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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

劇場版 ソードアート・オンライン ―オーディナル・スケール― 感想

2017-09-14 19:33:52 | SAO/AW
ようやくSAO劇場版を観ることができたのだけど、思っていた以上によくできていてビックリ。
というか、素直に面白かった。

映画公開からすでに結構時間が経ってはいるけど、一応、スペース空けときます。





































なんか最初はVRじゃなくてAR?、なにそれ?なんか時流におもねちゃったの?とか思っていたのだけど、そのARが予想以上にしっくり来て、へぇ、と感じた。

まぁ、キリトさんのセリフじゃないけど、そりゃ、生身の体の動きは重いよね。
そこは最後まで<苦笑>の連続だったわけだけど、そこさえ目をつむれば、ホント、よくできていた。

なにがうまいかって、はじめは今風のARで入りながら、それがちゃんとVRにつながっていくところ。
あと、最初は全然関係ない風を装いながら、最終的にはSAOの原点である「アインクラッド」に戻っていったところ。

エギルが代弁してくれたとおり、おお、これが本来のアインクラッド第100層のラスボスだったのか!って思ったものね。

で、そのラスボスを、SAOキャラ総出で攻略するところは、やっぱり、マジ感動もの。
さすがは劇場版のことだけあって、どのキャラもものすごい速さで動くし、ラスボスの火力もそれに劣らず凄まじいしw

あと、アインクラッドの記憶を失ったアスナが、遅れてラスボス戦に加わりながら、そこで駆使したのが、絶剣ユウキの剣技だった、ってのは、あぁ、そう来たか!って思ったものね。

時系列的には、この「オーディナル・スケール」はマザーズ・ロザリオとアリシゼーションの間の話だということだけど、その位置に上手く収まっているよね。

このラスボス総力戦のあり方は、それこそアリシゼーション編最後の総力戦のいわば前哨戦みたいなもので、これがあればこそ、アリシゼーションにおいてもSAOやALOの皆が駆けつけてくれることにリアリティを与えるものね。

もちろん、最後に「ラース」も出てきたわけだし。

なので、既刊のSAOの話の流れにも無理なく収まっているのがいい。


加えて、新作であるにも関わらず、SAOの原点であるアインクラッドのデスゲームに戻っているところは、やっぱり、作者自ら脚本に関わっていればこそのことなんだろうなぁ、と真剣に感心した。

もちろん、後付の設定だけど、ユナもエイジも、あのデスゲームの中にいた、というのは上手いし、そこで死を迎えたユナを、なんとかデジタル的に生き返らせよう、というのも、今回の事件の動機として理解できる。人々の記憶を集めて本人の心を再構成して電子的に生き返らせようというのは、サイバーものの常套手段だから、すんなり理解できるし。

ともあれ、そうしてARの世界からVRの世界に、今のARの話から昔のアインクラッドの話に遡るのは上手い。それに、ちょっと強引ではあるけれど、アインクラッドでは不完全燃焼で終わってしまった100層ラスボスの攻略を、ユナやその父親の重村の無念をはらすためのイベントにしたところも上手いなぁ、と。

それにしても、重村研、優秀だな。

そこでまた、茅場の姿が現れるし、もっといえば、茅場が電子的には存命していることも、ちらっと描写されていて、これはそのままアリシゼーション編に向けた布石になってるし。

てか、どれだけ茅場が優秀だったのか、ってことだけどね。

あとは、劇場版の舞台となった2026年の近未来の東京が、微妙にリアルなところも微笑ましかったしw
まぁ、オリンピックの後の新国立競技場がこれでもか、という感じで映っていたのは笑えたけど。

とはいえ、新宿にせよ、明治神宮にせよ、恵比寿にせよ、あるいは大岡山のなんちゃって東工大にせよ、いちいち地名も風景もリアルで、物語りの中に具体的な動きがあってよかった。リアルにARっぽいしね。

このあたりはSAOというよりも、アクセルワールドやアイソレータを書いた経験が作者の中で生きているってことなんだろうし。

で物語自体は、とにかくSAOの原点に帰っているところが素晴らしい。

というか、結局のところ、SAOって、アインクラッドのデスゲームが、まさにアルファでありオメガである、ということだよね。

裏返すと、何を書いても、アインクラッドの「痛さ」には届かない。

少なくともアリシゼーション以前のSAOでは、アインクラッドのデスゲームが全て、ってことだね。

フェアリ・ダンス編でリーファというか直葉が言っていたとおり、アインクラッドの帰還者が現れると、もうそれだけでかなわない、ってこと。

結局、デスゲームの経験は、いってしまえば災害経験と言うか戦争経験と言うか、とにかく集団的なトラウマ体験であり、一種のホロコーストのようなものだったわけで、その過酷さと閉塞感は、何者にも代えがたい、ということだよね。

作者がそこまで考えてあのデスゲームの世界を作り出しのかどうかはわからないけど、とにかく、あのデスゲーム体験を最初にもってきたのは、SAOにとてつもないほどの物語的強度を与えている。今回の劇場版でそれが確認された感じ。

なので、今後も適宜、「始まりのアインクラッド」に戻ってくるんだろうな。
といか、はっきり言って、物語リソースとしては無尽蔵だよね。
となると、ゲーマスの茅場は、やっぱり神だった、ってことになるのだろうなぁ。
そして、その神を倒した英雄のキリト。

SAOの物語世界は、茅場×キリトで回っていることもよくわかったよ。

となると、AW世界における「始まりの諍い」というのも、やっぱり茅場とキリト絡みなんだろうなぁ・・・とか、思っちゃうよ。

ともあれ、オーディナル・スケール、面白かった。

今回は、キリト一座もみな出番があって活躍できたし、それぞれキャラの強さが増してきたのもよかった。

SAOは、痛みが提示されても、その克服劇がちゃんと用意されていて、大団円を迎えた時、一つの成長が達成されているんだよね。

ある意味で王道過ぎて地味な展開だけど、その安定したプロットがあるから、きっと海外でも人気を博しているんだろうな、って思ったよ。

まぁ、もちろん、キリトさん無双!ってのは、ちゃんと今時のラノベっぽくはあるのだけど、正直なところ、だんだんキリト無双も薄くなってきてるしね。

というか、キリト無双という設定を一度リセットして、素の、弱いキリトを見せるためにも、今回、はじめはARだったのかもしれない。

もちろん、最後はキリト無双なわけだけど。

ああ、そういう意味では、AR中での階層ボス攻略の際、キリトがあまりに鬼気迫る戦い方をした時、周りのプレイヤーがドン引きしていたけど、あれがホントなんだろうなぁ。

その意味で、アインクラッド帰還者は、ある意味で戦争帰還兵のようにある種のトラウマを心のなかに抱えているってことだよね。

アスナが陣頭指揮を取っている時にも、周りのプレイヤーが似たような反応をしていたし。

そして、この「普通のプレイヤーたちとは違う切迫感」を持つ限り、キリトたちの物語は、いくらでもつくれるんだろうな。

そして、このトラウマ体験がキリトたちにある限り、リーファやシノンは絶対、アスナたちには勝てないよね。まぁ、逆に、その経験がないことを理由に、絶対的な愛情を示すという展開もなくはないわけだけどw

時系列的にオーディナル・スケールの後には、アリシゼーションが控えていることはわかっているのだけど――設定上は、オーディナル・スケールが2026年4月、アリシゼーションが2026年6月で、2ヶ月しかないw キリトさん、大忙しだなw――、できれば、このオーディナル・スケールのノリで、アリシゼーション編がなかったルートの物語が始まっても面白いかも、と思った。

どうやら、電撃文庫のSAOでは、21巻からは、現実の2026年の時間軸に戻ってくるみたいなので、同じようなことを作者も考えているのかもしれないけれど。

うまくいけば、ワンピース同様、「終わらないコンテント」として大成するかもしれないね。

とりあえず、積読状態にある、アリシゼーション編の文庫版、読もうかなw
もちろん、ウェブ版は読了してるのだけどねw

オーディナル・スケール、面白かった!

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