十一年大星明神を上田神社と改称して郷社に昇格。昭和二年県社に昇格し、昭和十六年、上田神社を大星神社と改めました。
県社上田神社境内全景(明治) 県社上田神社境内全景(大正)
大星神社拝殿(現在)
県社上田神社大鳥居(明治) 県社上田神社大鳥居(大正)
大星神社大鳥居(現在)
県社上田神社拝殿正面(明治) 県社上田神社拝殿正面(大正)
大星神社参道(現在) 大星神社拝殿正面(現在) 大星神社拝殿
双 子 塚 古 墳
市指定記念物(史跡)文化財保護条例第五条の規定により左記の通り指定する
記
一、 種別 記念物(史跡)
一、 名称 二子塚古墳
一、 所在地 上田市大字上田字秋葉裏二四九八番地
一、 指定年月日 昭和四十三年四月二十五日
前方部を北西五十度に向け後円部は南東五十 度におく後円部は秋葉社奉祝(宝永年中)にため東部北西部は石垣積みとし頂部平坦面で外形不 完全ながら楕円形に残っている。前方部は上部を 石垣積みとなし二子明神を祠り(今はない)原形を甚しく 変えている殊に後円部前方部のくびれの封を削り 移し原形は判然としない。東北に周湟の跡を残している 培塚を推定五基持つ古墳時代中期のものとして 原形は甚しく変形しているが小県、佐久地方唯一の前方 後円墳として貴重なものである。後円部(径)二十二メートル高さ四メートル長軸四十八メートル前方部(巾)十八メートル高さ四メートル
保存上の注意
○ 墳丘上の樹木を伐採し封土の崩壊を防ぐこと ○ 墳丘外の樹木を伐採することを禁ず
○ 指定文化財周辺の環境を整理整とんすること ○ 許可なく現状変更を禁ず -境内案内板-
明治・大正時代の絵葉書と現在の写真で比較しようと思い
大星神社周辺、ぶらり散歩と決め込み出かける、生茂る木立の中、涼しい事かくべつ 写楽 老 人