少し心配症な人は人口減少やそれに伴う財源不足で
市の将来に不安を感じる
(実は国しても同じことなのだが)
それで自らの生活体験を元に市政でもまずは節約とか
贅沢をしないと考えるのはごく普通のこと
そうすることによって、将来の人たちに不安のない生活の確保が
できるかもしれないと考える
ところがそれを他人に伝えようとすると
同じ感じ方をする人には何の抵抗もなく伝わるが
今の生活に忙しい人、そういうことに関心のない人には
なかなか伝わらない
「痛い目をしないために」こう考えたほうが良い
これはある意味未来を想像するということだが
まるでおせっかいの様に思われたりする
残念ながら、人は
痛い目をしないと分からないのかも知れない
だが痛い思いをしてからでは遅すぎるということもある
出来る限り、痛い目に遭わないうちに知恵で回避する方法を、、
そういえば健康法も食事もそうなのかもしれない
わかっちゃいるけど 痛い目にあうのが人間か