ここ数日の間に、全く同じではないがヨーロッパのサッカーの試合で
似たようなシュートを日本人選手が決めている
1つ目は、イングランド・プレミアリーグのチェルシーとの試合で
三笘選手が後ろからの浮いたボールを柔らかいトラップをした後で
相手をかわして決めたシュート
シュートも良かったが、あのトラップは試合を見に行ったひとは
それだけで元は取った感じだろう
その動画がこれ↓
Every Angle | STUNNING Control And Goal | Mitoma v Chelsea
もう一つは南野選手がリーグアンでの試合で、やはり後ろからの浮いたボールを
今度はダイレクトシュートで決めたもの
その動画がこれ↓(2分40秒付近)
南野拓実が復活!1G2Aの大活躍、チームの大勝に貢献!【2月16日】
2つとも大きく蹴られた後ろからのボールを巧みな技術で得点している
(後ろからのボールをコントロールするのはプロとは言え容易ではない)
世の中はどういう理由か、こうした似たようなことが同時に起きるということはある(ようだ)
それは何故なのだろう?と思うが、単なる偶然の一致なのか
それとも2つは全然無関係で、そう感じるのは単なる心理的な傾向なのか
どっちにせよ、、そういうことはあると思えてならない
同時に同じことが起きるということに対して
何年か前に興味深い仮説が出された
それはオカルトっぽいせいか、その後問題とされなくなったようだが
今でも全くの間違いだとは思えない気もしている
それは確か「生命潮流」という本の中で紹介された考え方で
今まで食べものを洗う習慣がなかった猿が食べ物を洗って食べることを覚え
それが猿のグループのある割合を超えると、どういう理由か
これらの猿と接触のない他の地区の猿も洗って食べることをしだすというものだ
世界の文明が当事者同士の接触がなくても、同時発生的に生まれるのは
こうした出来事の一例かもしれないとする考え方だが
この仮説は検証しようがないために、次第に忘れられる様になった
(客観的に検証する方法を見出した人には賞金が与えられる
という話を目にしたことがあるような記憶もあるが)
こうした例の有名なところでは微分積分の考え方を
ニュートンとライプニッツが同時期に考え出したということがある
それらが生まれる必然性が時代の空気の中にあたったのかどうなのかは
素人にはわからないが、単純に不思議だなと思ったことは覚えている
どうも世の中は不思議に満ちていると思えてしまう
不思議と思うことが変なのかもしれないが
不思議を不思議と思える気持ちの持ち方のほうが
精神には良いような気がしないでもない
(オカルトにハマるのは危険だが)