本日は晴天なり

誰しも人生「毎日が晴天なり」とは行かないものです。「本日は晴天なり。明日はわからないけどね」という気持ちを込めました。

私という人 - 1

2008年02月29日 11時57分21秒 | 心についてのあれこれ
先日、スピリチュアルの友人に頼んで私の生年月日について調べてもらいました。
マヤの暦によれば、私という人は、

kin36:黄色い惑星の戦士:音程10
あなたは、自分に正直に世の中を見渡す人。慣習の中に不正や無意味さを見抜くことができる。あなたの抱く疑問は子供のように素朴だが、だからこそ根源的だといえる。あなたの使命は、人から教わることの出来ない、自分ひとりで歩む道、既成観念に頼らずに、体験的な鋭い知性を使って、ひとつひとつ物事を明らかにすること。

導く力{感謝の気持ち}成長する力「軋轢」

ということ。

実は、去年の11月くらいからの個人的な出来事からくる長い混乱と葛藤の中、今までの人生をもう一度振り返らせられていました。
その中で浮かび上がってきた私のテーマは、「本当に自分の欲しいもの(人も含め)を主張すること」。
そして、もう一つは「真実を言うこと」。

私は、たぶん子供時代からあまり子供らしくない子供だったのでしょう。小学2年生頃から、子供としての自分は脇において、いつも両親の間を取り持って仲裁役をして生きて、そして、他の人間関係でも、それをなぞって生きてきたようです。

でも、そのせいで、自分がないがしろになってきてしまった。自分では全く気がつかなかったけれど、いつも他人を優先し、自分のために本当に欲しいものを主張することが苦手になってしまっていたようです。
誰か弱い人のためには闘えても、いざ自分のためになると闘えない、という弱点がありました。

先日見た夢は、母親がすごい形相で私を追いかけてくる夢でした。
不思議にキラキラとした宝石売り場の中で追いかけられているのですが、母は「逃がさないぞ~」と言いながら私をどこまでも追いかけています。
私は首にとっても気に入っているゴージャスな金のネックレスをしているのですが、とっさに「これをしていると、母が追いかけてくるのだ」と思い、そのネックレスを投げ捨てる、という夢です。

目が覚めて、とっても象徴的な夢だと思いました。
大事にしているものがあると、母親が追っかけくる。それから逃れるには、大事なものを投げ捨ててしまわないといけないのだ、と私は思っていたんですね。

これから書くことは、私が個人的な経験を通して得た私なりの信念です。
マヤの暦のところに書かれたように、私には師はなく、経験でそれを学び、そしてそれを他の人にも知らせるのが使命なら、今、ここに書かなくてはならないと感じています。

大学を卒業後、私は赤坂にある小さな(といっても全員で12,3名ほど)の国際法律事務所に秘書として就職しました。

そこで出遭った人々は、大学時代の自由な友人関係からは想像もできないような人たちでしたが、何年かすると事務所の雰囲気にも慣れ、小さい事務所の家庭的な雰囲気も居心地良く、自分らしい仕事のやり方を模索しながら、派閥の対立のようなものからもなんとかすり抜けながら、働いていました。

そこでの人間関係、特に弁護士と秘書、という対等でない関係は、常に私を悩ませる種でしたが、自分の中では、「職業上では上下関係だけど、それは人間の上下ではない」と言い聞かせ、誇りを持たなくては、と思い、自分を奮い立たせていました。

就職して5年目頃に、私は法律事務所の所長弁護士の秘書になりました。
その人の秘書になって、初めて私は生き返ったようになりました。
指示を細かく出す人ではありましたが、それをどうやるか、ということについては、何も言わない人でした。そのため、私は自分の想像力や機転を生かして、自由に仕事をすることができました。そして、やり終えた仕事を渡すと、いつも「ありがとう」という言葉を忘れない人でした。弁護士としても非常に優秀で、いつもスタッフや秘書に気を遣い、人間らしく扱う態度に、私はすっかり人間として惚れ込み、理想の父親像、とさえ思って、彼の下で一生懸命働きました。

法律事務所長の秘書ではありましたが、秘書に格付けはしたくない、という事務所長の方針で、私には、特に何の権限もありませんでした。それでも、事務所長の秘書ですので、私にはクライアントやスタッフとの間を取り持ったりする役目が廻って来ました。

経営者の秘書という立場の人たちの中には、それを利用して自分の立場の強化を図る人もいるようですが、私という融通の利かない人間にはそういうことをする、という考えさえも浮かばず、不景気で事務所の経営も揺れる中、事務所の発展は弁護士やスタッフ、ひいては自分自身のためでもあるのだ、そしてそのためには、労働環境を少しでも快適にして、労働意欲を高く持つことが大事、と思い、それをいつも念頭において仕事をしました。

ときには余計なお世話と思われるようなことを弁護士たちに進言したりして、ずいぶん目障りな存在、と思われていたかも知れません。でも、真実を言うことは良いこと、という信念が、常に私の中にありました。

(続く)



最新の画像もっと見る