教授の評価は(asahi.com マイタウン 多摩)
多くの大学で行われている「授業アンケート」についての論評.
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が、氏名無記名であることから、直接教授を中傷するたちの悪いものも出る。… 大学当局はそれを教員にそのまま見せる。
学生は教育される者、修行中の身である。そういった彼らに評価を無記名でやらせれば、こうなるのは自明のことで、ほかのやり方があるのではないかと思う。
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困ったことに,いまどきの学生には「自分が授業内容を理解できないのは教員が一方的に悪いからだ」といわんばかりの屈折した権利意識を持つ人が少なくありません.
私の職場でも,つい先日,前期のアンケート結果が教員に通知され,まさに指摘されたことが起こりました.
私の職場の場合,アンケートシステムを運用している組織が,ここで指摘されている弊害を認識していて,教員側からの「アンケート結果へのコメント」,すなわち反論の機会を設けている点で,まだましなほうです.中傷を書く学生がそれを読むかどうかという問題は残りますが,教員が「やられっぱなし」になることは避けられます.
「教育はサービス業」という指摘を全否定するつもりはありませんが,私は,大学教育は教員が学生に一方的にサービスするものではなく,教員と学生が共同参画して成果を挙げるべき営みだと考えています.そして,学生の参画とは,教員と学生が面と向き合う教室の中で行われるべきもので,匿名のアンケートで不平不満を述べることとは違うはずです.
授業アンケートのもうひとつの問題点を指摘しておきます.大学として組織的にアンケートを行うと,低年次の学生は一度にたくさんの授業のアンケートへの回答を求められ,しかも,回答すること自体の手間がばかになりません.そうなると,いきおい回答に対する態度は投げやりになるでしょう.
私の前の職場でも,授業アンケートの話題が地方紙の社会面に載りましたが,「面倒だから適当に記入した」という学生の本音が記事に書かれていました.
だから,この手のアンケートに実効性を持たせるためには,回答項目を絞り込んで(5項目程度),回答の手間を極限まで少なくすべきです.
私の職場のアンケートは,5~6段階評価が12項目,自由記述が2項目で,しかも各学生が学内ネットワーク端末で回答するシステムなので(学生が自発的にログインする必要がある),回答の手間は馬鹿になりません.もっとも,アンケート実施期間内の任意のタイミングで回答できるという点では,教室でマークシートを配ってすぐに回収する方法よりはよいのかもしれません.
ところで,
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よく言われている10年前のノートをただ読んでいる教授がいることもその一つの表れであろう。
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という指摘については,私の経験から,「そういうステレオタイプな批判があてはまる大学教員はいまや少数で,多くの教員は授業改善に熱心である」と弁護しておきます.
それから,「10年前のノートをただ読んでいる」という決まり文句の揶揄は感心しません.問題点を「10年前のノート」と「ただ読んでいる」に分解して,それぞれの是非を分析すべきです.教える内容に十分な永続性と普遍性があって,10年前のノートが今なお通用する優れたものであれば,それを使い続けることを咎める理由はありません.最新の教科書の中にも劣悪なものはあります.「ただ読んでいる」については,読む対象が10年前のノートであろうと最新の教科書であろうと無関係で,「10年前のノート」と結びつけて揶揄するのは,まっとうな批判とはいえません.