元VSやんちゃ隊のスカウターのボログです(笑)

何故という疑問を持つことから始まる楽しさを知ろう(^_^)v
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※THE PATROL LEADEWRS’ HANDBOOK 第一章※

2015-10-29 18:02:33 | さとぴょん

やんちゃ隊の諸君

今回は、THE PATROL LEADEWRS’ HANDBOOK(班長の手引)からスカウティング始まりついての話だよ!

班(PATROL )の成り立ちや、何故成人指導(隊長)が必要なったか、そして隊長の役目は何なのかを詳しく書いてあるよ(^^)/

ちょっと長文だけど、君たちや成人指導者には、知っておいてほしいことがたくさん書いてあるよ!

諸君は,フットボールの規則を知らなかったら, フットボールの名主将にはなれない。エンジンの動かし方を知らずに、電車を運転することはできない。また,菓子の材料の選び方を知らずに,おいしい菓子を作ることはできない。これと同じように,班制度を理解せずに、正しい班長になることができないことは明らかである。もちろん,諸君が遊び半分でサッカーの主将を務めたり,電車を運転したり,菓子を焼いたり〈多くの炊事当番がやっているように〉,班長をやったりすることはできょう。しかし,仕事の仕方を勉強していなければ,自分にとっても,諸君を信頼している班員にも,みじめな結果を与えるだけである。班長の任務でもっとも大切なのは,班員が諸君を信頼していること、よきにつけあしきにつけ諸君の行動は班員に影響を与えること、よい感化を班員に与えることが諸君の務めであることを,いつも忘れないことである。最近,「あまり気にしないよ」ということばがはやっているが、これは班長にとって, もっとも悪い考え方である。このことばを本気で使うような班長は、すぐに班長章を返上すべきである。班長には,自分に対しでも,班のスカウトに対しでも,また,誰に対しでも「もっと用心しなくては」という態度が必要である。何度も耳にしたことであろうが―私自身耳にたこができるほど聞かされたことだが―「ささいなことが重要なのだ」という諺がある。そう、諸君にも覚えがあるだろう。見かけがどんなに退屈で、とるに足らないつまらない事でも、すべての事には意味がある。ことに、ささいな事はいちばん起とりやすいし、より多くの人に影響を与えるものなのでもっとも重要な意味を持っているといえる。これも聞いたことがあろうが、「ささいな事はわれわれを試すために、この世に送られたものだ」いうことばある。諸君は,私と同じ人間であるから、もっとわかってもらえると思うが、われわれはささいな事に悩み、ささいな事をたいへんな問題だと思っている。班制度は「たくさんのささいな事」からできている制度である。班制度にまつわる問題点,諸問題,難解さはここに原因がある。この本を読むことによって,諸君が班制度の姿意味、機能を正しく理解するように希望する。私は班制度が容易でないことは喜ぶべきことだと思っている。隊本部の入口に「班制度」と書いた札をかけておけば、おまじないがかかって万事がうまくいくとしたら、あまりにも簡単すぎて悩みどころがない。幸運にも、まったく幸運にも、なかなか手ごわいのが班制度である。時代が進むにつれ、容易になるということはない。これが班制度の秘密であり,魅力であり,有用性である。班制度は,つねに2 つの特質を持っている。―すなわち,常識と努力である。諸君が前者(常識というと誰にでもあるように思われるが、決してそれほどありふれてはいない)を持ち、後者に心がけていることを私は希望する。というのは,すべてのことはと2つの特質を基盤に成り立っているからである。私たち,おとなのできることは諸君に.簡単に説明をし、あれこれと提案し,ときには忠告をし,たえず激励することであり,班制度を動かすことができるのは班長の諸君たちだけである。班制度の成否は、ひとえに、諸君にかかっている。班制度は諸君の舞台であり,諸君はその主役である。40 年以上前にスカウティングが出発したとき,班制度という考え方は,まったく革新的であった。事実,多数の人がこれを悪評し、創始者B - P 対し、危険だとか、使い物にならないとか、混乱を起こすつもりかとか、少年たちから排斥されるだろうとか、いろいろな悪口をいった。しかし、ときがたつにつれ,班制度の方式は広〈うけ入れられるようになり,学校・学校外を問わず、すべての少年活動の作業やスポーツなどにあらゆる面で活用注されるようになった。もちろん,スカウティングとは関係の薄い職業や市民生活の面―爆撃隊,歩兵小隊、特別な計画にたずさわっている科学者陣の間にも,班制度は使われた。われわれの運動は歴史のある古い運動であり,歴史から何かを学ぶことは賢明であると思うので、ここでスカウティング発生期のことを少し書こう。スカウティングの初期、英国および世界各地の少年たちは「スカウティング・フォア・ボーイズ」を買って、自分たちで班を作った。「自分たちで班を作った」ということに着目していただきたい。このことは、誰かが上からの命令で頭になったのではなく、仲間が自分たちの意志で頭を選びだし、その頭を中心にスカウ卜になりたい少年たちが集まって群れを作ったことを意味する。少年たちは班を作り、「スカウティング・フォア・ボーイズ」を唯一の指導者として、自分たちの訓練をはじめたのである。しかし、ご多聞にもれず、少年たちにはわからないこと、解決できないこと、おとなの助けが必要なことが、たくさん起こってきた。そこで、いくつもの班が寄り集まり、隊を作り、隊長をおくようになったのである。1908 年のこと、お小遣いを持ちよって1 冊4 ぺンスの「スカウティング・フォア・ボーイズ」2,3 冊買い求めた一群の少年たちがあった。彼らは、'古い納屋に集まって、B-P が暗示したことを、あれこれとやってみた。彼らは、大いに楽しみ、たくさんのことを学び、またいくつかの試練にぶつかった。ある日、とうとう野営の章にきた。これまでに本に書いてあることをすべて試みてきたので、彼らはこの少しばかり難しそうにみえる問題にも敢然ととり組んだ。ところが,彼らは1 人として野営を経験した者はないし、野営のやの字も知らない者ばかりだった。しかし,彼らは諸君の班と同じように「真の冒険心」に富んでいた、彼らはどんなことでも一度の失敗にこりず正しくできるまでやりとおす覚悟であった。だから彼らは全般的な計画を話し合い、必要と思われる用兵を調達する手配をした。ビル,ジャック, 卜ムの3 人は,食糧調達係―調達方法などは誰も心配しなかった―班長のマーテンはテントを調達することになり,最年少のアレックは「手押し車を持って、こられると思う」といった。班長は,またアレックになべの入手を命令し、全員に自分の寝具は自分で持ってくるよう指示した。こんなふうにして、6 月はじめのある土曜日、彼らは同じ納屋に集合し、出発の準備を整えた。質問する者はなかった。ただ、アレックが赤ん坊の弟からおもちゃの手押車をとりあげるのにとても苦労したといったことと,班長がテントだといって持ってきた古ぼけたターボーリン布〈タール塗り防水布〉にジャックが非常な不満を示したほかは,目立ったことはなかった。しかし,彼らは, l 人残らず,食糧の分量には大いに驚き,かつ満足した。今日の基準で計ればゆうに、1 か月分はあった。ともかく,積めるだけ手押し車に積みこみ、食糧を積んだらほとんど余地がなかったといった具合だが、残りは担いでいくことにした。彼らは,目的地を決めたわけでも、地図を持っているわけでもなかった。おそらく、地図など見たこともなかったろう。彼らは、文字どおり,青空に向かつて村を出発し,野を渡り,山を越えていった。彼らは,できるかぎり道路を歩かないことにした。しかし、準備にあまり時聞を使いすぎたので、宿泊地に到着したときには,だいぶんおそくなっていた。この場所は,いなか道と小さな川にはさまれた気持のよいところだった。流れて・洗い物はできるし、炊事の水もえられるから便利だと彼らは思って、この場所を決めたのだった。まったく,非衛生的な水ではあったが,彼らはいき健康―向とんちゃくしなかった。マッチを2 本以上使ったが、勉強したとおりにすぐたき火を起こした。彼らはアメリカインディアンの諺―インディアンは小さなたき火を起こし火の回りに近寄るが、白人は大きなたき火をするから遠まきに火にあたらなければならない―を知らなかった。それから食事の仕度にとりかかった。いろいろな物をいいかげんに混ぜあわせて、火でこってり焼いた。この年頃の少年はまずいものなしだから,味などどうでもよかった。それから,少しおそくなったが,テントをたではじめた。班長はナイフをとり出して、若木を2 本倒し、縄を器用に使って,なんとかテントらしいしい物をターポーリン布でつくった。暗くなったし,疲れも出てきたのであるが,しかし、うきうきしながら,テントにもぐりこみ床に入った。彼らはグラウンドシートなど思いもよらなかったが―幸いにも地面は乾燥していた。彼らは寒気は地面からのぼることを知らなかった。たしかに、彼らは知識に乏しかったが、実行により知識を広めていった。開拓者になったような気持で,テントの中で話をしていたが,やがて1 人2 人と眠りにおちていった。しかし,特別な責任を感じている班長は眠ることができなかった。誰にも打ち明けなかったが一晩中目をきましているつもりだった。まるっきり真夜中ではないかと班長には思えたが、実は10 時ごろにしかなっていなかったが,外で足音がピタリととまった。班長が聞き耳をたてていると,懐中電燈が光った。外をのぞくと、大きな靴が一足、目の前に立ちふさがっていた。視線を上へ上へとたどると,紺の長ズボンが見え,はるか上の方から太い声が響いた。「いったい,何の遊びをしているつもりかね」。その声に、他の連中が目をさました。困ったことに、そこに立っていたのは警官だった。班長は「僕たちはスカウトで,野営をしているのです」と答えたが. 1908年にスカウトのことを知っている警官は少なかったし、この人も例外ではなかった。「ことから,家に帰るんだ」といわれてしまった。まったく残念だったが,道具をまとめて、警官のあとに従うよりしかたがなかった。驚いたことに,家からたいして離れていないところだった。地図は持たないし,方向感覚がまるっきりなかったから,彼らは円を描いて歩き、家からたいして離れていないところに野営したのだった。家に帰ってから、彼らがどんな罰をうけたかはいわないことにしよう。しかし、彼らは、少こしも、ひるむことなく、次の晩にまた納屋に集会することにした。日曜の晩,納屋に集合するまでに,班長は時間を有効に作って「スカウティング・フォア・ボーイズ」を読み返した。だから全員が集合すると,まず口を開いた。「おいみんな,僕はこの本を読み返したんだ。そうしたら隊長のことが書いてあるんだ。どうやら僕たちに必要なのはこれじゃないかと思う。この人なら警官を追っ払ってくれるだろう」そう、これは隊長の任務の1 つであり,諸君の班や隊が, 隊長を必要とする理由の1 つである。隊長は他からの干渉をうける心配なく,諸君がスカウティングを続けられるように骨を折ってくれる人である。の班が,自分たちの力で出発したことを忘れないでほしい。少年たちが,この班を作り,班にとって隊長が必要なことに気づき,自分たちの力で隊長を見つけてきた。こういう隊は,いつまでも続いていく―おそらくその理由は正しい精神で出発したからである。今日では,隊長が班を作り,スカウトが加入するのが普通であろう。古い方法における重要な点は、最初から班長が班全体の鍵を握る地位にあることを自認していたことである。もし班長の認識が不足していれば,班は自滅してしまったであろう。班長は,知らないのや、できないのが当たり前なこと以外で,隊長の力を借りたり,おとなの助力を求めたりはしなかった。今では,本当に班らしい班はなくなった。班はただスカウト隊の手ごろな1小隊としてしか活用されていないようである。班には,隊から全く独立した班本来の行き方があるはずである。スカウト隊は、班の集合体にすまない。班が班員を掌握したりゲームをするために便利な単位としか役立たないならば、それはとうてい班とはいえない。隊集会は各班が互いに競争し合い、激励し合い、集会で学んだことを班が実行し経験を深めていく1 つの場であるべきだ。隊集会はよくやるが,班集会はあまりやらないという現象がわが国や世界の各地にみられるのはまことに残念なことである。諸君は諸君の班を隊長なしに指導し、指導と援助が必要なときは隊長に助けを求めるようにしなさい。賢明な隊長は隊長の職分をわきまえているが、ときには班長があまりにも隊長に依存したがるために、隊長の本分を越えてまで指導しているが、これは班長の責任である。今晩、との章を書きはじめる前にラジオでなじみの友だちの話を間いた。私は諸君に,班長として記憶しておいてほしいと思う1 つのキャッチフレーズを被の話から思いついた。―それは,いつでも「隊長,いいことを思いつきました」ということである。諸君は考えの沸き上がる泉である。幸い,諸君は考えついたことを実験する場である班を持っている。スカウティングには、1 つの考えがよいものか,実行する価値のあることかを計る尺度がある。それは実に簡単な尺度である。すなわち,「それがスカウトのおきてに反しないか」ということである。おきてに反しないならぜひとも実行しなさい。おきてに反するなら,他
の方法を見つけなさい。諸君が班長に選ばれた理由は2 つある。第1 の理由は、諸君自身を伸ばすためである。諸君は、この機会に技能を学び、仲間を指導する方法を会得できる。これはスカウティングにおける最高の名誉であり、絶好の機会である。雄も今の諸君を一人前の指導者だとは思わない。しかし、班員を指導しながら指導法主任学びとり、諸君が将来りっぱな指導者
になることを皆が期待してる。班長になる前,諸君はおそらく普通の班員だったはずだ。このことは,諸君が班長に従うことをすでに勉強したことになる。上の者を敬う心を持たない者は指導者になる資格はない。第2 の理由は,諸君の隊長も班員も諸君の指導力に信頼をおいていることである。班長の任務の第1 は,班員がスカウティングをするようにすなわち,少なくともスカウティングのもっとも重要なちかいとおきての実践だけは守るように,班員の監督をすることである。これはユニフォームを着ているときだけではない。家庭でも、仕事場でも、学校でも、どこで何をしていようとも、いつでも守るよう監督することである。班長の指導で、もっともたいせつなのは,自分の行動に気をつけ班員によい手本を見せることである。たびたび聞いたことで、またかとうんざりするかもしれないが、たいせつなことは何度きいてもよいものだし、人間である以上諸君だって忘れるということもあろうから、繰り返しいうが、諸君は火曜の集会のときだけ、キャンプにいったときだけ班長らしくすればよいのではない。要は毎分を班長らしく行動し、物事を処理しなければならない。これは班長にとってたいせつな心構えである。諸君の班員が、諸君の前でも、いないところでも、いつでも諸君の命令を守るようでなければならない。班長章を隊長から授与されたときに、諸君はこの責任をしっかり胸にたたきこまなければならない。隊によっては,班長任命式をするところがある―これは規約にはないが―。班長になる者はスカウトのちかいを復唱し、その他にも少しちかいをたてる。それは、こんなふうなものだろう。「私は班に服従し、私の班は隊に服従することをちかいます」「私は班に服従することをちかいます」。班長は没我の精神を持つ者でなければならない。世界史に名を残した指導者はみな、この精神がいかにとうといものであるかを立証している。南極で命を落としたスコット・オーツは指導者の鏡である。ギルウェルにキャンプにきた班長にもりっぱな少年がいた。ある晩おそく、やぶに落ち込んで全身傷だらけになった班長が、管理人の小屋にとびこんできた。「いったい,どうしたんだい」と聞くと,「僕じゃないんです。次長が、次長が火傷をしたんです」といって気絶してしまった。これは班長の鏡といえる。班長には勇気が必要である。なかなかこんなふうに犠牲を払うことはできない。諸君たちの払う犠牲は,せいぜい犠打を打ってクリケットの打撃成績を悪くしたり, 班野営でケーキのいちばん大きいのを遠慮したり,ケーキを食べるのをあきらめることぐらいだろう。根本の精神は同じなのだから、後者ができれば、もしそういう状況にいたれば、前にあげたこともできるし、やる気持にもなると思う。悪い班長の例を2つあげよう。l つは,大きなことをいう班長,いいことは自分の成績にし,悪いことは人のせいにする者である。まあ「調子のいい」男である。「いいから,いいから―おれにまかしておけ」といったタイプの班長はなんの役にもたたない。もうl つは,もっと程度が悪い。いばりちらす班長だ。だいたい,班長は年上の者がなるので,年が上
なだけに体も他の班員より大きいから班の統制をとるには班員,特に、新入りの班員をおどかすに限ると思っている班長だ。考え違いをしないようにしてほしい。よい班には規律が必要だが,規律は「班長の行動を手本にし,班長のような人間になろう」という気風からできあがるのであって、「班長のいうとおりにやれ」という気風から生まれるのではない。大口たたきと空いばりが、よい班長になれない理由だ。このような班長は人間の悪い手本であるから,組長がいなくなると班員はまったく何をしてよいのかわからなくなる。こんな班長はなんといっても最低である。最後に班についてB-P が残されたことばを1 つ紹介しよう。「班長に多くを期待すれば,10 中8.9班長はその期待こたえる活躍をするが,班長を甘やかしたり,その手腕を信頼しないと,班長は積極的に行動しなくなる」ということばである。とれは隊長に与えたことばであるが,私はこのことばをそっくりそのまま諸君に与えたい。諸君の班員は諸君に大きな期待をかけている。諸君は自分を甘やかすことなく、班長に探せられた信頼と責任を自覚して,精神的に自分の創意をいかし,隊長の助けを得ながら班員を訓練しなければならない。

スカウティング誌(S.58(1983)- 6 月号)より

 

1. “ Scouting is a Movement, not just anOrga-nization”―「スカウティングは運動である。組織だけのものではない」

2. スカウトたちは,実行することによって知識を広める―つまり,行うことによって学ぶ―Learning by Doing をするものだが,その実行くDoing)のためには,組織が必要となる。それが班というものなのだ