パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

出会いは偶然か必然か?

2022年04月22日 09時01分19秒 | 徒然なるままに

中国の占い易経は、陰と陽の選択を6回行い、その64個の組み合わせの中から
合致したものは偶然ではなく、何らかの必然性があるものとして考えているようだ
(ヘッセの小説「ガラス玉演技」では重要な役割を与えられていた)

寝床に置いた本を適当にめくって、偶然出会ったものもそういう意味では
つい何らかの暗示とかを意味していると考えてしまう

今朝、寝起きに手にした本は文庫本の「万葉集」だ
歌は短いので(言い回しがわかりにくいが)適当にめくって楽しむことができる
(気の滅入ることが多いので、こういうものに逃避したくなる)
そこで出会ったのが
「黙(もだ)あらじと言(こと)のなぐさに言ふことを聞きしれらくは悪しくはありけり」1258

どんな意味かと現代語訳を見ると
「黙っていてはまずかろうと相手が口先だけの気休めに言う言葉であるのに
 そうと知りながら聞いているのは何とも気持ちの悪いものだ」

思わずニンマリとしてしまう
よくありそうな光景だ
1000年以上も前の人たちも今と同じような思いをしていたことに、どこかホッとする
と同時に、今この歌に出会ったのはどんな意味があるのか、、とも考えてしまう
それは、人はいつの時代もどこでも同じように感じるものだと訴えているような気がする

良いものに出会ったと、しばらくパラパラとめくっていると、次に気になったのが
「こもりくの泊瀬(はつせ)の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき」1270

現代語訳は
「あの泊瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている
 ああ、人もまた普遍ではありえないのだ」

難しいことはない、わかりやすい、むしろわかり易すぎるほどだ
万葉集は感情にストレートな表現が多い
後の時代の技巧的なところがなく、難しい言葉を除けば素直に楽しむことができる

ということで、時にはこうしたいつの時代も通用しそうなものに触れることは
心の栄養になりそうだ、、という話


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