パンセ(みたいなものを目指して)

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美人投票・部分最適・全体最適

2019年07月22日 08時17分36秒 | あれこれ考えること

昨日は参議院選挙投開票日
また個人的には劇団四季の「エビータ」を見に行った日
「エビータ」も記憶に残るところが多かったが、まずは選挙についてあれこれ

選挙カーが回ってこなかった新城市の投票率は
男 58.83%  女 54.82%  全体 56.79%  前回比 ▲4.96%(※中日新聞より)
付き合いよろしく芳しい投票率ではない
何故、投票率が上がらないのか、、、
分別くさく言われるのは「上から目線」で、それだけで嫌になる人たちがいるらしい
少しわかるような気もするが、ちょいと残念

選挙のことを考えていたら2つのことが頭に浮かんだ
一つはケインズの「美人投票」
もう一つは「部分最適」と「全体最適」

個人的には今回の選挙の投票は結構迷った
今までなら支持している人の名を無条件に書いていたが、今回はその人は
自分が書かなくても当選しそうだから、全体のバランスを考えて
自分が望むべき方向に進むと思われる方向の別の人の名を書いてみようと考えたのだ
みんながみんな自分と同じように考えて、彼は安心と思い込んだりすると思わぬ結果を
招くことになるかもしれないが、そのときはそのとき、一種のささやかな賭けに出ることにした

そこで思い出したのがケインズの美人投票
何名かの肖像写真を見て誰が一番美人だと思うか、、を問うのは普通の美人投票
ケインズのそれは、「最も多かった人に投票した人たちに景品を与える」という条件をつけたもの
こうなると自分の直感だけで人は投票しなくなる
他人はどう考えるか、、他人の評価が気になる、、そして顔色をうかがう、、
そして自分が一番と思った人物以外に投票をしてしまう

なんだか今回の自分の投票はなんとなくこれに似てるな、、
もっと純粋に選んだほうが良かったのか、、、それとも、これも知恵なのか、、、

もうひとつの「部分最適」と「全体最適」
自民党は組織もしっかりしていて実績もある
こまめに地元での活動も行い、人柄も(表に出てる部分は)問題ない(ように思える)
だから地元の普通の人が彼を選ぶ理由は、地元にとっては「部分最適」となる
しかしこれが全体となると果たして最適かどうかは一気に怪しくなる
まだ国民が説明不十分、納得できないとの声が多い森友学園・加計学園騒動
公文書改ざん問題、外国人就労者のあやふやなデータ、勤労統計・年金問題の曖昧さ
これらは与党が選挙で数を手にする事によって、結果的に問題視されなくなってしまう
投票した人物は、選挙後にこれらの状況になるかもしれないと想像して判断を下したのだろうか
そんな全体のことをいちいち考えて投票するより、現時点の地元での判断を優先したに過ぎないのではないか

現場の一つ一つが最適化されれば、全体が最適化されるか
どうも人間社会はそうではないらしい
全体を見た上でのトータルな最適化が必要なんだろうが、それを仕切る人は誰で、それを選ぶのは誰

時々、人はそもそも全員に間違いなく人を選ぶ能力があるのだろうかとの疑問が頭に浮かぶ
(その力はないとする国もあるらしい)

ということで、つくづく民主主義は未完のデリケートなシステムだと感じるこの頃



 

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