パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「天人五衰」を再読したが、、、

2022年02月14日 09時51分13秒 | 

271ページ、580円、昭和46年、第2版
所有している三島由紀夫の「天人五衰」を再読した

若い時、読んだはずだったが何も覚えていない
わずかにラストシーンだけは覚えているが
読み直してみて、若い時は分かるはずはない!と実感した

時間を経ていろんな経験をした分、多少は共感する部分も増えたはずなのに
実際はイライラしながら読んだ
途中で読むのをやめようかとも思った

それはやはり物語に登場する「変な人」のせいだ
「変な人」は自分を美人と思っている気の狂った女性
感じることも行動することもしないで、眺めているだけで一生を終えてしまいそうな人間
悪意をもって人を傷つけることを意図する人間
性的なアブノーマルな嗜好を持つ女性
つまりは、普通の人の集合としての物語ではない

この4部作の語り部である本多は、人生の総仕上げとして松枝清顕の生まれ変わり
の結末を見ようとする(3つの黒子の印をもつ人間の結末を見ようとする)
それこそが自分の生きてきた証のように
そこには自意識を持つゆえの繊細な苦悩がある
この苦悩はわからないではない、しかし、そこから先はどうしてもわからない
(相性がよくないというよりは、そもそも根本となる生き方の違いを感じてしまう)
繊細な自意識の本多の苦悩、孤独感は三島由紀夫が大嫌いなサルトルの
「嘔吐」の主人公ロカンタンの孤独と通じるものがある
正直なところロカンタンの孤独は分かる、だが本多の孤独は人工的すぎて違和感を覚える
その人工的すぎる作り物は「変な人」とか「変なエピソード」によって出来上がっている
確かに部分的な精緻な描写は語彙の豊富さ、喩え方の洒脱さなど眼を見張るものがある
だがそれだけだ(自分にとっては)

もう三島由紀夫は(読まなくても)良いな!
読み終えてそう実感した
だがアマゾンで「文化防衛論」を購入してしまったから、それで最後にしようか

不意に、話せば分かるとか、時間をかければ分かるようになる
ということは、実は無理なのではないか!
とこの本を読んで頭に浮かんだ
途中までの理屈はわかっても、最後の段階の論理(考え方)の飛躍は
個人間の背景とか体験が違いすぎるので、想像力で補いきれないのではないか

世の中にはわからない人がいる
だからと言ってその人々を否定しようとは思わないが
間違いなく理解出来ないかもしれない人がいるという事実は頭に刻まれた

同様に自分も理解されえない可能性は十分にあるということで
これは仕方ないと思うしかない

ということで(自分は)評価の高い人とされていても、それだけで
必ずしも全面的に受け入れるわけではないということ
もっとも、自分ひとりがそう言い張ったところで何の影響もないだろうが


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