仙台戦の翌日、リカバートレーニングを近くの公園でやってから、被災地に支援物資を届けに行ってきました。
初めての被災地訪問。
今回は亘理町へ行きました。
高速道路で向かう途中、仙台でプレーしていたショージにいろいろと話を聞きながら、報道などで見る現場の惨状に言葉が出ませんでした。
この時期、稲が育ち、緑豊かであろう田んぼには、流されてきた木や車などが散乱していて、全く生きた田んぼの状態ではなかったです。
一方、高速道路を挟んで内陸の部分には、稲が育ち、緑豊かな田んぼの姿があるのを見ると、高速道路を挟んだ右と左では、天と地の差がありました。
亘理町の体育館に到着して、支援物資をみんなで手分けして運び、被災地の方たちのお話を少し伺う時間がありました。
その中には、家族を失い、友人を失い、想像を超えるとてつもない経験をされている方もいるにもかかわらず、僕たちに対してそんな素振りは全く見せず、元気に明るく接していただきました。
支援物資が山積みにされている状態を見て、この一つ一つが、本当に困っている方たちにどうか届きますように!と、心から願い、その場を去ることになりました。
そのあと、近くでサッカー大会をやっているということで足を運び、子供たちと触れ合い、元気に走り回る子供たちの姿を見て、こちらが力をもらったような気がしました。
いろんな想いを背負っている中、こうやってグラウンドで駆けまわれる事は、子供たちにとっては大事な時間だと思いますし、そんな元気な姿を見た親御さんたちも、生きる活力になってくれるんじゃないかなと思いました。
その後、すこし時間があったので、海岸線に向かい、一番被害の大きかった現場へと足を運びました。
本当は家々が並び、多くの方たちが住まわれていたであろうその場所には、辛うじて残った家がポツンとあり、そのほかは土台を残して全て流されていました。
その瓦礫の山が海岸沿いにいくつもあり、選手みんな言葉を失いました。
海のそばでは、おじいちゃんやおばあちゃんが漁業に使う網の処理をしていて、その網自体は全く使い物にならないそうなんですが、その一部分のロープだけは、なかなか手に入らないそうで、グチャグチャに縺れている網を解きながら、ロープを取る作業をされていました。
今回、初めて訪れた被災地。
ほんの一部分だと思いますが、想像を超える惨状に、自分たちはもっとやれることがあるんじゃいないかと!
この4カ月の間、もがき苦しみ、僕たちが普通に生活している間も、被災地の方たちは戦ってこられたのだと思うと、本当に心苦しく、今までももっと何か手助けができたんじゃないかなと自分を責める思いに駆られました。
支援活動と一言で言うのは簡単ですが、終わりの見えない、被災地の方たちが普通の生活に戻るその日まで、継続して支援活動していくことを、自分自身、心に誓いました。
「共に頑張りましょう」なんて、実際目で見て、肌で感じて初めて言える言葉だと思います。
今回、亘理町の皆さんと触れ合って、一つの縁が出来たと思います。
末長くお手伝いしていけるように、自分も努力していきたいです。