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BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

STAR DRIVER 輝きのタクト 第25話 『僕たちのアプリボワゼ』

2011-04-03 18:18:08 | Weblog
ボンズ的には王道の終わり方だった。

最後の局面で、いきなり敵味方関係ない一点(今回はヘッド)に「悪」を集約させ、
それをとりあえず、敵味方関係なく皆で倒しにかかる。
で、これもいきなり、「地球が殲滅される」というバカでかい話に急激にすりかえ、
それを、主人公が愛情・友情パワーで、よくわからないけど、粉砕する。
で、地球は救われ、めでたし、めでたし。。。

って感じ。

最後に、タクトとスガタの男どうしの友情、を加えてちょっとアレンジしてるけど、
基本的には、エウレカセブンのフォーマット=物語展開と同じ。

ホント、ボンズってよくも悪くも「セカイ系」しか描けないのだと痛感。

エウレカって2005年の作品だから、この5年間、ボンズのオリジナルのストーリーテリングは、実は大して変わらなかった、ということ。

今は、2011年でもはやゼロ年代は終わったのだから、
ボンズは、もうこのセカイ系フォーマットからは卒業して欲しいな。

いや、地球が壊滅、なんて話は最後の最後で切るカードにしないと、
物語的には盛り上がらないことは分かっているけど、
さすがに、この終わり方は唐突すぎる。

というか、上で書いたように、この最終話をもってくるために、
ひたすら、今までの物語展開を焦らしに焦らしてきたようにしか思えない。

ということで、最終話としては、正直、残念な終わり方だった。
エウレカの最終回で感じた残念感と同じ。

細かいところでいえば、ヘッドがザメクを乗っ取るというのも、
ハッキングがこれだけ普通に蔓延している世界ではもはや当たり前すぎる展開。

で、ヘッドが世界を手に入れたい、というような、
それこそ中二病的妄想をもったオッサンというのもねぇ。

彼の小物っぷりは今まで十分示されていたから、それもわかるけど、
その小物っぷり、妄想っぷりに物語的終結を全て託すのもねえ。
さすがにそれはヘッドを便利に使い過ぎだろう。

さらにいえば、ヘッドが欲しい物は時間遡行能力で、
作中で明確に言われはしなかったけど、
「過去をやり直したい」というのが狙いでしょ。
でも、ヘッドがなぜ過去に戻りたいのか、というのが、
今まで全く彼の口から語られていないから、
これもあまりにも唐突な理屈。

要するに、見かけは若作りだが実際はオッサンのヘッドは「過去」ばかりを振り返る。
対して、純然たる若者たるタクトたちは「未来」に賭ける、

という見方が一種のテンプレとしてあるから、省略できる展開だよね。

でも、25話もストーリーがあるのなら、
むしろ、この最終話に凝縮した問題を3話ぐらいに分けて丁寧に描いていくこともできただろうし、
そうすることで、セカイ系的なものから解き放たれた終わり方もできたと思うのだよね。

多分、その「異なる終わり方」の最たるものは、前回までに出されていたカナコの展開。
尺があれば、ゼロ時間が解除されたところから、
カナコらが具体的に島民を避難させる、という動きも示しながら、
単なる、セカイ系的妄想で終わらない、プチリアルな展開もありえたと思う。

というか、セカイ系的解決って、結局、ただのロマン主義のヒロイズムでしかないから。

で、タクトが正統派魔法少女的なヒーローであることはここまでで十分描写されてきたことだから、それを足場にして、ただのヒロイズムで終わらない話を展開できたと思う。

ボンズって、それこそ絵の作りは丁寧で好感が持てる作り手だと思うし、
だからこそ、期待してしまうのだけど、
せっかくオリジナル作品で行くなら、物語的にエウレカのコピーで終わらせるようなことはしてほしくなかった。
だから、このタクトの最終話の終わり方はとても残念。

*

とまれ、原作付きのアニメばかりが増えてきて、しかも、その多くが、原作の「映像化」だけに意義を見いだしているのに比べれば、このスタドラががんばっていたのは事実。

ゲーム的空間を、フランス語的な、星の王子さま的な演劇空間にしつらえ、
主人公らの日常と、その演劇的空間を徹底的に(不自然なまでに)分断したのは、
今までにないアイデアだったように思う。
その分断っぷりが、このスタドラの日常空間が、実はちょっとだけ狂った空間ではないか、という気にさせたし。
実際、その狂いっぷりは、ミズノの島脱出が叶わなったところで実際に示されたわけで。

そういう設定の不気味さはとてもうまく効いていた。

その一方で、悩まない主人公としてのタクトが、徹底的に楽天的だったところもいい。

「やりたい事とやるべき事が一致するとき、世界の声が聞こえる」

というタクトの信念は、彼が単なる私欲で動いてるわけでもないし、
かといって、滅私的なみんなのために、という気持ちで動いているわけでもなく、
とても「現実的」な行動原理を持っているように見えたのもよかった。

つまり、主人公の方向性も新しかった。

あとは、綺羅星の面々もケレン味もあった。

なので、こうした要素を掛け算すれば、セカイ系な終わり方とは違う終わり方があると思ってしまうのだった。

その意味で惜しい。

で、エンドクレジットのところが、映画のようにクレジットのみが流れていく形だったけど、これは、もろもろの社会的事情から制作が間に合わなかったのかね。

本来なら、あそこは、大団円の後の、タクト、スガタ、ワコ+綺羅星の面々の後日談的描写があってもおかしくないところだと思うので、きっとそれは今後補完されるのだろうと思っている。

島の外の世界の情勢も分かっているという点で、それこそ、カナコが語り手になって、後日談が説明される、というのが一番しっくり来るかな。

とにかく、最終話で終わってしまった。
楽しみが一つ減ってしまって、そこはやはり残念。

そうそう、最後にサカナちゃんやミズノが再登場すると思ってたんだけどねw

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