元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
散歩道・6~京王御陵線遺構
大正天皇が埋葬された多摩御陵の参拝者のために京王電気鉄道御陵線が昭和6年から昭和20年まで営業していた。天皇陵としては関東地区で初めてだったので多くの参拝者が訪れたようだ。当時の京王電気鉄道は新宿から八王子までを繋いでいたが、御陵線は八王子駅のひとつ手前の北野駅から分岐して西に向かい、片倉駅、山田駅を過ぎてから西西北に向きを変え武蔵横山駅(現在は廃駅)を経て多摩御陵前駅(現在は廃駅)までの6.3キロだった。昭和20年、戦局の悪化で路線は休止となり駅舎やレール等は撤去されていった。八王子空襲では多摩御陵前駅舎が甚大な被害を受けたという。
戦後の宅地開発により昭和42年に北野駅から山田駅までが復活しそこから西西南に向かって、めじろ台駅、狭間駅、高尾駅、高尾山口駅までの高尾線が開業した。今やミシュランが認める登山者数世界一の高尾山に向かう路線である。写真は南浅川の横山橋付近の住宅地内にある橋脚の鉄道遺構。前後2基のみが残っている。
戦後の宅地開発により昭和42年に北野駅から山田駅までが復活しそこから西西南に向かって、めじろ台駅、狭間駅、高尾駅、高尾山口駅までの高尾線が開業した。今やミシュランが認める登山者数世界一の高尾山に向かう路線である。写真は南浅川の横山橋付近の住宅地内にある橋脚の鉄道遺構。前後2基のみが残っている。
コメント ( 8 ) | Trackback ( )
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有名な高尾山への乗り入れ路線・高尾線は、この廃線後に新設されたのも初めて知りました。
高尾山にも行きたいし、御陵線跡も歩いてみたいです。
昨晩、「妙な線路大研究 首都圏篇」という本を注文して、明日配達される予定ですが、載っているかなあ…・
昨日、高尾駅から橋本へJRに載りましたが、やはり昔あった
高尾駅~西八王子駅間にあったという、参拝用の東浅川駅が現存していたら、
家からかなり近いので残してほしかったです。
残念ながら載っていませんでした。
とりあえず、この記事をコピーしてすぐ見られるようにしておきます。
これは、実業之日本社の新書版で、私が買ったのは妙な線路大研究 首都圏篇。横浜、埼玉、千葉、奥多摩などの記事が多い。
著者は竹内正浩 さん。
これを読み終えておもしろかったら、東京篇を買って読むつもりです。
そちらに掲載されている可能性はまだあります。