本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

ある死に思う

2006年07月22日 09時31分20秒 | 心についてのあれこれ
ある死に思う

他人の死を大事にできない者は自分の死についても大事にできないだろう

この世には、他人の死に対して冷淡な人間もいるのだ

たとえ人を助けるための入れ物(組織)を作ったとしても、そこに心が込められていなければその入れ物には何の意味も無い

そこにはただ荒涼とした心の砂漠があるだけである

入れ物に、あるはずの心がないことを見れば、そこにいる者は、自分の死に際しても、同様に扱われるであろうと思うだろう

そこには寒々とした世の中への絶望があるだけである

ある死に思う

心なき入れ物はやがて壊れ去るであろう、と

しかし、私は信じたい

たとえ入れ物が砕け去っても、心集う場所には光があることを

その光を願う人々は決して少数ではないことを


若くして命を散らした人の冥福を祈って

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2 コメント

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Unknown (katuo)
2006-07-23 09:13:16
そうですね。

本当の事件や出来事に出会ったときに、

その人の言葉は試されます。

いつも口当たりの言い、耳に心地よい言葉を、

さも分かったように話している人たちが、

こういう重大場面に直面した時に、

沈黙して回避していくのであれば、

今まで、人を癒すために使われていた言葉は、

絵空事という事になります。

言葉とはその人の人となりだと思います。



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Unknown (ちえ蔵)
2006-07-23 16:48:15
Katsuoさま



本当は人はみな弱い存在なんですよね。なのに経験もせずに全て頭で分かったような気になって威張っているのは傲慢なのだと思います。

言葉で語るのは簡単ですよね。

言葉で自分を飾る人は本当に驚くほどたくさんいます。

でも、難しいのは言行一致させることなのだと思います。
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