八幡前の学生下宿は、駅から3、4分の二階建てで、一階と二階に、四畳半の部屋がそれぞれ4つずつあった。
それぞれの部屋には、京都のいろんな大学の学生が入っていたが、挨拶程度でほとんど付き合いはなかった。
風呂、トイレ、台所、冷蔵庫、洗濯機、電話は共同で、風呂は月水金で、土日や火曜、木曜に入りたければ、京福電車で2駅の修学院の銭湯へ行っていた。
トイレはもちろんポットン便所だった。
私の部屋は玄関のすぐそばで、電話番も兼ねていた。
部屋の中央にはコタツが陣取り、その上に14型の白黒テレビが載っていた。
寝る時は部屋の隅にずらし、布団を敷いていた。
学習机は小物置きと化していた。
その横には、大学の生協で買った、パイオニアのコンポーネント・ステレオがあった。
衣類はファンシーケースで事足りた。
そんな狭い部屋だったが、徹マンをして男4人が寝ることもできた。
下宿の近くには、飲食店や地元スーパー、本屋、床屋、歯医者などもあり、それなりの生活が送れた。
一応、4回生まではそこを拠点に、河原町や大学周辺、友達の下宿などを足繫く行き来していた。
留年の5回生になると、友達はほとんど卒業していなくなり、下宿の四畳半に引きこもる、昼夜逆転の、青春の浪費の日々が続いた。
それぞれの部屋には、京都のいろんな大学の学生が入っていたが、挨拶程度でほとんど付き合いはなかった。
風呂、トイレ、台所、冷蔵庫、洗濯機、電話は共同で、風呂は月水金で、土日や火曜、木曜に入りたければ、京福電車で2駅の修学院の銭湯へ行っていた。
トイレはもちろんポットン便所だった。
私の部屋は玄関のすぐそばで、電話番も兼ねていた。
部屋の中央にはコタツが陣取り、その上に14型の白黒テレビが載っていた。
寝る時は部屋の隅にずらし、布団を敷いていた。
学習机は小物置きと化していた。
その横には、大学の生協で買った、パイオニアのコンポーネント・ステレオがあった。
衣類はファンシーケースで事足りた。
そんな狭い部屋だったが、徹マンをして男4人が寝ることもできた。
下宿の近くには、飲食店や地元スーパー、本屋、床屋、歯医者などもあり、それなりの生活が送れた。
一応、4回生まではそこを拠点に、河原町や大学周辺、友達の下宿などを足繫く行き来していた。
留年の5回生になると、友達はほとんど卒業していなくなり、下宿の四畳半に引きこもる、昼夜逆転の、青春の浪費の日々が続いた。
狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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