114話の最後の場面で、四葉が「好きです」というシーンを見て、ああ、そういうことだったのか!と思ったことが、実は2つあった。
ひとつは、もちろん、全く同じ構図、つまり、寝転がった風太郎の頭を抱えて上から四葉が覗き込むようにする構図が、以前にもあったこと(21話)。
ああ、あの時に、すでに四葉の隠していた気持ちは漏れていたんだ、ということ。
・・・といっても、このことは、もはや読者にとっては周知の事実だけどね。
で、もうひとつは、21話のこの四葉のなんちゃって告白シーンを思い出してのことで、その時に発せられた「嘘(ウッソー)」という言葉だった。
で、その結果、なにを思い出したかといえば、一花が京都で言った「全部、嘘」という言葉。
あの「全部、嘘」という言葉は、風太郎の視点に立つと、もちろん、一花、こいつ、なに言ってんだ?という疑問であることは間違いないのだけど、でも、それと合わせて、あれ、そういえば、前にも、嘘、って言われたことあったっけ?、ということで、その相手は、他でもない四葉であったこと。
いや、だから、
あの一花の「全部、嘘」という言葉も、四葉の「ウッソー」という言葉を思い出すための鍵のような言葉だったのだろうなー、ということ。
さらにいえば、あの一花の「全部、嘘」の言葉の直前に、一花は風太郎の頬にキスをしていたわけだけど、あの場所も以前に、四葉がケーキのクリームを取るために(という口実で?)風太郎にほっぺチューをしたところと同じだったんだよね。
それを一花が狙っていたかどうかはわからないけど、少なくとも作者は狙っていたのだろうな、と思う。
その上で、風太郎からしたら、四葉の「嘘」に気づいちゃったんだろうね。
その意味では、一花と四葉とで、嘘つきの習熟度が違っていたということ。
恐るべしは、四葉の、嘘マスターっぷり。
見事なまでの本心を隠す演技力。
それにしても、まさか一花の「全部、嘘」が、四葉の「ウッソー」と対比される形で、逆に、四葉が筋金入りの「嘘つき=演技上手」であることが示唆されるとは思わなかった。
本心を隠す、という点で、四葉の演技のほうが徹底していた、ということだね。
つまりは、四葉は、最高の「嘘つき」だった。
それがゆえの、芝居上手。
そして、その表現の機微を風太郎も最後には気づいていた。
というか、おおむね、京都の修学旅行のときには気づきかけていたということだけど。
逃走した三玖を追って、四葉とバスで追いかけていたところね。
でもそんなことがあったからこそ、114話の最後で風太郎は、ダメ人間どうしだけど、お互いに支えあえる存在として、四葉を選んだのだろうな。
二乃のような、一方的なアタックでもなければ、
三玖のような、思慕を向ける対象でもなく、
一花のように、恋愛の駆け引きを楽しむ相手でもなく。
そういうめんどくさい、手続きをすっ飛ばして、
お互いに支えあえるパートナー。
それば四葉だった。
溢れ出す好意を身体で全面に表しながらも、言葉には決して出すことのなかった嘘つきの四葉。
彼女を風太郎は最終的にを選んだ。
もちろん、この風太郎の決断には、というか、風太郎に四葉を選ばせた作者の目論見には思うところがないわけでないのだけれど。
だって、
グイグイアタックしてくる肉食系の女子たち(二乃は言うに及ばず、三玖も最後はそうなっていた)よりも、
策を弄して自分に向かうように場を支配しようとする女子(一花のことね)よりも、
一途な思いをひた隠しにしながら、ひたすら自分を陰で支え続けようとする健気な女子(四葉)
が、最後に選ばれるのだから。
それが読者にはヒットしている、と作者は捉えているということだよね。
無条件に尽くしてくれる(元気いっぱいの)大和撫子
それが当代の理想の女子、というのが、新ラブコメ王のねぎ先生の結論だった。
それはそうなんだろうな。
王道中の王道。
その健気さを、決して古っぽくなく、ましてやあざとくもなく描くための仕掛けとして用意されたのが、四葉の過去に、風太郎との出会いと、前高校の退学処分を全員に負わせた姉妹への負い目、という2つの重たいエピソードを配したことだった。
にしても、この先の8話あまり、なにを描くのだろう。
いや、進路、受験、卒業、結婚式とイベント目白押しだから、あっという間に消化できるのか?
ひとつは、もちろん、全く同じ構図、つまり、寝転がった風太郎の頭を抱えて上から四葉が覗き込むようにする構図が、以前にもあったこと(21話)。
ああ、あの時に、すでに四葉の隠していた気持ちは漏れていたんだ、ということ。
・・・といっても、このことは、もはや読者にとっては周知の事実だけどね。
で、もうひとつは、21話のこの四葉のなんちゃって告白シーンを思い出してのことで、その時に発せられた「嘘(ウッソー)」という言葉だった。
で、その結果、なにを思い出したかといえば、一花が京都で言った「全部、嘘」という言葉。
あの「全部、嘘」という言葉は、風太郎の視点に立つと、もちろん、一花、こいつ、なに言ってんだ?という疑問であることは間違いないのだけど、でも、それと合わせて、あれ、そういえば、前にも、嘘、って言われたことあったっけ?、ということで、その相手は、他でもない四葉であったこと。
いや、だから、
あの一花の「全部、嘘」という言葉も、四葉の「ウッソー」という言葉を思い出すための鍵のような言葉だったのだろうなー、ということ。
さらにいえば、あの一花の「全部、嘘」の言葉の直前に、一花は風太郎の頬にキスをしていたわけだけど、あの場所も以前に、四葉がケーキのクリームを取るために(という口実で?)風太郎にほっぺチューをしたところと同じだったんだよね。
それを一花が狙っていたかどうかはわからないけど、少なくとも作者は狙っていたのだろうな、と思う。
その上で、風太郎からしたら、四葉の「嘘」に気づいちゃったんだろうね。
その意味では、一花と四葉とで、嘘つきの習熟度が違っていたということ。
恐るべしは、四葉の、嘘マスターっぷり。
見事なまでの本心を隠す演技力。
それにしても、まさか一花の「全部、嘘」が、四葉の「ウッソー」と対比される形で、逆に、四葉が筋金入りの「嘘つき=演技上手」であることが示唆されるとは思わなかった。
本心を隠す、という点で、四葉の演技のほうが徹底していた、ということだね。
つまりは、四葉は、最高の「嘘つき」だった。
それがゆえの、芝居上手。
そして、その表現の機微を風太郎も最後には気づいていた。
というか、おおむね、京都の修学旅行のときには気づきかけていたということだけど。
逃走した三玖を追って、四葉とバスで追いかけていたところね。
でもそんなことがあったからこそ、114話の最後で風太郎は、ダメ人間どうしだけど、お互いに支えあえる存在として、四葉を選んだのだろうな。
二乃のような、一方的なアタックでもなければ、
三玖のような、思慕を向ける対象でもなく、
一花のように、恋愛の駆け引きを楽しむ相手でもなく。
そういうめんどくさい、手続きをすっ飛ばして、
お互いに支えあえるパートナー。
それば四葉だった。
溢れ出す好意を身体で全面に表しながらも、言葉には決して出すことのなかった嘘つきの四葉。
彼女を風太郎は最終的にを選んだ。
もちろん、この風太郎の決断には、というか、風太郎に四葉を選ばせた作者の目論見には思うところがないわけでないのだけれど。
だって、
グイグイアタックしてくる肉食系の女子たち(二乃は言うに及ばず、三玖も最後はそうなっていた)よりも、
策を弄して自分に向かうように場を支配しようとする女子(一花のことね)よりも、
一途な思いをひた隠しにしながら、ひたすら自分を陰で支え続けようとする健気な女子(四葉)
が、最後に選ばれるのだから。
それが読者にはヒットしている、と作者は捉えているということだよね。
無条件に尽くしてくれる(元気いっぱいの)大和撫子
それが当代の理想の女子、というのが、新ラブコメ王のねぎ先生の結論だった。
それはそうなんだろうな。
王道中の王道。
その健気さを、決して古っぽくなく、ましてやあざとくもなく描くための仕掛けとして用意されたのが、四葉の過去に、風太郎との出会いと、前高校の退学処分を全員に負わせた姉妹への負い目、という2つの重たいエピソードを配したことだった。
にしても、この先の8話あまり、なにを描くのだろう。
いや、進路、受験、卒業、結婚式とイベント目白押しだから、あっという間に消化できるのか?