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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld 第20話『夜空の剣』感想2: SAOの売りってゲーム世界の中のリアルさだったんじゃなかったっけ?

2020-08-30 09:59:27 | SAO/AW
前の20話の感想を見直してみると、わりと厳しいことを書いてしまっているように我ながら思ったのだけど、それはなんでかなー、と考えてみたら、やぱり、ユージオや心意の表現が、あまりにオカルトにすぎるからなんだと思った。

SAOの魅力って、もともとアインクラッドのときにあった「ゲームだけどゲームではない」という世界観だったと思うのだよね。

端的にゲーム内で死んだらそれで終わりというルールの存在。

それゆえ、ゲーム内の出来事に「痛み」や「慈しみ」を感じることができた。

それが、このWoU編では、完全に消えてしまっている。

何度も言うけど、アンダーワールドにおける「心意」ってオカルト技ではなく、意志の力でシステムを出し抜く一種の裏技。

アクセルワールドと同じように。

だから、あくまでもギリギリまで研ぎ澄まされた意志が必要で。

で、キリトの場合はそれをアインクラッド以後の経験でおのずから身につけてきた、というのが、一応の説明だったはず。

だから、最後のガブリエル戦も、その線に沿って、あくまでもキリトの意志で倒した、という描写でなければいけなかったはず。

しかも「心意」技は、達人の一手として、あくまでも瞬間の出来事で。

それ以外は、まぁ、普通の人間の状態でないとおかしい。

もちろん、アンダーワールド世界には、神聖術という魔法じみた力があるけれど、それとてあくまでもシステムのプログラムに一定の手順で介入して、通常の物理法則に反するような能力を発揮していた。

ちょうど『魔法科高校の劣等生』の世界の魔法と同じように、一応の理屈はあった。

だから、アンダーワールドの世界では、それもまた「リアル」の一面として位置づけられていた。

相手が神聖術を使えばこちらは別の神聖術で返すという具合に。

でも、個々の神聖術は万能ではないし、個人によって得手不得手があるという具合で。

こんな感じで、万能の能力ではないし、ましてや超自然的な神秘的な力ではないんだよね。

それが、WoUの最終局面では、正確にはプーの登場のあたりから、完全に画面上の描写が「科学的な理屈のある神聖術」の領域を超えて、完全にオカルトじみたものに変わってしまった。

で最後の、キリトvsガブリエルの戦いなんて、もうほとんどガンダム、正確にはZガンダムのニュータイプどうしの戦いみたいになっちゃった。

つまり、リアルさを放棄しちゃったんだよね。

アンダーワールドでは死んだ人扱いのユージオが、ほとんどカミーユを助けたフォウのような感じで幽体として登場してしまうし。

つまり、キリトの主観で、そこにユージオがいるように感じる様な描写ではなくて、もはや事実上そこに実体があるようなスタンド的な描写になってしまった。

で、それではただのオカルトなんだよ。

同じ疑問は、実は、プー戦のときのアスナの傍らに現れたユウキの亡霊的存在にも疑問を感じていたわけど、でもそのときは、あくまでもアスナにとっての「リアル」という範囲の表現にとどまっていると解釈した。

その意味では、それもまたこのアンダーワールドというゲーム世界の「リアル」の一環だと思った。

剣になったユージオが意志をもって動いたように。

だって、究極のところ、このアンダーワールドのシステムでは、擬似的なフラクトライトが魂の実体としてあって、姿形はそのフラクトライトがアンダーワールド世界で動くための一種のアバターでしか無いはずだから。

だから、アインクラッドで死んだはずのユナが実体を持つのも理解できたし。


なので、ユージオについても、ユウキくらいの、キリトに助言をするくらい程度の存在にとどめておかないと、ただのオカルトになってしまう。

いやまあ、アンダーワールドのシステム特性からすれば、そういうオカルトが生じてもおかしくはないのだけど、でもねぇ、そのオカルト能力を駆使した戦闘では、「黒の剣士」のキリトの本領は全然発揮されない。

剣技で相手を切り倒すのがキリトだったはずで。

だから、どうしても、あのガブリエル戦は納得がいかないんだよね、表現として。

せめて、プーのように、知に足がついたところで剣技を繰り出す場面が、最後の瞬間にはほしかった。

だって、あの20話の描写では、まるでキリトが「アンダーワールドのキリト」というロボットに乗って戦って見るみたいだったから。

でもね、その描写は、アバターで戦うアクセル・ワールでの世界であって、SAOはそうではないんだよ。

その点で、監督を伊藤智彦から小野学に変えたのはやっぱりうまくなかったんだろうな。

伊藤智彦は、「これはゲームではない」の意味について、ちゃんと考えて描写していたからね。

だから、SAOの中で死ぬときは、ちゃんとポリゴンが消える形にして、これがリアルワールドではないことを確認させながら、その上でちゃんと「死」を迎えさせていたから。

もちろん、原作者も、そうした「リアルネス」の崩壊がアリシゼーション編でおかしくなったのはわかったから、続く新章のユナイタル・リング編では、再び、ゲーム世界のルールのあれこれを導入して、サイバーワールドの中のリアルネスを再度取り戻そうとしているのだけど。

でもまぁ、とにかく、オカルトにしちゃダメだよ。

SAOはガンダムじゃないし、心意はニュータイプじゃないから。
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