パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

心の中にとどまったものは、いつか行動に現れると信じたい

2024年07月14日 09時29分37秒 | あれこれ考えること

今朝のワイドショーに突然トランプさんが銃撃されたニュースが流された
耳のあたりに血が見えたが、命には関わり合いはないようだ

アメリカという国は、、
頭に浮かんだのはこのこと
暴力で物事を解決しようとする輩がいて、それを防ぐために銃規制を
しようとすると、建国以来の伝統の価値観とか自由を持ち出して
そしてその団体の利益のために多数決の数を稼ぐ

日本はかつて強引に秀吉が刀狩りをしたかも知れないが
結果的に庶民が武器を持つことはなくなり、無闇に争いごとは少なくなった

これと比べて何故、銃規制ができないか不思議で仕方ない
理屈を言い始めるとどんな理由付けもできる
だが、全体最適を求めるなら銃規制は現実的な方法と思う

この銃規制ができないところと、あの人格のトランプさんが大統領候補になっていること
そして客観的には長い四年間が心配なバイデンさんを大統領候補としていること
これらは部外者は不思議で仕方ない
それは常識的には考えられないことだ(アメリカは大丈夫か?)

大統領になるということは、国益とか国民に対する使命感よりももっと個人的な欲望に
支配されているような気がしてならない
もっともこれはアメリカに限らず、日本社会でも似たようなものかも知れない
政治家は権力闘争の本能を持っているとしたのはマックス・ウェーバー
確かにそうかも知れないと実感する


ところで、ずっと違和感を感じている都知事選のこと(以後の雰囲気)
たまたまフジテレビで橋下徹氏が石丸氏は熱量が違った、、と論評していた
その熱量が何をさしているかイマイチわからないが、熱量に関しては
蓮舫氏は少なくとも演説を聞く限りはたいへんなものだった

彼女が街宣を始めた頃、このペースでは最終日には声が枯れてしまうだろうと予想した
熱も力も入った演説は子どもを育てている女性としての実感を踏まえて
わかりにくいものとは思えなかった
正確に都の財政を把握しているわけではないので一部不安なところがあるとしても
少なくともその心意気は理解できるものだった

ところは予想に反して蓮舫氏の声は最後になってもかすれなかった
それは代わりに声をからすくらい熱く応援した仲間がいたからで
クソ真面目な小川淳也氏が汗を飛ばしながら必死に訴えた
蓮舫氏は自分にはこうした仲間がいるということを実感として感じていた
そしてそれに煽られた蓮舫氏も熱を持って街宣を続けた

ところが、それが票になるかどうかとなると別問題のようで
この演説の中身とか熱さを理解するには、多少の知識とか考える力が必要となる
つまりはわかりにくいよりは、わかりやすい自分と同じくらいと見える石丸氏に
シンパシーを覚える若者が多かったと解説する人は多い

囲碁の世界では「実利と厚み」という言葉がある
実利は直ぐに計算できる確定地で、厚みはまだ地にはなっていないが
将来厚みを活かして相手を攻めて最終的には地を増やすというものだ

この厚みと言う言葉を、演説のメッセージが確かに届いたもの
演説を聞いて勇気づけられたこと、自分でもなにかしようとすること(ひとり街宣)
と当てはめると、後々の結果は実感が忘れられるかどうかだけの問題となる

今回親しみやすかった石丸さんは実利が多かったということで
それは選挙戦術という範囲で優れていたと言えるかも知れないがその後の可能性はどうだろう
もっともメディアとか大衆はブームに異様に弱いから
必ずしもその後増えない実利ではない可能性もあるが

選挙後に蓮舫氏へのネガティブな物言いが多い
しかしそれとは全く反対の、立候補してくれたことに感謝する人
勇気づけられた人、悔しいと思っている人、引き続き応援すると声を上げる人も多い
囲碁で言う厚みは、生き残っていくのだろうか

ひとり街宣の行動を恐れている人たちがいるということは
それがかなりの影響力をもつと想像されたことだ
現在は絶望的な状況だが、日本に一人ひとりの気づきによる政治選択は
いつかやってくると信じたい


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