パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

4年に一度、しかも直前だけで良いものだろうか

2024年06月18日 09時14分39秒 | あれこれ考えること

オリンピックでもなくワールドカップでもない
4年に一度行われるのは首長選挙
投票率が上がらない、、と嘆く人も少なくないが
投票率をあげるために教育機関で模擬投票を試みる
ところもあ有るようだ

この4年に一度の市長選挙のために我が市では
「市長立候補予定者による公開討論会条例」というものが制定された
各地でよく行われるJCによる「公開討論会」みたいなものを
制度上に有るものとして実施しようとするものだ

JCなどの行う公開討論会をよその地区のを見たことが有るが
お行儀が良くて、正直なところつまらなかった
トランプさんとバイデンさんみたいな罵り合いはみっともないが
良いことばかりを口にする抽象的な話はつまらないし
そもそもマニフェストなるものの実効性や予算措置のなど根拠などを
会場にいる人達が理解しうるものなのか、、大いに疑問に思えてしまう

4年に一度だけ、投票の直前にもったいぶって行われる公開討論会が
まことしやかに行われても個人的にはもあまり意味はないと思う
(やらないよりはやった方が良いが)
公開討論会を実施すること、それが条例化されているということは
市民の意識が高まっているとは言えないとずっと思っていた

肝心なのは市民自身がいろいろ知ること、考えることと思う
(それには正しい情報の確保が必要だが)
つまりはどうやって市民の間に主権者意識とかシティズンシップを醸成するか?
市民間でそれらの試みを不断に行って、その上での総仕上げとして
公開討論会が存在するのならわからないでもない
でもただ単に形だけ行っても、、、、

つまりは4年に一度だけでなく、常日頃に市政等に関心を持って
我がことのように何かを思うこと、そしてそれについて人と話すこと
それがまずは大事と思っていた

でも現実はこれはなかなか難しい
若い人には時間がないとか、そもそも面倒なことを考えずに済ませるために
代表制民主主義の形をとっているとか

だが歳を重ねて実感することは、そのような制度とか実態にあまりにもお任せしていると
自分たちはついには痛い目をするかもしれない、、という思いだ
痛い目が取り返しのつかないものだったり
次の世代の人々に負担をかけるものにならなければ良いのだが

何度でも繰り返すが、投票しないという選択は結果的には
支持母体の多い候補者に投票していることになると思う
それらを理解したうえで投票しないでいられるのだろうか?

いつもの、まとまらない話!

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