本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

感受性とは

2008年05月28日 15時57分46秒 | Weblog
私は小学生のとき、成績表の通信欄に、「感受性が強い」と何度も書かれた。
担任の先生は私のどこを見てそう思ったのか、今となっては分からないけれど、それは大人が私という子供を表現するときの常套文句だった。
そしてそれは良いことなのか、悪いことなのか、子供の私には分からなかった。

成長するにつれ思ったのは、今の社会では「感受性が強い」というのはイコール"弱さ"ととらえられる傾向にある、ということ。
一般社会では受け入れられない傾向にある、ということ。

嬉しい、楽しい、は人に受け入れられやすい感情だけれど、"辛い"、"悲しい"、"嫌だ"、"傷ついた"、という感情、それはなかなか人には受け入れられにくい。
人一倍感情の振幅が大きい私は自分でも自分の感情の扱いに苦労し、それでも社会で生きていくために、いつしか自分の感情をコントロールし、理性で行動するよう自分を抑制し、感情を無理に押さえ込んでフタをするようになった。

たぶんそれは私だけではないだろう。どんな人も社会の中で、自分の感情を抑えながら生活しているのだろう。

だけど、その行き過ぎた結果がどうなるか。混雑した電車の中で目がどよんと澱んでいる人たちには、まるで感情が感じられない人が大勢いる。
辛い、苦しい、悲しい、という気持ちを感じると辛いから、自分の弱さを感じたくないから、感じないようにしているのだろう。
でも、それは自分をロボットにしているのと同じことなのだ。
無理に自分の感情を押し殺して生きていると次第に目が澱んでくる、と私は思う。
目の輝きは魂の輝きなのである。
人間を人間らしくさせるもの、それは生き生きとした感情なのだと私は思う。
それは、楽しい、嬉しい、という感情だけではなくて、辛い、悲しい、苦しい、腹が立つ、傷つく、などという人間として当然の感情を受け入れて生きる、ということだと思う。それが人としての本当の強さだと思う。

若い頃、私は電車に乗ったサラリーマンを眺めながら、私は自分の目をあんなふうなどんよりとした目にはしないと心に誓った。

14年働いた職場を辞めるかどうかの選択のとき、このままここで働き続けたら、自分の魂が死んでしまう、と私は思った。その考えが最終的に私に仕事を辞める決断をさせた。
自分の魂を守ること、それは何よりも優先されるべきことだとそのとき私は思ったのだ。

自分の感情を抑圧すること、感じないようにすること、すなわちそれは自分自身のあり方を否定することなのだ。

神が私を感受性豊かに造ったのなら、神は私に感受性豊かに生きて欲しいと願ったのだ。私は自分のあり方をもう否定しようと思わない。
私は私らしく生きていいのだ、と今は思っている。

最近、ヤーロムという心理学者が書いた「ヤーロムの心理療法講義-カウンセリングの心を学ぶ85講」という本を読んでいるが、それにこんなことが書いてあった。

"何年か前のある日、マイケルという小説家の患者が、秘密の私書箱を閉じてきたと私に伝えた。何年にもわたって、この私書箱が長い間続いた秘密の不倫相手とのコミュニケーションの経路だった。その私書箱を閉じるというのは重要な行動だったので、私には彼がこの行動を起こした勇気をほめる責任があると考え、自分が彼のその行動に感心していることを表現しようと努力した。

しかし、数ヶ月たっても、彼はまだ以前の恋人の面影を思い出し、彼女を求めて苦しんでいた。私は、サポートした。

「マイケルわかってると思うけど、きみが経験したような情熱的な感情は、そう簡単には消えていかないものですよ。もちろん彼女を求める感情はこれからも甦ってくると思う。それも避けようがないことでね。それはあなたの人間性の一部なんだから」
「それは、私の弱さの一部だっておっしゃるんですね。自分が鉄のような人間で、彼女のことなんか永遠に無視できたらと思いますよ」
「鉄のような人間.... そういう人間のことをロボットというんですよ。ありがたいことに、あなたはロボットではないようだし。ここで今まであなたの創造性や感受性のことをずいぶん話してきましたね。それこそがあなたの一番の強みです。だからこそ、あなたの書くものがあんなにもパワフルでたくさんの人を惹きつけるのです。でも、その同じ特徴には暗い面もあります。不安です。そのためにあなたは、こういう状況を平静にやり過ごすことができないわけです。」

現代の日本の社会では受け入れられづらいものかも知れないけれど、本当は感受性とは、神からの贈り物なのだと私は思う。
それがあるからこそ、他の人が苦しんだり悲しんだりしているときに、その人の気持ちに寄り添ったり、理解したり、共感したりすることができるのだ。
豊かな感受性があるからこそ、音楽や、絵や、言葉や文章や、なんであれ、その人が表現するものが人の心を打ったり、感動させたりすることができるのだ。
そういう感受性があるからこそ、人を傷つけたくない、という気持ちや、愛するものを大切にしたい、という気持ちが生まれるのだ。

感受性が豊かなために社会の中で苦労している人たち、特に若者たちに、自分に自信を持って欲しいと思う。
感受性が豊かな自分を肯定して生きてもらいたい、と思う。

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1 コメント

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Unknown (学生)
2008-08-10 22:05:46
すごく
勇気づけられました。
みんなと同じ様に
どうして出来ないんだろうって
思い悩む日々ですが
自分を認めてあげたいです。
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