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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

モーツァルトを聴いても

2011年02月18日 21時25分06秒 | Weblog
頭は良くならないらしい!
と研究結果が出たと週刊誌に紹介されていた
彼の音楽は1/fのゆらぎだとか、
いろんな怪しい理屈が出回って
それで脳にも良い影響があるとかなんとか、、、

しかし、正直なところ
いくらモーツァルトが好きでも
イマイチ信用できない感じていたので
むしろやっとまともな結論に落ち着いた
と納得した次第

でも、モーツァルトの音楽は不思議だ
ゲーテ(?)が言うように
彼の音楽を真似ようとしても
誰ひとりとして成功しなかった
(このあたりは小林秀雄のモーツァルトに書かれている)
生命力に満ち、まるで会話、おしゃべりのように饒舌で
しかも簡潔で完璧

偉そうに完璧という言葉を使ってしまったが
そう言うしかない気にさせるのが
モーツァルトの音楽

でも彼にも駄作がないことはない
若いうちはまだまだパターン化していたりして
モーツァルトになっていないモーツァルトがそこにいて
彼も才能だけで突っ走ったのではないのが
時間をたどって聞くとよくわかる

離れ島に一曲レコードを持っていくとしたら
何にするか?
これは有名な問らしいが
自分はずっと以前から答えは決まっていて
「魔笛」
メルヘンチックで屈託がなくて、楽しくて
それでいて多少の深みもあって
透明で澄んでいて、美味しいメロディもあって、、、

それにしても「魔笛」
というネーミング(翻訳)よりは
「魔法の笛」の方が
オペラの内容をより正確に表しているように思うのだが、、








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ホームページ、結局は熱意

2011年02月17日 20時29分52秒 | Weblog

仕事上でホームページを開設している企業が多くなってきている

しかし、それが上手く活用されているところ、されていないところなど様々だ

実際のところホームページはどんなにデザイン的にきれいでも

絶えず更新されて動いているページがないとつまらないものになってしまう

 

よく情報発信力という言葉が使われるが

まさにこの発信力がホームページの命といえる

物販の場合ではモノや価格が常に変化していたり

ブランディングを目指す企業は、その理念や具体的活動を

自分の言葉で発することによって

将来の顧客を育てることができるようになる

 

その意味ではその企業のトップに、何か言いたいこと

伝えねばならないものがあるところは

多くの場合その企業のホームページは充実したものになる

 

つまり結局はトップの発信能力の如何が

ホームページの良し悪しを決める

そしてもう一つ、継続する力

簡単なようでこれが難しい

 

だから簡単なようで、難しいことをできたところは

自ずと好ましい結果を手にすることができる(おそらく)

 

 

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始まりはヒュウガミズキから

2011年02月16日 21時02分54秒 | Weblog

随分日差しが柔らかく明るくなってきた

生き物が冬眠から覚める季節

植物も開花の準備をしている

我家の庭のせっかちさんはヒュウガミズキ

膨らみ始めて、もう少ししたチラホラ?

毎年決まった時期になると咲き出すのは、健気だしどこか不思議な気がする

 

庭の木も今は落葉して寂しい限りだが

これが4月20日を越えると一気に新緑でいっぱいになる

去年の4月1日の庭が

 

それが5月1日になると

 

新緑は、まるで植物の赤ちゃんのよう

初々しくて、みずみずしくて、可愛くて、、、

カラッとした空気の中にとても映える

 

でもそれまでは、まだまだ時間がある

まずはヒュウガミズキ、トサミズキの花が咲いて、

それから、、、、

なんだったけ、、、

名前は知らなくても見てるだけで癒される

植物は健気でたくましいな!(雑草も含めて)

 

 

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養鶏家にも鳥にも、殺処分は可哀想

2011年02月14日 20時41分16秒 | Weblog

人間は不思議だ

牛や鳥を食物として育て

いつかはして肉の塊とするのに

今回のように鳥インフルエンザとか口蹄疫になった動物を

殺処分するのには何かしら抵抗感を感じてしまう

 

抵抗感の理由は今までのコスト、手間を慮っての事ではない

それよりは生き物の生命を奪ってしまう

ということにたいして

 

随分勝手なものだ

自分らで普段殺しておきながら

今度はたくさん殺すのは可哀想だとか思ったりして、、

 

しかし、実はこの矛盾こそが人間だとも言える

人は理性的な首尾一貫した存在ではない

むしろ反対に絶えず揺れる(多分例外なく)

 

ところで話は急に変わるが

生き物を、同情とか哀れみとか感じないで

食べてしまえるのは何故か?

と考えた哲学者がいた

(その著作は最初の数ページで投げ出したので

結局どういう論旨かわからなかったが)

 

人間はいろんなコトを考えるものだ

と同時に

自己弁護しないと

やましいと思っているのか?

 

鳥インフルエンザ、早く収束してほしい

養鶏家の人のためにも

鳥たちのためにも!

 

 

 

 

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宮市亮とフェイエノールトは相性抜群(多分)

2011年02月13日 21時05分29秒 | サッカー

フェイエノールトの宮市亮、2戦目で初ゴール

初戦でもボールをもったら仕掛けていく積極的な姿勢が

これからの活躍を期待させたが、早くも結果を出した

 

早いうちに結果を出した選手はうまくいく前例がある

中田英はユベントス戦

小野伸二は途中出場でアシスト

 

反対にちょっとしたラッキーがなかったために

苦労したのが柳沢、名波、大黒、、、

 

でも今日の話はツキの話ではなく

プロにふさわしい性格のこと

 

中田とか本田、大きなことを口にしたり

マイペースで自分を貫き通すのは

外国に行って自分のアイデンティティーを示すためだけでなく

プロの世界に入ったら、あのようにせざるをえなかったからなのではないか

 

宮市亮が怖い物知らずで、失敗もお構いなしに仕掛けるのを見て

ファン・ペルシーやカルーの事を思い出した

小野伸二と一緒にやっていた選手で今はビッグになっているが

フェイエノールト時代は才能はあっても独りよがり

自分のアピールばかりでチームプレーをする選手ではなかった

 

しかし、彼らは今トップクラスのチームに居る

反対に小野伸二は怪我があったにせよ

その気配りすぎのせいで、本来の実力を出し切れなかったかもしれない

といっても、気配り自体が彼の本質かもしれないので

善い悪いは一概に言えないが

 

それでも、チーム同士だけでなく選手間の競争の厳しいプロの世界

自分のいいところは必死に、過度なくらいアピールする必要はある

大事なのは第三者が見てそれらの能力が有用か有用でないかだけのこと

自分のことは自分で何とかする!

そのくらいの気の強さ、頑固さは必要

 

ところでフェイエノールトは小野の時代から

チームプレーが優先のチームではなく

サイドアタッカーがボールをドリブルで突破するのが

好きだし、観客もそれを望んでいたから

ドリブラータイプの選手にとってはステップアップの良い練習台となる

その意味では得点したということより

フェイエノールトにきた事自体が宮市亮はついているかもしれない

今風に言うなら、持っている男かもしれない

 

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いい経験をしている長友

2011年02月11日 21時58分57秒 | サッカー

録画しておいたインテル対ローマ戦

長友が後半30分から出場した試合を

今日やっと見た

 

前半は両チームそれいけどんどんで

両チームでシュート数19本

それもいいシュートが多いから面白かった

 

長友出ないかな

と思いつつも子どもを見守る親の心境で

このレベルの中でちゃんとできるかしらん?

と心配な面もあった

 

 

勝負が決したと思われた4-1の段階で出場したが

彼は体で感じるプレーの質、速さをを体験できて

本当に良い経験をしていると思う

 

確かに高いレベルでやることは

収入が多くても低レベルのリーグでお山の大将のスターとして扱われるより

よいことかもしれない

 

Jリーグが低レベルというのではない

ただスターを無理やり作ろうとするメディアの姿勢に抵抗感がある

メディアは真に実力のある人を取り上げよう!

 

 

 

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こたつにミカン、ではなくて

2011年02月10日 20時57分15秒 | Weblog

こたつにうたた寝

これこそが一番ぴったりくる組み合わせ

足元がぬくぬくすると知らず知らず船をこいで

もしかしたら熟睡しているよりも気持ちよい時間かも

 

しかし注意すべきは、そのまま寝込んで

風邪をひきそうになること

 

ザッケローニ監督が「掘りごたつのある居酒屋に行きたい」

と言ったらしいが

日本の暖房機器でこたつは最高のものかもしれない

 

こたつにみかんとトランプ

こたつとまんじゅうにお茶

こたつには懐かしい素敵な組み合わせが

まだまだいっぱいあるある

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サラリーマンと経営者

2011年02月08日 21時24分57秒 | Weblog

タレントは個人事業主

プロ野球の選手もサッカーの選手もみんな一人ひとりが経営者

不安定な仕事だと思いながらも、しばしば尊敬に値するとも思う

 

こうした個人事業主だけでなく中小零細企業の経営者、創業者は

やっぱりサラリーマンとは違う

その厳しさ、考える深さ、執念、闘争心、金銭に関する執着心などが

 

その違いはもしかしたら公務員と一般のサラリーマンの違いの差よりも

大きいかもしれない

 

植木等が歌った

「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ~♪」

確かにそうかもしれない

サラリーマン金太郎は結局サラリーマンのままではいられなかった

課長島耕作はやはり社長まで上り詰めた

 

世の中のたいして特徴も優れたスキル、知識もない大半の人々は

日々の不満を結局は本質的解決しないまま

その人生を終えていく

 

かつてそんな人生はごめん蒙りたいと思っていたが

残念ながら自分もサラリーマンの家庭の人間で

その中から抜け出せなかったようだ

 

しかし、後悔するのはやめよう

自分だってそれなりのことは、、、、

やってきた、、、と、、、、思いたい

 

 

 

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説明過多のNHK大河ドラマ「江」

2011年02月07日 20時59分24秒 | Weblog

NHK大河ドラマ 今年は「江」

ドラマは真面目に見る方ではないけれど

一応話のネタにと見ては見たが、、、

 

ちょっと気になったのが重要な台詞の繰り返し

信長がそれなりの台詞を言うと

決まって江もつぶやくように繰り返す

あまりにも平凡で分かりやすい演出で興ざめ

 

前回の放送の信長が本能寺で絶命する場面でも

大きなお世話くらい親切に、不自然な江との対面シーンを設けたばかりか

江が野武士に襲われて馬に乗って逃げ出せない時も

信長の霊が江を助け、それによって江は信長の死を知る

という説明過多のストーリー展開

 

こんなにご都合主義でなくても、つまり説明過多でなくても

視聴者の想像力を信じれば、こんなにあれもこれもすることはなくて

それでいて印象的なドラマになると思われるのに

 

これは演出家が悪い?

それとも脚本家が悪い?

いや悪いと言ってしまうのは言い過ぎで

単に自分の好みに合わないだけかもしれない

 

でもなあ、NHKに限らず全体的にテレビは

分かりやすい演出をしすぎていないか?

 

見ないからあまり関係ないか

このドラマ(江)多分、ずっとは見ないだろうな

 

真面目に見た最近のドラマは視聴率はそれ程でもなかった

ブラッディー・マンデイ

これは怖いくらいで、映像も面白かった

もっとも第2部は少し無理、不自然な面が多すぎたが、、

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カラヤンとフルトヴェングラーの「エロイカ」

2011年02月06日 19時29分21秒 | 音楽

たまにはレコードばかりじゃなくてCDも聴いてみようかと

取り出したのがカラヤンの低価格全集ボックスの中から

ベートーヴェンの「エロイカ」

オーケストラはもちろんベルリン・フィル(1975-1977録音の全集から)

 

CDの音自体は実験室の中、モニタールームの中みたいで

綺麗だけど熱気がなくて不満だが

そんな事ばかり言ってられない、我慢とか慣れるしかない

と思い直して集中して聴いたつもり

 

カラヤンの演奏は想像より早かった(トスカニーニ風?)

楽譜通り演奏しているのか

呼吸とか息遣いは、楽譜通りやっても違うんじゃないかな!

と、フト思ったりしたが、

案外明るい音色なのには、これもまた予想外

もっともベートーヴェンの若い時期の作曲だから

このくらいの音色のほうがいいかな

でも第一楽章の終盤になっても、それまでの音楽の経過はあまり関係なしに

ただの音響の連鎖になっているように感じられるのは残念

 

聴いている途中でフルトヴェングラーならどんな演奏だったかな

と気になって1楽章を終えた時点でCDをチェンジした

本当はレコードのベルリン・フィルのモノを聴こうと思ったが

比較する意味ではCDでベルリン・フィルのものがいいだろうと

定番のウィーン・フィルじゃない方を選んだ

(1950年6月のライブ)

 

すると、最初の音が随分違う

これが同じ音程、和音かと思うほど違う

フルトヴェングラーの方は重い、

録音の条件が違うから音の輝かしさなどは

カラヤンの盤には敵わないが、肝心なところの音は存外聞こえる

 

ロマン・ロランが巨人の行進(?)とか解説した部分の低音パート

第2主題の楽器間の受け渡し

ライブ演奏だけに勢いがある

始まってしまったら行くしかない!そんな感じ

でも前後の関係、流れが必然に思われて

楽章自体がひとつの生き物の様に思える

 

やっぱり、こっちのほうが(フルトヴェングラー)好きだな!

結局予想した結果に落ち着いた

 

それにしても、CDの音

何とかならないかな

楽器の音というより電気信号のような音でつまらない

 

プレーヤーを替えれば改善するのか?

しかし、オーディオショップでハイエンドのプレーヤーで聴いても

スッキリ、キレは良くても

音楽のリアルな熱気、感じは相変わらず不足

結局CDという媒体自体に問題があるのでは!

と結論せざるをえないような気がしている

 

懐古趣味とか骨董好きではなくて、

本当にいい音楽を聴きたいから

レコードを求めてしまうのだが、レコードはもう希少品になっている

ジャズはそこそこまだあるけれど

クラシックは悲惨なものだ

 

無くなってしまわないうちに

早く中古レコードショップに行かなくては!


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