最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●いろいろな顔

2009-02-25 09:05:48 | Weblog


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●いろいろな顔

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英語のことわざに、『2人の人に、いい顔はできない』というのがある。
このことわざを言いかえると、『人には、いろいろな顔がある』という
意味にもなる。
あるいは『その人の一面だけを見て、その人を判断してはいけない』とも
読める。
こんなことがある。

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●母の顔

母が他界して、3か月になる。
その間、いろいろな人から、悔やみの言葉をもらった。
ありがたかった。
と、同時に、母にもいろいろな顔があったのを知った。
母のことをよく思っている人もいたし、そうでない人もいた。
悪く思っている人は、いなかった。

しかしそのつど、率直に言えば、「?」という印象をもった。
どこの親も、そうなのかもしれない。
他人の集まる(外)で見せる顔と、肉親が集まる(内)で
見せる顔は、ちがう。
母もそうだった。
どちらが本当の顔で、どちらがニセの顔ということを
論じても意味はない。
またどちらでもよい。
外できびしく、家庭で甘い親は、いくらでもいる。
外でやさしく、家庭できびしい親も、いくらでもいる。

さらに他人の中では、高い評価を受けながら、家庭では
きびしい評価を受ける親がいる。
他人の中では、極悪人と呼ばれながらも、家庭では、
やさしいと評価を受ける親もいる。

だからといって、人それぞれ。
それぞれの人が、それぞれの人を認める。
それぞれの顔を認める。
母にしても、そうだ。
「?」と思っても、その人の心に合わせて、「ありがとう
ございます」と、言う。
またそれですます。

昔、よど号ハイジャック事件で、人質となり、
K国に渡った政治家がいた。
YM運輸政務次官である。
そのあと1週間ほど、オーストラリアのメルボルン市へ、
休養のため、やってきた。
縁あって、そのとき知りあった。
温厚で、やさしい人だった。
知的で、政治家というよりは、学者風の人だった。

が、そのYM氏は、やがて息子氏に腹を刺されて、死ぬ。
何があったのか。
また家庭の事情がどうであったのか。
私には知る由もない。
また知る必要もない。

その反対のこともある。

昔、浜松市の駅前に、暴力団(?)の事務所ができたことがある。
それに対して、周辺の住民の人たちが、追い出し運動を始めた。
子どもの通学が心配ということで、親たちが集団で送り迎えをするようになった。
そのときのこと。
たまたまその暴力団(?)の親分と言われる人の子どもが、
私の教室へ来ていた。

それについて、その祖母にあたる人が、私の家にやってきて、こう言った。

「先生、うちにも小学生の孫がいます。
そんなことするはずがないじゃ、ないですか」と。

「そんなこと」というのは、住民たちが心配しているような(こと)を言った。

「ピケを張って、人の出入りを止めるというのは、いいです。
しかし集団登下校というのは、あまりにもひどいです」と。
その祖母は、玄関先で、おいおいと泣いた。

言いかえると、根っからの悪人はいない。
同時に、善人と呼ばれている人でも、バランスの問題。
善悪のバランスのしっかりしている人を、善人という。
そうでない人を、そうでないという。
でないというのなら、「私は善人」と、自信をもって言える人は、
いったい、どれだけいるだろうか。
一歩退いて、「私は悪人ではない」と、自信をもって言える人は、
いったい、どれだけいるだろうか。

ただ許せないのは、偽善者たち。
陰でこそこそと、小ずるいことをしながら、表では善人のフリをする。
ふだんはタレント業で巨億の富を手にしながら、一方で、慈善運動家として、
テレビに出てきたりする。
一貫性が、ない。
そういう人は、別。

……ということで、結論。
私やあなたが、その人のことをどう思っても、その印象を、他人に
押しつけてはいけない。
「私はそうではないと思います」とも、言ってはいけない。
まわりの人がどう思っても、人、それぞれ。
人には、いろいろな顔がある。
同じように、それを見る人にも、いろいろな印象がある。
それはそれとして、そっとしておいてやる。
それが結局は、あなたという(私)を守ることになる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●他責型人間vs自責型人間

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何か失敗したようなとき、すかさず、
だれかに責任を求める人を、他責型人間という。
すかさず自分に責任を求める人を、自責型人間という。

子どもでも、年中児(4~5歳児)でも、それがわかる。
子どもがお茶をこぼしたとする。
それを母親が、注意したとする。
そのとき、他責型人間(子ども)は、すかさず、
こう言う。
「ママが、こんなところにお茶を置いておくから悪い」と。
いつも責任を他人に転嫁する。

一方自責型人間(子ども)は、すかさず、「ごめん」と言う。
「いつも責任は、自分にある」と考える。

一般論として、(あくまでも一般論だが)、他責型人間は、
悶々とした欲求不満を、持続的にかかえていることが多い。
「自分は正しい」という過剰な思い込みが、他責の
原因になることもある。
しっかりした人という評価を受けやすい。

一方、自責型人間は、その分だけ、うつ病になりやすいと言われている。
自信喪失が根底にあり、人格の「核」形成も、遅れがちになる。
どこかヘラヘラした感じになりやすい。

表面的な様子からだけでは、判断できない。
快活で積極的だから、他責型人間ということにはならない。
静かで落ち着いているから、自責型人間ということにもならない。

それを知るためには、心理テストが必要。
こんな例で考えてみよう。

あなたは今、電車の中にいる。
そのとき緊急の、かつ重要な連絡が、携帯電話に入った。
ベルが鳴った。
あなたは携帯電話で話し始めた。
と、そのとき、横にいた人が、あなたに、「電車の中では
携帯電話はいけませんよ」と、軽く注意した。

そのときあなたなら、どうするだろうか。
ムッとして、その人をにらみ返すだろうか。
「今、すぐ終わりますから」とか、「緊急です」とか
言うだろうか。

それとも、すかさず、「ごめんなさい」とか、「すぐ終わります」とか、
謝罪するだろうか。

前者のようであれば、あなたは他責型人間ということになる。
後者のようであれば、あなたは自責型人間ということになる。

他責型人間か、それとも自責型人間か。
いろいろ調べてみると、(あくまでも私が調べた範囲だが)、
その中間型というのは、ない。
しかもこの「型」は、その人の人格の中核部分に居座るため、
たとえば状況に応じて、他責型になったり、自責型になったり
ということもない。
幼児期に他責型になった子どもは、ずっと、それこそ、
死ぬまで他責型人間のまま。
自責型になった子どもは、ずっと、それこそ死ぬまで
自責型人間のまま。
途中で変化するということも、ない。
(「ない」と断言するのも、危険なことだが……。)

さらに興味深いことに、他責型人間からは、自責型人間が理解できない。
自責型人間からは、他責型人間が理解できない。
ともに自分を基準にして、相手をみる。
相手も自分と同じ人間と、思い込む。
したがってたとえば、夫が他責型、妻が自責型というケースのばあい、
(その反対でもよいが)、どちらか一方が、それに気づくまで、夫婦喧嘩が
絶えないということになる。

夫「謝れ!」
妻「どうして謝らなきゃ、ならないのよ!」と。

(いつも夫婦喧嘩をしている人は、一度、ここに書いたようなことを
参考に、自分を見つめなおしてみるとよい。)

が、さらにもう一言。

自責が過剰になると、相手の失敗まで、自分の責任のように感じてしまう。
こんな例がある。

ある学校で、ある子どもが何かの事件を起こした。
それについて、ある教師は、こう言った。
「警察に出向き、謝罪してきました」と。
そこで私が、「そこまでは学校の責任ではないでしょう」と言うと、
その教師はこう言った。

「新聞などで、少年犯罪が報じられるたびに、胸が痛くなります」と。

自責型人間の中には、そこまで自分を責め人もいる。

……となぜ、今、他責型人間と自責型人間について書くか?

実は、今日の午後、たまたまこんなことがあった。
バスに乗っていて、うとうとと眠っていたときのこと。
私のすぐうしろに座っていた女性のところに電話がかかってきた。
かなり豪快な(?)、着信音が鳴った。
とたん、眠気が消えた。

その女性は、「今、バスの中! もうすぐそこへ着くから待ってエ……」
というようなことを言っていた。
そのときのこと。
ちょうどタイミングよく、つぎの停留所名を言ったあと、
「携帯電話は周りのお客様に迷惑になりますから、スイッチをOFFに
するか、マナーモードに……」というアナウンスが、流れた。
私は、すかさず、「その通り!」と声をあげた。
……あげてしまった。

よほど私の言葉が、その女性のカンに触ったらしい。
しばらくしてバスは、目的地に着いた。
「どんな女性だったか」と思って、立ったついでに、うしろの女性を見た。
私をものすごい目つきで、にらんでいた。
顔中が、鬼バンバというような感じだった。
年齢は、18、9歳ではなかったか。

私は、「ああ、この人は、他責型人間だな」と思った。
それでこの原稿を書いた。

……ところで、私は、完全な自責型人間。
いつも他人を責めてばかりいるが、根は、自責型人間。
自分でも、それがよくわかっている。
だから先に書いたことを繰り返す。

人間というのは、見た目で判断してはいけない。
さて、あなた自身は、どうか?

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
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他人を責める)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●隠れマザコン

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私の知人に、これまた人も羨(うらや)むような、
親孝行の娘をもった人がいる。
その娘を、娘Aとする。
その娘Aは、結婚して嫁いでいるというのに、「お母さん、お母さん」と
言って、毎週のようにやってきては、菓子を届けたり、
旅行のみやげを届けたりしているという。
知人が、今年、85歳になる。
娘Aは、60歳になる。
だから近所の人は、みな、こう言う。

「あの娘さんは、すばらしい人だ。人間の鑑(かがみ)」と。

しかし、ちょっと、待ったア!

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こういう娘Aのばあい、つぎの2つを疑ってみる。

(1) 隠れマザコン
(2) 代理ミュンヒハウゼン症候群

ふつうマザコンというと、男性ばかりが問題になる。
しかし女性にも、マザコン、つまりマザーコンプレックスをもった人はいる。
が、母と娘という女性どうしだから、目立たない。
成人した男性が、彼の母親といっしょに入浴すれば、だれしも、おかしいと思う。
しかし女性のばあいには、だれも、おかしいとは思わない。
だから女性のマザコンを、「隠れマザコン」(はやし浩司)と呼ぶ。

また代理ミュンヒハウゼン症候群というと、ふつう虐待が先に問題になる。
「新しいタイプの虐待」と位置づける人もいる。
たとえば子どもを一方で虐待しながら、他方で、よい母親(父親)を演ずるなど。
しかしあえて虐待をしなくても、もともと虚弱な子どもであれば、その子どもを
利用して、よい母親を演ずることもできる。
他人の同情を買いながら、よい母親を演ずる。
みなに、「よくできた、すばらしい母親」と思わせる。
当然、虐待をともなわない、代理ミュンヒハウゼン症候群というのも、ある。

また対象が子どものばあいだけを、代理ミュンヒハウゼン症候群というのではない。
舞台が病院であるとも、かぎらない。
広義には、対象が、兄弟、姉妹、さらには親であっても構わない。
舞台が、施設であっても、さらに家庭であっても構わない。

ことさら苦労している様子を誇張してみせ、他人の同情を買う。
他人からよい人と思われるようにするため、あれこれと工作する。
このタイプの人は、口もうまい。
ここでいう隠れマザコンと私が呼んでいる人も、同様の行動パターンをとる。

冒頭にあげた女性にしても、かなりの高齢で、このところ歩くのもままならない。
そういう母親を支えながら、その娘Aは、通りをいっしょに歩くこともあるという。
それで近所の人たちは、「人間の鑑」と。

しかしそれこそが、その娘Aの望むところ。
他人にそう思われるように、他人の心を誘導する。
操る。

では、本物の(?)、親孝行とは、どこがちがうか?

その第一。
本物の親孝行は、静か。
目立たない。
他人の目を意識しない。
私のような他人の耳に、そういった話は、届いてこない。

また「毎週のように、菓子やみやげを届けている」という話は、母親の言葉ではない。
その娘A自身が、あちこちでそのように自分で吹聴している。
私もその娘Aのことは、よく知っているが、一貫性がない。
それだけの人徳がある人なら、ほかの面でも光るはず。
体の芯からにじみ出てくるような、人間性があるはず。
が、そういった話は、伝わってこない。
むしろ父親の遺産相続問題で、ほかの姉妹と言い争ったとか、実の息子たちとは
絶縁状態にあるとか、など。
そういう話のほうが目立つ。

どこかチグハグ?
おかしい?
へん?
その(チグハグさ)を感じたら、こういう話は、まず疑ってかかったほうがよい。

が、だからといって、その娘Aを責めているのではない。
マザコンであるにせよ、ないにせよ、それで、母と娘が仲よく暮らしていれば、
それでよい。
他人がとやかく言う必要は、ない。

今どきマザコンにしても、隠れマザコンにしても、珍しくもなんともない。
まただからといって、周囲の人たちが、人間の鏡とするなら、それもよい。
ただ、だからといって、操られるまま操られるのは、よくない。
こういう話には、「待ったア!をかける。
それが知性ということになる。
理性ということになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
隠れマザコン 代理ミュンヒハウゼン 親孝行 孝行娘 親孝行の子ども)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

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