最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●親の介護

2009-02-20 06:39:02 | Weblog


●2月19日

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昨夜、義兄の父が死去。
通夜ということで、仕事から帰ってきたあと、弔問。
そんなわけで、床についたのが、午後11時半過ぎ。

1、 2度、20年ほど前に会っただけだが、このところ
知人の死が、ズシンズシンと心に響く。

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●介護でバラバラになる兄弟、姉妹

ところで同じ昨日、健康診断に行くと、看護婦の人が、
こんな話をしてくれた。
20年も通っていると、それなりに親しくなる。

いわく、「親の介護を10年もしたという話を聞くと、
『ああ、この家族もバラバラになっているだろうな』と
思います」と。

どうしてその看護婦がそういう話をし始めたかはわからない。
しかしそう言った。
つまり、こういうこと。

「親の介護も10年つづくと、子どもたちの関係がおかしくなる」と。
その看護婦は、「親の介護で、家族がバラバラになる」と言った。
すかさず、私も、それに同意した。

「そうですね。介護の負担、介護疲れ、介護費用の問題、それに遺産相続の
問題もからんできますからね。
それに親子いっても、いろいろありますから」と。

私のばあいは、10年というか、実のところ、この40年近くもつづいていた。
介護そのものは、5、6年というところだが、しかしいろいろな問題が、
ひっきりなしにつづいた。
一時は、(というより、そのつど)、気がヘンになりそうになった。
しかし「運命は受け入れる」。
そう自分に言ってきかせて、それを乗り越えることができた。

●運命論

『運命というのは、それを避けようとすると、キバをむいて襲いかかってくる。
しかし受け入れてしまえば、運命のほうから、シッポを巻いて逃げていく』。
これは私が、自分の体験から考えた格言である。

それぞれの人には、それぞれ、どうしようもない問題をかかえている。
親の介護、家族の問題、仕事の問題などがそうだ。
そしてそれぞれの問題が、その人を、思わぬ方向に引っ張っていってしまうことが
ある。
それが「運命」ということになれば、それが運命。

ただこういうことは言えるのではないか。

こうした問題に直面したとき、それを重荷とするか、それとも笑って過ごせるかは、
もっぱらにその人の文化性による、と。
つまりなぜ私たちが常に、自分の文化性を磨くか、磨いていかねばならないかといえば、
こうした問題に直面したとき、うろたえないためではないか。
『浅瀬に仇波(あだなみ)』という諺(ことわざ)があるように、文化性の低い人ほど、
運命を前にして、大騒ぎする。
そうでない人は、そうでない。

●文化性(宗教性)

これはワイフの意見だが、ワイフはこう言った。
「宗教観も必要なのではないかしら」と。

「ほら、キリスト教などでは、愛を説くでしょ。もしマザーテレサがもっていたような
愛の1万分1でも、みなにあれば、たとえば親の介護の問題程度のことで、ガタガタしないわよ」と。

そうかもしれない。
そうでないかもしれない。

しかしそれ以上に大切なのは、やはりまわりの人たちを思う心ではないか。
それがあればよし。
というのも、親の介護にしても、子どもの世話にしても、きれいごとだけでは
できない。

私も6か月、母の便の世話をしたが、こんなことがあった。
そのあと母は、特養老人ホームに入居した。
それからしばらくしたときのこと。
母が、再び、私の自宅に戻ってくるというような話がもちあがった。
そのときのこと。
それに対して、私は生理的な拒絶反応を示した。
母を嫌うとか、そういうことではない。
「再び、便の始末ができるか」と自問したとき、自分自身の中の私が、猛烈に
それに反発した。
それははげしい拒否反応だった。
……ということで、母を再び、私の自宅に迎えることができなかった。
つまり(きれいごと)だけでは、で・き・な・い。
(あるいはこれは、私の哲学観の欠陥によるものか?)

ともかくも、看護婦の女性の話のように、親の介護が原因で、子どもどうし
(兄弟姉妹)が、いがみあうようになるケースは、少なくない。
だから看護婦の女性は、こう言った。
「私はね、その人が10年も親の介護をしたという話を聞くとね、
ああ、兄弟姉妹は、バラバラだろうなと思いますよ」と。

●では、どうするか

これは私の経験だが、(1)とにかく誠実に、(2)とにかくウソをつかない、
(3)とにかく約束を守る、(4)とにかく他人にグチを言わない。

これだけは、とくに親の介護をするときの、大原則。
この大原則を破ると、兄弟姉妹の関係は、ギクシャクしたものになる。
小さな誤解が、とたんに大増幅し、爆発する。

そしてここが重要だが、一度壊れた人間関係は、元には戻らない。
兄弟姉妹とて、例外ではない。
親の介護には、そういう深刻な問題も含まれる。
なぜか?

親の問題は、それくらい根が深いということ。
兄弟姉妹といえども、親を大木とするなら、枝葉にすぎない。
親の問題でギクシャクすれば、枝葉は当然、揺れる。

私にも姉がいるが、????。
遠方に住んでいることもあって、誤解が誤解を生むということもあった。
だからそうならないように、先の4つの大原則は守る。
これは運命と闘うためのコツということにもなる。

(補足)
しかし(自分の力や努力でどうにかなる問題)については、ふんばる。
土俵際に追いつめられても、ふんばる。
ふんばってふんばりまくる。
そのふんばるところに、人間の生きる価値がある。
ドラマもそこから生まれる。

私たちがなぜ生きているかといえば、そのドラマにこそ、生きる価値が
あるからではないか。
平凡は美徳だが、その平凡からは、何も生まれない。
平凡であることを、喜んではいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB. 09++++++++++++はやし浩司

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