いやー、これは、もう、ネッサ、で見るしかないのだろうなぁ。
花澤香菜パワーが炸裂ですよw
今まで彼女が演じてきた声色とは異なる質のもので、
でも、どこか、彼女が演じてきた声の集大成でもあるようで。
今回は、結局、そこに一番引きつけられてしまったのでした。
で、物語自体は、正直、過去作品へのオマージュが多すぎるし、
設定はいろいろと情報社会批判っぽいし、
絵的は、某作品の影響が多いように思える。
あからさまなくらいのカップリングとそれによる情報量の多さから、
物語に素直に没入させてくれない、というのが正直なところ。
構成、物語、絵、設定、の全てが自己主張していて、
つまりは、ハレーションを起こしていて、目がチカチカする、という感じ。
もう少し、お話が進めば、それらもしっくり来るのかもしれないが、
全体的にカップリングから批評性が強すぎるのが、
吉と出るか、凶と出るかは、
正直、もう少し立たないとわからない。
ただ、ノイタミナ枠のオリジナルって、こういう傾向は強いよね。
『東のエデン』が典型的だったけど。
よくも悪くもフジテレビ的な、いろいろな要素のごったまぜ。
で、それらがうまくバランスしないまま、
単に、異なる視聴者という客を呼び寄せるための誘引剤として使われる。
ウェブを見てると、
『放浪息子』の方がなんとなく評判がよいように思えるけれど、
そうすると、むしろ、原作があった方が、
そういうフジ的なものから解放されていいのかもしれない。
『東のエデン』って一昔前の、トレンディドラマみたいな展開だったものね。
『ギフト』とか。
で、物語的は、ニート問題のような本来背景にあった社会問題が、
最終的には、割と前面に出てくるようになって、物語としては非常につまらくなった。
『フラクタル』についても、正直、そういう匂いを感じる。
*
とまれ、第二回を見て思ったのは、
ネッサ、最高!
ってことだったのだがw
もちろん、花澤さんの新しい魅力、というのはあるのだけど、
それに加えて、ドッペルが闊歩する世界がネッサを通じて描かれたのがよかったかな。
(今、変換ミスで、「熱砂」となったのだけど、
意外と、「熱砂」が元ネタなのかもしれないと思ったのだった。)
要するに、人間と見まごう形のドッペルがネッサ。
で、このネッサを見て、今までどうも今ひとつしっくりこなかった
『魔法先生ネギま!』の魔法世界の住人のあり方が
わかったような気がしてきた。
情報が先にあって、それが何らかの形で実体を持つ、そういうものとして。
いや、まだ、完全にわかった、というものではないのだけど、
基本的な設定として
『フラクタル』のフラクタル世界
と
『魔法先生ネギま!』の魔法世界
とは、同種の世界なんじゃないのかな、という見立てをまずしたいと思っている。
互いに互いを参照することで、
いろいろと見えてくることがあるような気がしている。
うーん、だから、やはり、『フラクタル』は物語としてよりは風刺=批評に見えるってことなのかな。
とりあえず、勢いに任せて始まってしまった、クレインとネッサの冒険の向かう先に注目したい。
しかし、ホント、テレビ局って、ジブリ好き、なんだなー。
いい加減、宮崎駿って、敬して拝してもいいと思うのだけどw
花澤香菜パワーが炸裂ですよw
今まで彼女が演じてきた声色とは異なる質のもので、
でも、どこか、彼女が演じてきた声の集大成でもあるようで。
今回は、結局、そこに一番引きつけられてしまったのでした。
で、物語自体は、正直、過去作品へのオマージュが多すぎるし、
設定はいろいろと情報社会批判っぽいし、
絵的は、某作品の影響が多いように思える。
あからさまなくらいのカップリングとそれによる情報量の多さから、
物語に素直に没入させてくれない、というのが正直なところ。
構成、物語、絵、設定、の全てが自己主張していて、
つまりは、ハレーションを起こしていて、目がチカチカする、という感じ。
もう少し、お話が進めば、それらもしっくり来るのかもしれないが、
全体的にカップリングから批評性が強すぎるのが、
吉と出るか、凶と出るかは、
正直、もう少し立たないとわからない。
ただ、ノイタミナ枠のオリジナルって、こういう傾向は強いよね。
『東のエデン』が典型的だったけど。
よくも悪くもフジテレビ的な、いろいろな要素のごったまぜ。
で、それらがうまくバランスしないまま、
単に、異なる視聴者という客を呼び寄せるための誘引剤として使われる。
ウェブを見てると、
『放浪息子』の方がなんとなく評判がよいように思えるけれど、
そうすると、むしろ、原作があった方が、
そういうフジ的なものから解放されていいのかもしれない。
『東のエデン』って一昔前の、トレンディドラマみたいな展開だったものね。
『ギフト』とか。
で、物語的は、ニート問題のような本来背景にあった社会問題が、
最終的には、割と前面に出てくるようになって、物語としては非常につまらくなった。
『フラクタル』についても、正直、そういう匂いを感じる。
*
とまれ、第二回を見て思ったのは、
ネッサ、最高!
ってことだったのだがw
もちろん、花澤さんの新しい魅力、というのはあるのだけど、
それに加えて、ドッペルが闊歩する世界がネッサを通じて描かれたのがよかったかな。
(今、変換ミスで、「熱砂」となったのだけど、
意外と、「熱砂」が元ネタなのかもしれないと思ったのだった。)
要するに、人間と見まごう形のドッペルがネッサ。
で、このネッサを見て、今までどうも今ひとつしっくりこなかった
『魔法先生ネギま!』の魔法世界の住人のあり方が
わかったような気がしてきた。
情報が先にあって、それが何らかの形で実体を持つ、そういうものとして。
いや、まだ、完全にわかった、というものではないのだけど、
基本的な設定として
『フラクタル』のフラクタル世界
と
『魔法先生ネギま!』の魔法世界
とは、同種の世界なんじゃないのかな、という見立てをまずしたいと思っている。
互いに互いを参照することで、
いろいろと見えてくることがあるような気がしている。
うーん、だから、やはり、『フラクタル』は物語としてよりは風刺=批評に見えるってことなのかな。
とりあえず、勢いに任せて始まってしまった、クレインとネッサの冒険の向かう先に注目したい。
しかし、ホント、テレビ局って、ジブリ好き、なんだなー。
いい加減、宮崎駿って、敬して拝してもいいと思うのだけどw