免許更新に行くと、勢いでつい払ってしまいそうな交通安全協会費があった。
最近では払いたくない人は払わなくて良いと理解されてきたが、
自分も最初は自動的に払うもので必要なものだと思っていた。
ある資格の更新に出かけた。
その免許資格の更新をお手伝いする機関があって
更新の際には東三河支部に所属している方は自民党への(政権与党?)への個人の献金(だったかな)を
お願いします、と説明された。
断ることはできますか?みなさんご了解して頂いています、よろしくお願いします。
民主党が政権をとった時に、ある地区の建設会社の方に尋ねた。
今までは自民党でしたが、どうするのですか?
答えはシンプル、我々はいつも政権与党の方を応援します。(つまり献金・サポートをします)
世の中には自動的に集金する(できる)様なシステムがあるのだと、つくづく感じる。
政治の場において組織とか支援団体というのは、決して主義主張に同意して行われているのではない。
当たり前だがそこには必ず損得の関係が存在する。
何故こんなことを今更書きだしたのかといえば、今回の新城市の住民投票において、
市民グループのひとりとして、つくづく自動的に組織された組織票というものを考えざるを得なくなったことがある。
(自動的に応援するシステムとしての)
業界をあげてどちらかの案を無条件に家族・社員・関係者に強制的に〈ではなかったかもしれないが〉
強いるというのは、少し違和感を感じてしまった。
まわりまわって自分のところにもメリットがあるから、カクカク・シカジカの案に賛成するように!
というのも分からないではないが、こんなことばかりだと何処か歪が出そうな気がしてならない。
もっとも、そんなふうに思うのは世の中を理想的に見過ぎる甘い考えかも知れないが。
だったらどうしたらいいか?
うーーーん!
困った、分からない
と言うより、考えたことがなかった
しかし、組織票の大きさと、その実力を実感して、
そして同時にいったい人の判断の基準が自分たちにとっての利益だけで判断されていいのか、
もっと判断基準は別のところにもあるのではないのか?
強いられた個人としての意見・意志はどうのように反映されるのか?
とあれこれ考えてしまった。
本当はもうすこしよく考えなければならないだろうけど、
やっぱり人はお金に弱いからな、、、・
どうもオチも結論もない、ただ書き連ねただけになってしまった
(いつものこと?)
次、頑張ります!
後援会というものは、是非もなくその議員を応援するものなのでしょうね。
私はツイッター上で「議員には“してもらう”のではなく、“させる”のだ」というつぶやきを見かけて、とても印象に残った記憶があります。
なにかを“させる”ためには、私たち市民は常になにが起こっているか知っているべきで、それに対し私たちの支持している議員がどういう行動を起こしているか知っていなくてはならないのだと思います。
私たち市民はなにより“知る”ことが大事で、
やはり無関心が最大の敵なのでしょう。