発見記録

フランスの歴史と文学

Frédéric H. Fajardie (1947-2008)

2008-05-31 17:02:52 | インポート

今月一日、ファジャルディが亡くなった。ファヤルディかもしれない。『ロマン・ノワール』(文庫クセジュ 平岡敦訳)では「ジャ」だが、検索すると『私刑警察』など映画原作・シナリオ関連では「ヤ」の例も。Ronald Moreauが本名、祖母の姓を筆名に借りた。珍しい姓である。(http://www.geopatronyme.com/ ) 

? Tueurs des flics ?(「警官(でか)殺し」)で1979年にデビュー、ネオ・ポラールの旗手と目された作家は、1998年全業績に対して勲章(Chevalier de l'Ordre des Arts et Lettres)をもらっているが、政治家が競ってその死を悼むほどにはえらくなかった。ピエール・アスリーヌのブログを目にしなければ、訃報を知らずにいただろう。

1984年の作? Querelleur ?(←競走馬の名前 )のエピグラフには、シャルル・トレネ? Fidèle ?(忠実、誠実)から最初の二行が引かれる。五月革命世代で、極左のセクトにいたというが、その趣味に不思議に古風な面がある。オフィシャル・サイトFajardie.net の自伝的小文で、青年期の愛読書の中にバルベー・ドールヴィイ(? Le Chevalier Des Touches ?)が挙がり、ははんと思った。

『警官殺し』は1975年に書かれたが、刊行まで四年を要した(Coll.?Sanguine? , Editions Phot’oeil) 出版社はまもなくつぶれる。NéOから復刊された1984年版の裏表紙には、

“ Il y a chez cet auteur qu’il faut absolument lire des phrases que Chandler ou Hemingway auraient pu écrire.” ( Le Point )
“ Fajardie reste, quoiqu’en disent les envieux, la meilleure invention du polar depuis Manchette. ” ( Le Nouvel Observateur )

など二十余りの書評抜粋が並ぶ。チャンドラーを初め「アメリカの偉大な先達」を引き合いに出す褒め方には、時代を感じる。題材、雰囲気、この頃のファジャルディがマンシェット、特に ? Nada ?( 1972 『地下組織ナーダ』岡村孝一訳、早川書房 1975)を連想させたのは無理もない。ただファジャルディ自身はマンシェットとの比較を嫌った。文体の違いを見てくれ、と言う。(前出自伝)
過激な暴力性は、確かに衝撃的だったろう。しかしそれは文体や「調子」ton と不可分のものだった。“Bien écrit. ”(文章が良い)“Un style puissant,rageur. ”(力強い、怒りの文体) “Un nouveau ton furieux et sans pitié” (荒々しく、情け容赦のない、斬新な調子)(上記書評抜粋から) 文庫クセジュの『ロマン・ノワール』には、的確なファジャルディの文体批評がある。

『警官殺し』では黒人一人を含む三人組が、警察官から裁判長、国会議員まで次々に殺害する。芝居がかりの扮装(冒頭の犯行では道化のオーギュストとクラウン、ミシュランのタイヤ男Bibendum)、残忍な手口。ピエール・ヴィダル=ナケのギリシア古代史講義に出ていたファジャルディは、八つ裂きにされるペンテウスの悲劇を甦らせる。「おじちゃん」Tontonと呼ばれる上司(commissaire principal)は、パドヴァーニの亡くなった父の友人。日和見と裏工作を心得た「政治的警察官」policier politiqueでもある。

三人組は既製の左翼セクトには属さない孤立集団。犯行は何かの報復・見せしめを意図したものらしい。拉致された巡査部長は、地下鉄シャロンヌ駅事件(アルジェリア戦争中の1962年、右翼のテロに抗議するデモ参加者が機動隊に襲われ死者が出た)で警官の一人だった。ファジャルディは父親とこのシャロンヌのデモに参加している。

眠れない夜、パドヴァーニ警視は起き出して窓からパリを見る。

 L’idéé me vint alors d’un plan machiavélique : ces tours, cette marée de béton, d’acier et de verre fumé, n’était-ce pas le test suprême, seul capable de séparer les bons des mauvais, les moutons des loups solitaires ? A cette deuxième catégorie appartenaient les tueurs mais aussi Tonton, Ouap, d’une certaine manière Ben Ghozi et d’une autre, ascendente, moi-même.
 Nous allions nous déchirer entre nous et les moutons l’emporteraient sans combattre…

Ouap は飲んだくれの老アナーキスト、Ben Ghozi はユダヤ系の刑事。殺し屋たちと警視、彼の仲間が、ともに「一匹狼」の範疇に入れられる。狼は殺し合い、最後には羊たちが戦わずして勝つだろう。第一次大戦中の反抗兵士も、殺し合いを命じる将軍や、兵役を免れた人たちに憤りを感じていた。

Ouapは偶然犯行を目撃する。生まれてから警察官に口を利いたことのない男は「たれこみ」をためらう。しかし三人組のやり方は残虐で、相手は一人だった。アナーキストにとって治安の維持は思想的な難題となるはずだが、老人は自分なりの正義に基づいて行動する。

警察嫌いの警察小説家は、倫理的なすじを通すために苦心する。警視に作者自身とまぎらわしい特性を与え、殺し屋の一人をわざわざ「フレデリック」と名づけ、最後の警視とフレデリックの戦いを、「私」と分身との対決のように見せる。殺し屋は死ぬが、警視も重傷を負う。同士討ちを避けるため目印につけた腕章もなくし、「組織犯罪取締り班」la brigade anti-gangの連中に殺されかける。銃口を押し当てられながら瀕死の警視は「パドヴァーニだ」の一言を発することができない。
警察官が自己を証明するものを失い、犯罪者と見分けがつかない。同じ事態は、愛する女性を失った飛行士の復讐譚? L’Adieu aux anges ?(1984)でも繰り返されるだろう。

ファジャルディは次第に「ノワール」ではない「ロマン」を書き始める。シムノンの場合にも言えるが、内実の変化と、「黒」の作家を「白」で出す、出版社側の扱いの変化が並行していた。ノワール以後の展開を、とことん追いかけることはできなかった。デュマに比される長編時代小説もあるが読んでいない。私は忠実な読者だったろうか?

第二次大戦終盤、対独レジスタンスの内部抗争を背景にした? L’Homme en harmonie ?(1990)は、南西フランス秘密軍指導者ルロワ=クレマンティの手記と、戦後の取調べ調書からなり、人質を救うためSS将校と取り引きした男の、複雑な人間性を浮かび上がらす。単純明快な正義が成り立たない世界で、読者を挑発し当惑させ、それでもぎりぎりのところで共感を呼び、かっこの良さを感じさせる主人公の創造が、ここでの作者の課題だった。現代史の暗部に執拗に立ち返る性癖は当初からのもので、この点、アミラ/メケールとデナンクスこそファジャルディの同志と呼ぶにふさわしかった。