最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●ゴーギャン

2008-12-21 10:16:52 | Weblog
●ゴーギャン

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タヒチと聞くと、南海の楽園を連想する。
これは多分に、ゴーギャンの描いた絵の影響
と思われる。

ゴーギャンは、あの有名な『我々はどこから
来たのか、我々は何者なのか、我々は
どこへ行くのか』という絵を残している。
右に赤子、左に老女を配しながら、全体に
6~7人の裸の女性を描いた絵である。

私にはどこか甘い感じの漂う、ロマンチック
な絵に見えた。
そんなこともあって、私は若いころから、
「いつかはタヒチに」と思ってきた。

そんなゴーギャンについて何気なく調べて
いたら、生まれたのが1848年と知った。
「ああ、私が生まれた、ちょうど100年前だ」
と思ったとたん、スーッとゴーギャンの世界に
入ってしまった。

ゴーギャンは、1848年生まれ、1903年没。
私は、1947年生まれ、20??年没。
今年は2008年だから、今のところ、私のほうが、
やや長生きをしていることになる。
ゴーギャンは、55歳で、この世を去った。
死因は、心臓発作と言われているが、その前に
ヒ素を大量に飲んで、自殺未遂をしている。
先の絵を描いた直後のことである。

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CIMG2792.JPG

そこでさらに調べてみると、ゴーギャンは、2度、タヒチに渡っていることがわかる。
1893年と、1895年の2回である。
1回目は、アルルでのゴッホとの共同生活が失敗に終わったあと。
2回目は、フランスでの苦しい生活に見切りをつけたあと。
とくに2回目は、「完全に世俗的な成功の望みを捨てて」(「世界の名画」PHP)
とある。

私はこういう数字を見ると、すぐ自分の年齢に当てはめてものを考えてしまう。
1893年といえば、ゴーギャンが、45歳のとき。
1895年といえば、ゴーギャンが、47歳のとき。
「私は、45歳のとき、何をしていたか」とか、「47歳のときはどうか」とか。
そういうふうにである。
そして「47歳で、完全に世俗的な成功の望みを捨てたのは、すごいことだ」と
思ってしまう。

(フランス人というのは、早熟なのかな?)

が、ゴーギャンにとって、タヒチというのは、けっして理想の「楽園」ではなかった
ようだ。
むしろタヒチに、失望している(?)。
「タヒチの現実への幻滅と、追い求めた理想が描かれている」(同書)とある。
「だったら、どうして2度もタヒチへ渡ったのかな」とも思うが、それはそれ。
どんな生活にも、よい面もあれば、悪い面もある。
ゴーギャンはゴーギャンなりに、幻滅しながらも、そこでの(現実)を楽しんでいたの
かもしれない。
つまりこれも自分の生活に当てはめて考えてみると、わかる。

たとえば「幻滅」とはいうが、日常生活は、幻滅の連続。
「希望」といっても、冬の日に、ときたま差し込む淡い光のようなもの。
あとはそれに必死になって、しがみつくだけ。
それに……。

当時のタヒチで、ゴーギャンの絵を理解できるような人はいなかったと思う。
ゴーギャンの絵に、お金を払う人もいなかった。
事実、ゴーギャンは、タヒチでは絵の具も満足に買えないような貧乏生活を
送っている。
(フランスでも、そうだったが……。)
芸術家にとって、自分を理解できない人の間で住むことは、苦痛以外の何もの
でもなかったはず。
いくら「世俗的な成功」とは縁を切ったとはいえ、その先、無私、無我の境地に
達するのは、別問題。

私も世俗的な成功と縁を切ることができたのは、55歳前後のこと。
世俗に媚(こび)を売るのをやめたのも、そのころ。
しかし今でも、お金は嫌いではない。
できれば成功したいと願っている。
心のどこかには、「まだまだ……」という思いもある。

だから、ゴーギャンのように自殺までは、考えたことはない。
(ゴーギャンは、妻のもとに残してきた娘のアリーヌの訃報が、自殺未遂の理由
だったとされる。)
しかしこんなことは言える。

私も幼児教育をするようになって、40年近くになる。
その間、実は、孤独との闘いでもあった。
相手は、幼児。
あるいは若い母親。
いくらがんばっても、心のコミュニケーションは、不可能。
今でもときどき、「よくもまあ、こういう幼児や親を相手に、仕事をしてきたものだ」と、
自分で自分に感心するときがある。

とくにお金を求めて仕事をしてきたわけではないが、率直に、いちばんお金にシビア
なのが、この世代の母親たち。
ときどき「バカヤロー」と叫びたくなるようなときもあった。

さてゴーギャンの先の絵をもう一度、よく見てみる。

右端の赤子が(生命の始まり)を象徴し、左端の老女が(死)を象徴している。
そのことは解説書(同書)にも、そのように書いてある。
しかしこの程度の解説を紹介するだけなら、だれにだってできる。
そこで私の解説。

(1) 全体に絵が、丸いアーチを描いているのがわかる。
(2) 右のほうに、3人の若い娘が描かれている。
(3) 暗い色を背景に、母親と娘らしき女性が2人、描かれている。
(4) 中央部に、若い女性が天に向かって、果実を手にしようとしている。
(5) 左に寄ったところに、青白い神が描かれている。
(6) 老女の横に、なまめかしい1人の女性が描かれている。
(7) 老女はその左側に描かれている。

これらの絵を右から順に見ていくと、いろいろと気づく点がある。

構図がアーチになっているのは、人生の興隆と衰退を象徴している。
3人の若い娘は、ゴーギャンが若いころ知りあった女性かもしれない。
どこかものほしげな顔が印象的である。
母親と娘らしき女性は、ゴーギャンの妻と、娘のアリーヌかもしれない。
この絵では、中央の女性が、もっとも目立つが、この女性は、世俗的な成功をまさに
手にしようとしているかのようにも見える。
あるいはその象徴?
が、それもすぐさま、夢の中に消える。
そこでゴーギャンは宗教にその救いを求める。
それがその左の、青白い神の絵ということになる。
が、つづいてなまめかしい女性の絵。
これはひょっとしたら、ゴーギャンがタヒチで知りあった女性かもしれない。
どこか意味ありげな顔つきをしている。
で、最後は老女。

部分的に、意味がよくわからないところもある。
それらもゴーギャンの一生に深く関係しているのかもしれない。
ただひとつ、どうでもよいことだが、もっとも右端に犬、もっとも左端にアヒルが
描かれている。
この犬とアヒルは、何を象徴しているのか。

黒い犬のような闇から生まれて、人は最後は、死んで白いアヒルのようになるのか。
まあ、いろいろ考えられるが、ゴーギャンは、この一枚の絵の中に、自分の人生の
すべてを託したという。

こうして考えてみると、偉大な画家というのは、抽象的な観念をどんどんと凝縮し、
それを凝縮しきったところで、具体的なモノや人を使ってそれを表現していることが
わかる。
文章と対比させてみると、それがわかる。

自分の一生を文章で表現するときは、すべてを書かねばならない。
抽象的な観念を凝縮するということはできない。
そんな文章を書いても、だれも理解できないだろう。
一方、絵画は、見る人の心の中で、いかようにも解釈できる。
その(いかようにも)という部分の中で、描いた人の心をふくらますことができる。
またそれができる人を、私たちは画家、つまり芸術家と呼んでいる。

しかし文章ではそれができないのか?
ためしに、私の一生を、文章で表現してみる。
(これはあくまでも遊びとして……。)

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暗闇
振り子
父の酒乱
不安と焦燥
わんぱく少年
自己逃避と挑戦
ひたむきな猛進性
同一性の希求と絶望
社会へのしがみつき
現実への迎合と諦め
家族自我群と幻惑
宗教性との葛藤
自己の統合性
俗との決別
自己埋没
物書き
無私


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こういうことが、1枚の絵でできるところが、すごい。
しかも翻訳なしで、世界中の人に訴えることができるところが、すごい。
ゴーギャンの絵を見ながら、そんなことを考えた。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ゴーギャン
我々はどこから来たのか タヒチ)

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