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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第109話 『最後の祭りが五月の場合①』 感想

2019-11-06 11:56:55 | 五等分の花嫁
なんと、やっぱりそう来たかー。
遂にラスボスたる五月たちの実父、登場!

にしても、前回の感想で書いたとおりになるとはね。
しかも、その実父が例の「伝説の塾講師」、その名も無堂。

一から五までの名を持つ五つ子の母が、ゼロの零奈だったのに、
その父は、そもそも存在否定の「無」とはね。。。
この先の展開の険しさを暗示するような名前だなぁ。

というか、「零」と「無」とは、似て非なる言葉だから、
その「似て非なる」ところが、最終的に
無堂と零奈の夫婦が破綻する理由だったんだろうなぁ。
多分、理想を巡る扱いの違いというか。


というわけで、今回は、もうこの無堂先生の登場!、に尽きる。

しかも、この無堂先生、やっぱり、日の出祭初日の99話で、フータローが道案内していた髭面のおっさん?爺さんだった。
これも、きっと無堂はフータローとわかって接触してきたんじゃないかなぁ。
となると、フータローにとっては、マジでラスボスだろうなぁ。

あと、この展開だと、五月が、無堂ではなく、理想とする父の姿を重ねる相手としてフータローを見て、そこから思慕の念が生まれる、ということなのだろうね。

なんていうか、フータローの存在自体が、五月の心の支えとして不可欠の存在になる展開。
その一方で、おそらくは次回以後の話になると思うけど、五月の夢、すなわち、零奈のように教師になる、という夢を、フータローが全肯定していく流れになるのだろうな。
無堂の言うような「母の呪い」なんて捉えるのではなく。
そうして、フータローが無堂に対して、全肯定の「有」を主張する。

・・・って展開なら、五月がフータローに想いを寄せないはずがないよね。

さっきちょっと書いたけど、
零奈の「ゼロ」と、無堂の「無」は、似て非なるもの。
ゼロは、存在自体はあって、おそらくは、出発点としてのゼロポイント。
対して、無は、文字通り、何もかも相対的にみて、実体を感じない見方。
要するに、枯れた爺さんの見方、ということになるのだけど、
そんなジジイの見方なんか、根が熱血のフータローが認めるはずがない。

ということで、多分、フータローと無堂の間で、大げさにいえば、人生観を巡る言い争いが起こるに違いない。

今回、無堂が五月を諭した言い方で行くと、人まねなんかしちゃだめ、誰かを理想像なんかに置いちゃだめ、自分で考えろ!、ということなんだろう。
少なくとも、無堂の中では、死別した零奈を理想と仰ぐ五月の姿には、単純に憧れの母になりきりたい、という一種の投射なり転移の心理を見ているのだろうけど。

でも、そんな五月に対する無堂の理解は、あくまでも子どもの頃の、それも幼少の頃の五月の姿からの勝手な連想にすぎなくて、フータローからすれば、俺がこいつら(=五つ子)と出会って変わったように、こいつらも俺と出会って変わったんだ!、とか言って、無堂の勝手な言動を全否定していくんだろうな。

あと、フータロー的に看過できないのは、彼自身も、今の自分があるのは、6年前の零奈=四葉との「誓い」があってのことで、その誓いがあったからこそ、自分はがんばれた、ということを知っているから。

なので、多分、フータローからすれば、無堂の夢や理想を否定する態度は、零奈=四葉に出会ってから以来の今までの自分の歩みをも否定するものとして、絶対的に戦わなければならないもののはずだから。

いわば無堂のいう「身の丈にあった未来」の選択、なんてクソくらえ!というのがフータローの基本姿勢になるのだと思う。

ということで、単純に五つ子の実父ということだけでなく、この無堂は、フータローにとってのラスボスになる感じがプンプンするなぁ。

そういう意味では、何かとはじめから達観してるマルオでは、きっと、この無堂に対峙することができなかった。
というか、そもそも、無堂からすれば相手にならない「真面目な子」くらいにしか見えなかったんだろうな

だって、フータロー父の話しぶりからすると、無堂って、マルオやフータロー父の担任だったんでしょ?きっと。
で、その担任が、かつての教え子で、新卒の教師となって赴任してきた零奈と結婚した、という展開なのだろうから。

零奈親衛隊会長のマルオの憤怒たるやいかばかりだったのかw
しかも、五つ子をおいて、無堂は消えてしまったのだから。

そしてこうなってくると、いやがおうにも、フータロー父のその間の行動も気になってくる。
もしかして、五等分世界の人びとの出会いを裏で操作していたのはフータロー父だったんじゃないの?とまで思えてくるw

まぁ、もちろん、教師という立場にあった無堂が、五つ子をおいて消えたのだから、それ相応の理由や事情はあるわけで、その話もおいおい、語られていくのだろうな。
きっと、フータロー父の口からw

今回の日の出祭のエピソードで、無堂のことまで解決できるとはとても思えないので、次回は、フータローと無堂の第一回戦が行われて、その様子を見た五月が、フータローのことが好きだ、というのを明確に意識するところで終わるのだろうし、今までのパタンからすると、その御礼としてのキスなのかもしれないねw

ともあれ、ここまで、前回の予想が当たるとは思っていなかった。
次回の話、
そして、日の出祭の終了のときの、五つ子とフータローの「新たな関係」の構築がとても気になる。

とはいえ、いやー、ほんとに来たか、実父問題。
漫画で父の話をするのって、結構ムズいよね。

いやまぁ、無堂が自称「五月の父」の可能性もゼロではないのだけどw

それこそ、ねぎ先生も大好きなネギま!においても、ネギくんにとっての父ナギは最後まで理想の父であり、その父に辿り着くのが物語の幹の一つだった。

対して、この五等分の場合は、父がずっと不在のままここまで来ていたとおもっていたら、むしろ全否定の塊のような圧倒的「ノン(否)」として、完全に乗り越えるべき障壁として現れるのだから。

もちろん、妻にする女性の父は、求婚を申し出る男性からすれば、最後の障壁、というのは、ある意味でお約束中のお約束なのだけど、それがきっかけで、女性=五月が男性=フータローのことを意識させる起爆剤にする、というのは、なんともトリッキーな展開だと思う。

ともあれ、これで、最終兵器・五月が、強制的に舞台に上がる、という感じかな。

あわせて、その過程で、フータローが、フータローの口から、零奈=四葉との誓いがどれだけ今の自分を形作っているかを無堂に向かって力説することになるだろうから、それを聞いて、四葉が一人だけ離脱を決め込むとはやっぱり思えない。

つまりは、ようやく五つ子全員が舞台に上がる、ということ。
最後の五月回になって、ようやく時間の流れがストレートになってきた気がする。

ホント、この先、どうするんだろう。。。
いやー、楽しみだなぁ。

てか、トリックスターとしてのフータロー父の暗躍に目が離せないw

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