BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『囮物語』 感想2: 囮の意味

2011-07-04 01:10:51 | 西尾維新
ネットを見ると、予想通り、『囮』が面白いという声が多いようで、正直引く。
というか、ネットはアニメと花澤ボイスで入った人が中心だからなんだろうな。
うーん、しかし、ホントにこれでいいのか?

撫子ターンとか、ラスボスとか、ヤンデレとか、・・・
そんなにテンプレ的に解釈したいのかなぁ。

『化物語』シリーズって一応、ラノベカテゴリーではなかったと思うのだけど、
あるいは、西尾維新の本拠地である講談社ノベルスもラノベではなかったはずだけど、
この『囮』の展開は、テンプレの嵐で、まんまラノベでしょ。
ラノベっぽいけどラノベじゃない、というのが西尾維新のスタイルだと思っていたんだけどな。残念だ。

完全に読者の読書フレームに沿った形で、『化』のストーリーを組みなおしてしまったのが『囮』って感じだな。

ま、確かに『化』の中で千石だけが怪異と直接向き合っていなかったのは事実だから、「怪異」そのものとの対峙を行うキャラとして残っていたのは千石だけだった。

他のキャラがひと通り、怪異との苦悩を経験し克服していったのに対して、千石だけは、いわばお客様のように、ただ助けてもらっただけだった。

他の面々は:

ガハラさん → 蟹を自ら呼びこみ、蟹を祓う
神原 → 猿の手を自分に取り込ませ、猿の手をなんとか振り切る。
八九寺 → 自分自身が怪異
羽川 → 無意識にうちに自分自身が怪異に。その怪異に意識として向きあう。
阿羅々木くん → 吸血鬼になる。吸血鬼を従える。

その分、阿良々木君らが抱える、怪異の「深刻な」物語に千石が関わることができなかった。なぜなら、怪異を知るものではあるが、あくまでも「被害者」でしかなかったから。

物語の構造上、被害者という受動的な立場である千石は、物語の核心に迫ることができないところにあった。だから、逆説的に、作中で、他のヒロインと同等の立場で阿良々木くんに相対しようと思ったら、一度、怪異を自らに取り込まないではいられなかった。

そういう意味では、アニメの『化』の最後で、阿良々木+ガハラ+神原+羽川、が集まったシーンで終わったのは、千石のポジション(=物語の構造にハブられていた)を象徴的に表していたわけだ。

八九寺は浮遊霊でガハラさんや神原には見えないから、その場にはいられない。でも、千石は本来ならいてもおかしくない。いや、千石は中学生だから、という理由であの場に居合わせなかったことには表向き理屈は立つのだけど、本質的な問題は、千石が怪異と対峙した経験がなく、怪異について語って笑えるだけの位置に、つまり、ガハラさんたちと同じ位置にはいられなかった、というのが本当の理由だったわけだ。

多分、『偽』で、火憐や月火が怪異と接点を持つようなことがなければ、千石も一般人代表として物語に、むしろ、一般人であるがゆえの関わり方もありえたはずなのだけど。

でも、ファイヤーシスターズは二人とも怪異と関わってしまった。
月火に至っては怪異そのものだし。

そうなると、千石だけが完全に物語の構造からハブられてしまっていて。

あ、だから、ハブ=蛇、にとりつかれる、という洒落だったのかもしれないが。

そういう意味では、千石が『化』の物語世界に関わり、他のヒロインと同等の立ち位置で、つまり、公平な立場で阿良々木くんに向かうには、怪異を取り込む必要がどうしてもあった。

そして、シリーズ構成上、無敵キャラにするしかなかった、ということなのかもしれない。

裏返すと、『恋』での大団円は、千石が他のキャラと同等の立ち位置に立てたのだ、と実感できるところで、あっさり蛇の呪縛から解かれてしまうのかもしれない。

そういう意味では、千石vsガハラさん、という構図が正しいのだろうし、
その二人で阿良々木くんの恋を奪い合う、という意味で『恋』なのかもしれない。

・・・と、このように『囮』の展開から『恋』へは比較的ストレートに物語をつなげることができるといえばできるはずだけど、その場合、『恋』においては、阿良々木くんと忍は結構ハブられた展開になりそうだな。どう考えても、千石は、もし生き長らえるのなら、正式に失恋を経験しないといけないわけだし。

むしろ、阿良々木+忍のコンビの強さを確認するような話が、次の『鬼』になるのだろうな。

で、いずれにしても、忍野扇がトリックスターの役割を担うのだろう。
というか、『囮』の話自体を、文字通りパラレルワールドの囮だった、という風に締めくくる。

そうなると、逆に、サードシーズンの開始は必然でもある。
というのも、セカンドを、一種の『化』の並行世界的別解釈としないと、
千石が完全復活できないから。
少なくとも『傾』で一度、阿良々木くんがいない世界もあり得ることを示したわけだから、
セカンドは平行世界でした、という話で終えられる。

あるいは、もう少し突っ込めば、扇が出てきたのは『傾』からだから、
あの話から、既にセカンドの物語は扇の統制下にあって、そこからの物語はいずれも別ルートでした、という解釈が可能だということ。
その意味では、『猫白』で羽川視点を採用したのは、その話は扇の統制下にはなかった、ということを示すためのものかもしれない。

つまり、『傾』以降は、扇が作ったもうひとつの世界、ということだ。

したがって、本来の『化』の世界に戻るには、必然的にサードシーズンを書く必要がある、ということなのだろう。

そう考えると、多分、次の『鬼』で、扇が作り出す「怪異的平行世界」についても言及されて、『恋』における千石の問題の解決策も示されてしまうのかもしれない。

だって、『恋』まで待たないと『囮』の決着がつかないような物語構成を、西尾維新が素直に行なってくるとは思えないからだ。

むしろ、戦うと見せて、戦いに到る前に問題が解決されてしまうのが、本来の『化』の特徴だろうから。

そう思えば、『囮』の最後の予告編だって、単に千石が千石のイメージで語っただけのこと。
それが何かを確約する必然はどこにもない。
もっといえば、『囮』が実質的に千石の独り語りに終始したことを考えれば、この物語が、千石の夢オチとなっても何らおかしくない。

というか、それくらいの、物語構造そのものをトリックとして活用するようなひねりを加えてきてくれないと、さすがに西尾維新らしくないぞ、ということ。

そうでないと、この『囮』の見た目のつまらなさは解消されないから。

ということで、相当ポジティブシンキングをしたところで、『鬼』を待つことにしよう。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西尾維新 『囮物語』 感想 | トップ | 魔法先生ネギま! 331時間目... »

西尾維新」カテゴリの最新記事