暖かな、いや少し暑い位の日なので散歩に・・・・・タンポポと踊子草が真っ盛り。
誰にでも通りたくない道がある、はずだ。
と書いて、本当にそうなのだろうかとも思うのだが、自分には二つほどある。
その内一つを今日(4月1日)克服した。
克服、大げさか。
しかし、1年2か月の間その道を通らなかった。
思えば昨年の2月。
70センチも積もったあの大雪の後のこと。
雪かきや仕事の調整などてんやわんやがひと段落して、犬の散歩でも、と出かけた。
未だ雪深い状態だが、轍を伝い山へと入ってゆく。
畑へと入る道に一台の車が止まっていた。
大雪で乗り捨てられたと思ったが、ふと車内をみると人の手足と思しきものが・・・・見えた。
車の周囲には轍がなく、足跡もなく。
頭の中で計算した。大雪から二日経っている、ということは・・・・!
遺体だった。
瞬時に自分の周りの空気が変わったと感じた。
今、近世、中世日本史関連の書籍を続けて読んでいる。
網野善彦等は「境界」について論じているが、里山も「境界」であろう。
「異界」との「境界」
私の住まいから少し歩くと里山に入ることができる。
榛名山の麓には噴火堆積物によってぐるっと段丘が作られている。
私の住まいは段丘が平野に落ち込もうとする末端に位置する。
その段丘は、私にとって犬の散歩や山菜採り、シクロのトレーニングなどとても身近な、私の側に位置する里山なのである。
決して奥山ではない。大好きな場所なのだ。
ところが一瞬にして愛すべき里山が、境界領域への入り口、と意識されるようになってしまった。
向こう側は異界。もちろん死の世界。
以来通れなくなってしまった。
でもいつまでも、と意を決して車で通りすぎてみた。
現場では車中から手を合わせた。
もういいよね・・・・・