天体望遠鏡Hubbleが撮影したウルトラ・ディープ・フィールド。宇宙-無限の可能性を参照ください。
http://hubblesite.org/gallery/album/pr2009031a/
http://hubblesite.org/gallery/tours/tour-hudf/
宇宙は僕らの知る宇宙でなければいけないのだろうか。僕らの知らない宇宙は存在するのだろうか?また、存在するとすればその宇宙は僕らの宇宙と同じような宇宙なのか、それとも全く違う宇宙なのだろうか?宇宙の数だけ違う物理があるのだろうか?例えば、ある宇宙では、りんごが落上しニュートンにアッパーカットし、ニュートンが11次元のアイデアを閃くような宇宙があるのだろうか。
それとも、宇宙は僕らがこの宇宙に存在しこのような質問を投げかけ観察するからこそ存在しえるのだろうか。宇宙で命が誕生する確立がどんなに小さく、限りなくゼロでも、仮に全宇宙で命が誕生したのは地球だけであったとしても、少なくとも1度は宇宙で命が誕生したのである。何故なら、僕らがここにいてそれについて問い考えているからである。
このような考えをアンソロピック・プリンスィパル(Anthropic Principal)という。僕が持っている辞書では人間原理と訳されていますが、一度も聞いたことがないせいか、全くしっくりこないのでアンソロピック・プリンスィパルとここでは言うことにします。
僕らの宇宙は精密に設定されている。
重力、斥力、その他物理がなぜそのような値を持っているかは誰にもわからないが、物理は不変でありとにかく精巧にチューニングされており、数学的に説明できる。そのチューニングはいくつかのつまみ(物理)で設定されており、そのつまみのひとつを少しでもいじろうならば、僕らの知る宇宙は消滅する。僕らの宇宙は、生物の起源が誕生し僕らが存在するためには、今ある宇宙でなければならない。
宇宙は複数、又は無数に存在し、その宇宙だけ違った物理があるのかもしれない。
物理が違えば、それはそれで何らかのそれに対応する命が誕生するかもしれない。その物理によってある宇宙はピコセカンド(10のマイナス12乗秒)で消滅、ある宇宙は1秒、1分、100億年と続くかもしれない。
そして、宇宙が十分な時間存在して始めてアンソロピック・プリンスィパルがその効力を発揮するのかもしれない。
写真を見ておわかりのように宇宙はほとんど無である。宇宙の約70パーセントはダークエネルギー、約30パーセントはダークマター(いずれも存在するのはわかっているが、何なのかはわかっていない。ジュネーヴのラージハイドロンコライダーに期待)であり、星、惑星、僕らを含む物質は宇宙の1パーセントを占める程度らしい。故に僕ら物質は宇宙にとっては全く無関係なのである。なぜ、そんな無関係な僕らのために宇宙が形成されたのかという問いは僕には理解不能であり、意味をなさない。
アンソロピック・プリンスィパルは後付け理論であり、科学的ではなく哲学的でしかも意味のない哲学であるとの声もあるが、つい思いを馳せてしまうし、シンプルかつ魅力的な考えにも感じる。
宇宙のスケールの違いに戸惑うと同時に、その限りない神秘と広大さを想像する試みの中、視野がその無限を取り込もうと膨らみ、物事に全く違った次元を与え、優先順位がみえ、自分にとって正しいことを選べる気がするのである。
僕らが存在するために、万物がある特定の状態でなければいけないのか、ただ、たまたまそういった状態なのか、状態が変われば僕らは違った形で順応、進化したのだろうか。はっきりしているのは僕らは進化し、今、過去でも、未来でもなく今この時、ここにいるということである。時にその事実だけで十分喜びと感じさえする。
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