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インターネット巡回生活

ほぼほぼ、書きなぐり雑記かも

4百年前、韓国で活躍した日本人ヒーロー『沙也可』

2005-01-14 | 日常
なぜ今『沙也可』なのか
『沙也可』とは、今からおよそ4百年前の安土桃山時代
を生きた紀州雑賀衆・雑賀孫市の息子の孫市郎(韓国名・
金忠善、韓国での呼び名は『沙也可』)のことである。
今年の9月に神坂次郎氏に『沙也可』についての講演を
お願いした。演題は、紀州雑賀衆・雑賀孫市の子孫が韓
国にいた「沙也可への遥かな旅」という和歌山市民のほ
とんどが知らない、アッと驚くような演題であった。
出典(部分引用): http://www.wsk.or.jp/work/d/tsuji/01.html

まず「沙也可」について全く知りませんでした。調べると、

沙也可の里に日本人観光客急増中
今から四〇〇年前、豊臣秀吉が三〇万の大軍を出兵
し朝鮮半島を侵攻した。韓国でいう壬辰倭乱(イム
ジンウェラン)、日本でいわゆる文禄・慶長の役で
ある。 この時、鉄砲の技術を備えた若い軍事集団が
朝鮮への侵攻を正道にあらずと拒否、朝鮮王朝側に
降伏した。彼らは鉄砲製造の技術を敵方である朝鮮
軍に伝え、降 倭領将として朝鮮側とともに豊臣軍と
戦った。
そのリーダーが沙也可(一五七一~一六四二)であ
る。沙也可、時に二二歳。彼は朝鮮王朝の臣下とし
てその後もいく度か功労を立て、金海金氏の名字を
受け、金忠善(キム・チュンソン)将軍として称え
られた。
出典(部分引用):http://www.onekoreanews.net/20030305/bunka20030305001.htm

「紀州雑賀衆」説が有力な説の一つらしいですが、

始祖沙也可について
その中で面白かったのが西南大学丸山教授の九州
糸島の原田五郎右衛門信種説ですね。
出典(部分引用): http://www.sol.dti.ne.jp/~mihe68/sayaka.html

こっちの方が説得力があるがどうでしょうか。証明は本文をどうぞ。

いまでいうと、イラク侵攻に大儀が無いと、アメリカの一連隊が
反旗をひるがえして、イラクには無かった特殊兵器で、アメリカ軍
を追っ払って、フセイン大統領から家臣に迎え入れられ、アラブの
名前とをもらって、その後もグルド人鎮圧とかで武功があったとい
うこと。

良いんだか悪いんだかよく分らん(笑)。歴史はある程度経てはじ
めて評価されるということですね。
コメント
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