知ってしまえば当たり前のことでも、不意にそれに気づくことがある
7月21日の日曜日、名古屋に劇団四季の「エビータ」を見に行った
音楽はアンドリュー・ロイド・ウェバーでこの人の作った作品は
全部見たいと思っていた(きっかけはキャッツだった)
そのエビータの舞台、最初はエビータの葬送のシーンでコーラスも民衆の嘆きを
表現していて、それがとても迫力がある(声の力の凄さを再認識した)
それが終わると、舞台には物語の進行役の男性が歌い始める
そこで気がついたのはその音楽は、エビータが歌う「アルゼンチンよ泣かないで」の
メロディを型どったものということ
エビータが歌う「アルゼンチンよ泣かないで」はとても静かな切ない深い感情に溢れた音楽だが
進行役が歌うそれはリズム・テンポを変えて全く印象が異なる
同じ音形でもこれほど印象が異なるのか、、、音楽の変奏とか変形というものはこういうことなのか
という点が驚きをもって感じられた
そう言えば、、と連想したのがブラームスの4番の交響曲
その三楽章はリズミカルな騒々しい音楽だが、その中間部、主となるメロディとは違うけれど
やはりリズミカルなところがある(急き立てられるような印象)
その少しあとに弦でゆったりとしたしたメロディが奏される(癒やされるような)
この印象が全く異なる音楽が実は音形が似ている
速いテンポとリズムを際立たせるのとゆっくりと歌うように演奏される
作品の統一感というのはこうした仕掛けの上に成り立っているのかもしれない
些細なことだが、これに気づいてどこか得したような気がしている
(音楽家には当たり前の大したことじゃないかもしれないが)